表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「王妃の座を降りろ」と義母に言われましたが、お断りします 〜婚約破棄された悪役令嬢ですが、夫は母より私を選びました〜  作者: リリア・ノワール


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
16/30

第16話 上等でない紙

 紙が、薄かった。


 エマが封を切る前に、レティシアはそれを見ていた。


 一度目の招きは、上等だった。


 断られることを想定していない紙だ、とあのとき思った。


 今度のものは、どこの家にもある紙だった。


 「……お受けに、なりますか」


 エマが訊いた。


 前と、同じ問いだった。

 前とは、違う声をしていた。


 *


 「行かないほうが、合理的です」


 ロイドは、即答した。


 「紙を落とすのは、格を落とすということです。応じれば、落とされた格をお認めになったことになります」


 「行かなければ」


 「逃げた、ということになります」


 彼は、招きを机に戻した。


 「どちらでも、あの方は損をしません」


 損をしない場所にしか、立たない。


 その読みは、もう持っていた。


 持っていて、まだ、どこにも使えていない。


 「紙の格は、あの方がお決めになったことです」


 レティシアは、招きを取った。


 「受け取るかどうかは、私が決めます」


 ロイドが、言いかけて、止まった。


 「……合理的では、ありません」


 「はい」


 「ですが」


 彼は、少し考えた。


 「筋は、通っています」


 *


 エッシェン侯爵邸の広間は、前と同じに明るかった。


 窓が大きい。昼に灯の要らない家だ。


 「まあ、王妃さま」


 声の温度も、同じだった。


 変わっていたのは、椅子だった。


 窓を背にした、端の席ではない。


 広間の中ほどの、婦人たちに混じった一つ。


 ――普通の席だわ。


 上座では、なかった。


 王妃を上座に据えない。それは、間違いだ。

 間違いは、指摘できる。


 指摘すれば、席次の話になる。


 席次の話をすれば、この人の土俵に上がる。


 レティシアは、腰を下ろした。


 「あの議は、お流れになったとか」


 ベアトリスは、茶が一巡するのを待ってから言った。


 広間の音が、少しだけ薄くなる。


 「はい」


 「まあ」


 扇が、ゆっくりと開いた。


 「王妃さまご自身が、お取り下げになったと伺いましたわ」


 「はい」


 「……存じ上げませんでしたわ」


 夫人は、口元を隠した。


 「ご自分の潔白を、ご自分でお捨てになるなんて」


 誰も、笑わなかった。


 笑わないことが、答えだった。


 ――そう聞こえるのだわ。


 レティシアは、茶を置いた。


 あの部屋で、彼女は誰かの息子の名前を守った。


 この広間には、その部屋がない。


 あるのは、結果だけだ。


 王妃は、潔白を証す機会を与えられ、自分でそれを捨てた。


 捨てる人間は、一つしかいない。


 証されると、困る人間だ。


 「お直しになれば、よろしかったのに」


 ベアトリスが、扇の先を頬に当てた。


 温かい声だった。


 「わたくしなど、王妃さまのお立場でしたら、真っ先に」


 「……ええ」


 「では、なぜ」


 広間の全員が、待っていた。


 言い訳をすれば、広間に残る。


 残ったものは、次の茶会でもう一度話される。


 三度話されれば、それは事実になる。


 レティシアは、それを知っていた。


 「理由は、申し上げません」


 扇が、止まった。


 「……まあ」


 「取り下げたのは、私です。それは、そのとおりです」


 レティシアは、顔を上げた。


 「そこから先を、どうお読みになるかは、皆さまのご随意に」


 沈黙。


 誰かの茶碗が、受け皿に触れた。


 ――否定を、待っていたのだわ。


 この人は、いつもそれを待っている。


 否定は、言い訳だ。

 言い訳は、残る。


 残ったものだけが、席を動かす。


 ベアトリスは、しばらく扇を止めていた。


 それから、笑った。


 「王妃さまは、お強いのね」


 三度目だった。


 同じ言葉を、同じ形で置いていく人だった。


 *


 玄関の間で、ベアトリスが横に並んだ。


 見送りは、家人の仕事だ。


 この人が自分でそれをするのは、言うことがあるときだけだった。


 「来季の席次のこと」


 「……はい」


 「王妃宮の分も、そろそろ決まりますわね」


 レティシアは、足を止めた。


 王妃宮に、席次はない。


 王妃宮は、席ではない。


 ――人だ。


 紙で回している宮の、その紙を書いている人たちだ。


 「王妃宮は、席ではございません」


 「まあ」


 ベアトリスは、扇を閉じた。


 「そうかしら」


 温度は、変わらなかった。


 「あそこにいらっしゃる方々にも、来季はございましてよ」


 *


 馬車の中で、レティシアは膝の上を見ていた。


 得たものが、一つある。


 この人は、席を動かすと言わなかった。


 来季がある、と言っただけだ。


 言われた者が、自分で数える。


 自分の、来季を。


 ――形が、ない。


 お義母さまの手には、形があった。


 黙らせる。教えない。抜く。


 形があるものは、裏返せた。


 この人の手は、声だけでできている。


 声は、裏返せない。


 胸の奥が、静かに冷えた。


 冷えたところに、もう一つ、落ちてきたものがあった。


 あの広間で、この人は一度も嘘をつかなかった。


 『わたくし、何もしておりませんもの』

 『そうなるだろう、と申し上げただけ』


 本当のことだけを、言っている。


 本当のことだけで、王妃は疚しくなった。


 *


 王妃宮の扉を、下働きの娘が開けた。


 いつもの朝と、同じだった。


 机に、紙が置いてある。


 『王妃宮の朝 ――誰がやってもよいこと』


 書き足された行が、また増えていた。


 娘の字だった。


 レティシアは、その一行を読んだ。


 読んでから、羽根ペンを取った。


 まだ、間に合う。


 そう、思った。

第二章もお読みくださりありがとうございます。

同じ言葉を、同じ形で三度置く。それだけで脅しになる――社交には、そういう文法があります。ベアトリスの「お強いのね」を、回を追って数えてみてください。

次は「来季には、居ないそうです」。紙は一枚も動かないのに、人が去っていきます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ