第3話 義理の帳簿
十二家の名前は、朝までに三つの束になった。
一つ目の束は、七家。
二つ目は、四家。
三つ目は、一家だけ。
「……七、四、一」
レティシアは、羽根ペンを置いた。
窓の外が、白み始めている。
*
「分け方の理由を、伺っても」
朝いちばんに来たロイドが、名簿を覗き込んだ。
「七家は、通商で食べている家です」
「なるほど」
「四家は、その七家に借りがあります。娘の縁組、領地の融通、去年の不作の穴埋め」
ロイドの視線が止まった。
「……その四家の借りを、どこで」
「王城の会計です」
レティシアは、当たり前のことのように言った。
「三年、見ていましたから」
誰も、それを帳簿とは呼ばない。
どの家がどの家に頭が上がらないか。
誰が誰の口利きで今の席にいるのか。
どの家が、去年どこに助けられたか。
数字には出ない。
だが、確かに残高がある。
――借りは、返さなければならない。
人は、そういうふうにできている。
「では、残りの一家は」
「エッシェン侯爵家です」
レティシアは、三つ目の束に指を置いた。
「この家だけ、どこにも借りがありません」
*
王太后が十二家に何を言ったのかは、分からない。
言う必要すら、なかったのかもしれない。
王太后が王妃を認めていない――それが伝われば、家は勝手に黙る。
黙ることに、費用がかからないからだ。
――なら。
レティシアは、白紙を一枚引き寄せた。
黙ることに、費用がかかればいい。
その日の午前、王妃の名で一通の招待状が出された。
宛先は、貴族ではなかった。
「アルセイン王国、商務使節団」
ロイドが、封の宛名を読み上げた。
「……茶会に、他国の使節を」
「ええ」
「これは、社交ですか。外交ですか」
レティシアは、少し考えた。
「どちらでしょう」
「――なるほど」
ロイドは、それ以上聞かなかった。
返事は、その日のうちに来た。
『喜んで伺います』
署名は、ハルヴァート。
数年前、王城で一度だけ会ったことのある壮年の男だ。
あのとき彼は、立ち上がってレティシアに一礼した。
この国の誰も、彼女の名前を出さなかった時期のことだった。
――やはり、あなたでしたか。
そう言った人だった。
*
午後、最初の返事が届いたのは、七家のうちの一つからだった。
夕方までに、七通すべてが揃った。
文面は、どれも似ていた。
急な予定の変更により、出席が叶うことになりました。
誰も、本当のことは書かない。
「見事ですね」
夜、ロイドが名簿を返しながら言った。
「アルセインの使節が出る席です。通商で食べている家は、欠席できません。来季の交渉の前に、他国の使節の前で王妃を軽んじた家として名前が残る」
「はい」
「王太后さまのご不興より、そちらのほうが高くつく」
「……そうなりますね」
レティシアは、静かに答えた。
「四家は、翌朝でしょう」
実際には、その夜のうちに四通とも届いた。
七家が行くのに、借りのある四家が行かないわけにはいかない。
残高は、そういうふうに動く。
十一通。
最後の一通は、来なかった。
エッシェン侯爵家。
どこにも借りのない家。
レティシアは、その名前をしばらく見ていた。
――この家だけが、自分の意思で黙っている。
覚えておこうと思った。
*
茶会は、東庭で開かれた。
十二の席のうち、十一が埋まった。
ハルヴァートは、席に着く前にレティシアへ一礼した。
数年前と、同じ角度だった。
「王妃陛下」
「……お久しぶりです」
「あなたが調整役でなくなったと聞いて、我が国の商務は少し慌てました」
彼は、笑わずに言った。
「王妃になられたのなら、話は早い」
その日の茶会で、通商の話は一つも出なかった。
菓子と、庭と、天気の話だけをした。
十一家は、それを見ていた。
――王妃は、アルセインの使節と天気の話ができる。
それだけが伝わればよかった。
帰り際、七家のうちの一人がレティシアの前で足を止めた。
若い当主だった。
「王妃陛下」
言いかけて、口をつぐむ。
言い訳をしようとして、やめたのが分かった。
「……次は、初めからお受けいたします」
「ええ」
レティシアは、それだけ答えた。
責める言葉は、持っていなかった。
この人たちは、黙るのがいちばん安いと計算しただけだ。
彼女も、かつて同じ計算をして生きてきた。
*
報告は、その夜のうちに王太后の耳へ届いたはずだった。
だが、何も起こらなかった。
三日、何も。
四日目の朝。
東庭の入口に、人が立っていた。
「お義母さま」
アデライドは、十二の席を見ていた。
空いているのは、一つだけ。
「……あなたは」
彼女は、席から目を離さずに言った。
「茶会を、外交の席になさったのね」
「いいえ」
レティシアは答えた。
「同じ帳簿の上にあると、思っただけです」
アデライドは、しばらく黙っていた。
やがて、短く言った。
「……面白いこと」
温度のない声だった。
だが、あの日の声より、わずかに低かった。
「一つ、教えてさしあげます」
去り際に、アデライドは足を止めた。
「エッシェン侯爵夫人は、借りを作らない人です」
レティシアは、顔を上げた。
「あの人には、通商も、縁組も効きません」
衣擦れの音が遠ざかる。
「……あなたが次に困るのは、あの人です」
扉の向こうへ、その背中は消えた。
レティシアは、空いた一つの席を見ていた。
――教えてくれた。
敵のはずの人が。
胸の奥に、小さな引っかかりが残った。
それが何なのか、彼女にはまだ分からなかった。
ここまでありがとうございます。
数字に出ないのに、確かに残高がある。「義理の帳簿」は、この物語のいちばん大事な道具です。人は借りで動く。それが見えれば、たいていのものは動きます。
けれど王は「私が一言言えば済む」と助けを差し出します。次は、その最も断りにくい助けを、あえて断る話。
ブックマークと評価は、返ってこなかった招待状のかわりに、この帳簿へ一通ぶん書き足させていただきます。




