第2話 誰も来ない茶会
返事は、三日待っても来なかった。
十二通のうち、一通も。
「――ございません」
エマは、それだけ言った。
余計な慰めをつけないのが、この侍女のいいところだった。
「そう」
レティシアは、名簿を閉じた。
茶会は明後日。
場所は王城の東庭。
菓子も、茶も、席も、すでに手配してある。
誰も来ない席が、十二。
招待状の宛名は、すべて自分で書いた。
誰に出すべきかを決めるのに、三日かかった。
どの家が、どの家と口をきかないか。
どの家を隣に座らせてはいけないか。
席の順を三度組み直して、ようやく十二に絞った。
その三日は、無駄になったことになる。
「レティシア様」
エマが、茶を置いた。
「お茶菓子は、私が全部いただきます」
「……ありがとう」
少しだけ、笑えた。
*
昼過ぎ、書類を運んできたロイドが名簿を覗き込んだ。
王城へ移ってからも、この男の言い方は変わらない。
「珍しいですね」
「そう?」
「十二家すべてが黙るというのは、確率として不自然です」
断定だった。
「一つや二つなら、体調でも、領地の用事でも説明がつきます。十二はつきません」
「……そうね」
「示し合わせています」
レティシアは頷いた。
三日目の朝には、彼女もそう考えていた。
「誰が、とは聞かないのですね」
「聞かなくても分かるもの」
三日前に、王城へ来た人がいる。
そして、この城で十二家を一度に黙らせられる人は、一人しかいない。
ロイドは、それ以上言わなかった。
彼は、分かっていることを確認する男ではない。
*
――王妃の仕事とは、何か。
証明してごらんなさい、とあの人は言った。
最初の答えが、これだった。
誰も来ない茶会。
うまくできている、と思った。
王妃が茶会を開けないのは、王妃の落ち度だ。
誰も、王太后の名前を出さずに済む。
招かれた側も、断ったのではない。
ただ、返事をしていないだけだ。
誰も何もしていないのに、王妃だけが無能になる。
――きれいな手だわ。
感心している場合ではないと分かっていたが、感心してしまった。
レティシアは、東庭の見取り図を広げた。
嫌がらせだと思えば、腹も立つのだろう。
だが、彼女にはそう見えなかった。
これは、問題だ。
――誰が、誰に、何を言ったか。
それが分かれば、構造は見える。
構造が見えれば、たいていのものは動く。
王城の魔法炉も、物流も、会計も、そうやって直してきた。
誰も彼女の名を出さなかった三年間、ずっとそうしてきた。
社交だけが例外である理由は、どこにもない。
見取り図の上で、指が止まった。
――ただ、時間がない。
明後日だ。
*
「レティシア様」
エマが、扉のところで足を止めた。
「お客さまです」
「明後日ではなくて?」
「今日です」
現れたのは、一人だった。
「マルグリット夫人」
王太后付きの教育官。
かつてレティシアに、王妃の役割は三つだと教えた人だ。
――王太后付き。
その一語が、頭の隅に引っかかった。
この人は、どちらから来たのだろう。
「茶会の返事を、直接お持ちしました」
夫人は、封を切っていない一通を差し出した。
「私は伺います」
レティシアは、それを受け取った。
紙が、少しだけ重く感じた。
「……お立場が」
「ええ。悪くなります」
夫人は、あっさり言った。
「王妃さま。緊張しない王妃は、だいたい失敗します」
それから、少しだけ笑った。
「返事をしない貴族も、だいたい失敗します」
夫人は、それだけ言って帰っていった。
レティシアは、一通だけの返事を机に置いた。
十二分の一。
数字としては、何も変わっていない。
――けれど。
一人でも来るなら、それは茶会だ。
誰も来ない席ではない。
胸の奥が、静かに動いた。
*
夜。
アレクシスが執務室に入ってきたのは、灯りを落とす直前だった。
「茶会の話は聞いた」
短い。
いつもどおりだった。
「明後日でしたね」
「十二家が返事をしていないそうだな」
「はい」
彼は、しばらく黙っていた。
それから、言った。
「私が一言、言えば済む」
済むだろう、と思った。
この国の王が名指しで招けば、明日には十二通の返事が届く。
それで、茶会は成立する。
誰も損をしない。
「――いいえ」
レティシアは、静かに首を振った。
彼が、こちらを見た。
理由を尋ねようとして、やめたのが分かった。
「……そうか」
それだけだった。
彼は何も言わずに出ていった。
扉が閉まる音が、いつもより静かだった。
――怒らせた、のかしら。
少しだけ、そう思った。
けれど、たぶん違う。
あの人は、断られることに慣れていない人ではない。
むしろ逆だ。
かつて彼は、行くなとは一度も言わなかった。
この城を離れることを考えたときも、引き止めなかった。
『君が選んだなら、それが最善だ』
あのとき彼女は、その言葉が少しだけ寂しかった。
――今は。
今度は、彼のほうが手を出そうとして、彼女がそれを断った。
順番が、入れ替わっている。
それでも、机に向き直った。
十二家の名前が並んでいる。
どの家が、どの家に頭が上がらないか。
誰が誰に借りがあり、誰が誰の口利きで今の席にいるのか。
――ここに、答えがある。
彼女は、羽根ペンを取った。
この城に来てから、彼女がいちばん長く見てきたのは、数字ではない。
人の動きだ。
それを帳簿と呼ぶ人は、たぶん、どこにもいないけれど。
「誰も来ない茶会」を嫌がらせとして書かないことに、いちばん気を遣いました。腹を立てる話ではなく、構造を読む話にしたかったのです。
返事をしない十二家を、レティシアは帳簿として読み始めます。次は「義理の帳簿」――数字には出ない、人の貸し借りの話です。
一通も返ってこない卓に、静かに腹が立った方。ブックマークを一つ、こちらの帳簿へ。




