第21話 落ちていた仕事
慈善会の日は、動かせない。
先王の御代から、同じ日に立っている。
立たなければ、立たなかったことが、そのまま噂になる。
王妃が、王太后の会を潰した、と。
三度話されれば、それは事実になる。
式部官が持ってきた書付は、一枚だった。
『慈善会 例年どおり』
それだけだった。
「例年とは」
「……例年で、ございます」
式部官は、頭を下げた。
悪意は、なかった。
この人は、本当に知らないのだ。
*
「順序は、どなたがお決めになるのでしょう」
「王太后さまが」
「品は、どちらから届くのでしょう」
「王太后さまが」
「当日、どなたが何をなさるのでしょう」
「……王太后さまが、全部」
三度、同じ答えが返った。
三度目に、式部官の声が小さくなった。
小さくなったのは、恥じたからではない。
いま、初めて、それに気づいたからだ。
「では、あなたは当日、何を」
「……立っておりました」
立っていた。
それが、この人の仕事だった。
立っていれば、回っていたからだ。
「去年の書付は」
「例年どおり、と」
「一昨年は」
「例年どおり、と」
同じ一枚が、何十年、回されてきたのだ。
中身が書かれたことは、一度もない。
書かなくても、回っていた。
回っていたから、書かなくてよかった。
*
礼拝堂へ回った。
神官長は、灯替えの日から、レティシアの前でよく喋るようになっていた。
「香でございますか」
「はい。当日、香は」
「……気づけば、ございました」
「切れたことは」
「一度も」
「では、どなたが足しておいででしたか」
神官長の口が、開いた。
開いたまま、しばらく閉じなかった。
「……存じません」
「品は、どちらから届くのでしょう」
「馬車が、朝に参ります」
「どちらの馬車でしょう」
「……存じません」
「荷を、受け取るのは」
「置いてございます」
置いてあった。
誰が置いたかを、誰も見ていない。
誰も、見ていなかった。
だから、誰も、知らない。
見えていなかったのでは、ない。
見る必要が、なかったのだ。
切れない香を、誰が数えるだろう。
*
王妃宮に戻って、レティシアは紙を広げた。
書けることが、一つもなかった。
順序も、品も、人も、分からない。
――では、無いものを数えましょう。
羽根ペンを、取った。
慈善会が明日で、何も届かないとする。
何が、困るか。
香が、無い。
灯が、無い。
卓が、無い。
器が、足りない。
運ぶ者が、いない。
誰がどこに立つかを、誰も言わない。
施しを受ける側の名簿が、無い。
誰にいくら渡すかを、決める者が、いない。
誰が来るのかを、誰も知らない。
来た者を数えるのが誰なのかも、分からない。
困ることを、一つずつ書いた。
書き終えて、レティシアは、その紙を見た。
困ることの、一覧だった。
それは、そのまま、あの人の一日だった。
仕事の形が、初めて見えた。
仕事そのものではない。
無くなったあとに残った、その形の穴だ。
誰かが毎年、この穴を埋めていた。
埋まっているものは、見えない。
見えないものを、人は仕事と呼ばない。
「レティシア様」
エマが、紙を覗き込んだ。
「これ、王妃宮の朝と、同じですね」
レティシアの手が、止まった。
同じでは、なかった。
王妃宮の朝は、誰かが書いた。
この一日を書いた者は、どこにもいない。
「どなたも、書いていらっしゃらないのですか」
「ええ」
「では、去年はどうやって」
「……あの方が、覚えておいでだったのでしょう」
言ってから、レティシアは、自分の声を聞き直した。
覚えている、では足りない。
香の量も、卓の数も、誰にいくら渡したかも。
何十年ぶんを、人は覚えていられない。
――覚えていたのでは、ない。
どこかに、書いてある。
*
夕方、ロイドが出納の綴じを持ってきた。
「王城の帳面に、慈善会の支出がありません」
「……ありません」
「一行も。香も、灯油も、卓の借り賃も」
彼は、綴じを置いた。
「合理的では、ありません。品は、毎年、確かにございました」
「王城の金で、回っていないのですね」
「そうなります」
「では、どなたの金でしょう」
「……そこまでは」
ロイドは、綴じを閉じた。
「王城の外の金が、王城の日に、毎年、必ず届く。それが何十年」
「はい」
「合理的では、ありません」
二度目だった。
この人が同じ言葉を二度言うのは、答えが出ないときだけだ。
「では、帳面も、王城のものではありませんね」
ロイドが、顔を上げた。
「……離宮は、何も出しません」
「はい」
出さないのではなく、離宮には無いのだ、とレティシアは思った。
あの人は、書いたものを手元に置く人ではない。
置けば、いつか誰かが見つける。
見つけられて困るものではない。
困らないから、なお、置かない。
――使う場所に、置く。
胸の奥が、ひとつ、鳴った。
*
礼拝堂に、もう一度行った。
「灯替えの日のことを、伺っても」
「はい」
「あの日、お義母さまは、どちらにお立ちでしたか」
神官長は、すぐに答えた。
「壁際でございます」
「いつも、同じ場所でしょうか」
「……はい」
彼は、少し考えてから、続けた。
「先王の御代から、あの場所でございます」
レティシアは、その壁際に立ってみた。
振り返ると、堂の全部が見えた。
種火も、燭台の列も、神官長の立つ位置も。
――ここから、全部が見える。
それから、彼女は、もう一度向きを変えた。
背にしていたのは、壁ではなかった。
扉が、あった。
小さな、木の扉だ。
「あちらは」
「納戸でございます」
神官長は、言った。
「……開けたことは、ございません」
お読みいただきありがとうございます。
「埋まっているものは見えない。見えないものを、人は仕事と呼ばない」。この物語が言いたいことを、いちばん短く言えた一行です。
次は「名前のない帳面」。納戸の奥から、署名のない帳面が何十年ぶん出てきます。




