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「砂浜を眺める人魚の姫は~~今日も人間になる夢を見る~~しゃりしゃり砂を踏みしめて~~砂浜で踊る夢を見る~~♪」
部屋に置かれていたタオルを手に取ると、鼻歌交じりにワインの染み込んだシャツにそれを当てる。
もうワインがかかった痕跡はほとんど無い。あとは水気を拭き取って元の状態に戻したらお終いだ。
それにしても、クライン子爵が誘惑できそうもない相手で一時はどうなることかと思ったけれど、睡眠薬さまさまだ。
なおこの睡眠薬は過去に別れさせ屋として協力した令嬢からもらったものだ。彼女とお相手を別れさせる際に、必要なら、と渡されたものだけれど、そのときは誘惑が成功したから使用しなかった。
そのため未使用の睡眠薬を返却しようとしたところ、今後必要になることがあるだろうから、と報酬代わりにくれたのだ。
そのおかげで今回は事なきを得た。
太っ腹の令嬢、最高!
「……うん?」
ふと気配を感じてドアの方を見ると、ドアの隙間から覗く目と目が合った。
「キャッ!?」
「あっ、すみません。わたくしです。カーリーです」
部屋の中を覗いていたのは、事の成り行きが気になったらしいカーリーだった。
部屋の中で会話をしたいところだけれど、万が一その瞬間にクライン子爵が起きたらすべての計画が崩れる。だからと言ってシュミーズ姿で廊下に出るわけにも行かない。
そのためあたしは少しだけドアを開けると、万が一クライン子爵が見てもあたしが誰と会話をしているのかが解らないように自身の身体でドアの隙間を隠しつつ、カーリーと小声で会話をする。
「クライン子爵は夢の中よ。服も脱がせておいたから、準備はバッチリだわ」
「わたくしはいつ頃入ってくれば良いでしょうか」
「どうかしらね。即効性はあるけれど持続性は無い睡眠薬だから、何時間も待つ必要はないわ。あたしが自分で使用した際には一時間経たずに起きたわね」
「では約一時間後に部屋に入ればいいのですね!」
あたしはドアの隙間からカーリーに向かってウインクをして見せた。
「一時間経っても起きなかったら、あたしがクライン子爵を起こすわ。でもカーリーが一時間も部屋を覗いていると警備員に怪しまれるから、一旦パーティー会場に戻ってちょうだい」
「分かりました。後ほどまた来ますね」
「そのときは婚約相手を寝取られた悲劇のヒロイン役の仮面を被ってきてね」
「が、頑張ります」
そういえばカーリーの演技力は大丈夫だろうか。先程はワインを差し入れるだけで説明口調になっていたけれど。
……まあ、あまりにも酷い場合はあたしが大袈裟に騒いでカーリーの大根具合を覆い隠そう。
「自分の尾の魅力を~~人魚の姫は気付いていない~~朝陽を反射する鱗は~~人間たちの憧れなのに~~何も知らない人魚の姫は~~今日も人に憧れる~~♪」
クライン子爵のシャツも乾き、やることの無くなったあたしは、ベッドに寝転んで鼻歌を歌った。
もういつクライン子爵が起きてもオーケーだ。むしろ早く終わらせて肩の荷を下ろしたいくらいだ。
「寝顔は可愛い……ということもないわね」
クライン子爵の眉間には、寝ていてもしわが寄っているようだ。
長い前髪をもってしても隠しきれないこのしわを消して、長い前髪を切って、もっと口角をあげれば、ここまで怖い印象は持たれないだろうに。
「決して不細工ではないけれど、素材を台無しにしているのよね」
クライン子爵の頬に指を当てて、無理矢理口角を上げさせる。
こうしていれば、近寄りがたい雰囲気が緩和されるのに。
「素材を台無しにしていて悪かったな」
クライン子爵の眉間のしわを眺めていると、その下にある目がカッと見開かれた。
「ローガン様!? 起きていらしたのですか!?」
突然開かれた目に見つめられて身体が硬直する。
落ち着け、大丈夫だ。計画には何の支障も無い。
「ああ。俺はぐっすりと眠っていたようだな」
「ローガン様。寝る前の出来事は覚えていらっしゃいますか?」
「君にワインをかけられて、この部屋でシャツのシミ抜きをしていた」
「そのことではなく、ええと、二人の姿のことです」
あたしに言われたクライン子爵は、ここで初めて自身が服を脱いでいることに気付いたらしい。
「俺は余所の屋敷で服を脱いで寝るような人間ではないはずだが……」
そしてあたしの格好に目をやったクライン子爵は絶句した。
ややあってから、絞り出したような声が聞こえてきた。
「君は……なぜそのような姿なんだ?」
「ローガン様、まさかあたしとのことをお忘れになったのですか!?」
「いや、そんなはずはない」
クライン子爵は口では否定したものの、明らかに顔が青褪めている。
「そんなはずはないなんて、あんまりですわ!」
「悪いが本当にそんなはずはない。俺が君みたいな人と寝るはずがない。なぜなら君は俺の好みではないからだ」
起きた途端に失礼な男だ。
クライン子爵だってあたしの好みではない。あたしのことをこんな風に言う男は絶対に願い下げだ。
しかしあたしはそんな心の内を隠して、可哀想な令嬢の演技を続ける。
「あたしとのことは間違いだった、気の迷いだったと仰るのですか? あんなに愛を囁かれていたのに?」
「俺が愛を囁くはずがない。なぜなら俺は、君のことを一切愛していないからだ!」
「失礼な意見かもしれませんけれど、ローガン様は欲求不満だったのではないでしょうか。だから愛していないあたしのことを抱いたのです」
「何度も言わせるな。いくら欲求不満だったとしても、君のことを抱くなどあり得ない!」
さすがに失礼すぎるのではないだろうか。
あたしは、自分で言うのもアレだけれど美人な方だ。パーティーへ行くと様々な男性から声を掛けられるくらいには。
……ただしあたしの気が強いため、話しかけてきた男性は少し会話をすると離れていきはするけれど。
「盛り上がった男女は、理性とはかけ離れた行為をするものですわ」
「君と盛り上がった覚えはない。君と盛り上がるようなことはあり得ない」
お願い、カーリー。早く来て。
クライン子爵の相手は辛すぎる。
「本当にあたしには魅力の一つも無いと仰るのですか!?」
「……歌だけは良いと思う」
「あたしの歌を聴いていたのですか!? 狸寝入りだったということですか!?」
クライン子爵はいつ目を覚ましたのだろう。あたしは歌の他に、何か聞かれると困るようなことを口走ってはいなかっただろうか!?
そんなことを考えて焦るあたしを見ながら、クライン子爵が一人でうんうんと頷いた。
「良い歌声だった。怪物みたいで」
「怪物みたいで!?」
上げてから落とすのはやめてほしい。
というか、怪物みたいな歌声って何!?
怪物の鳴き声みたいな、ぼげえええーー!って歌声だったということ!?
そんなのまったく良い歌声じゃないでしょうに。クライン子爵の感性は一体どうなっているの!?
「失礼します。クライン子爵、そろそろパーティー会場に戻っていただけると……」
そのとき、カーリーがドアを開けた。
やっとクライン子爵と離れられるとホッと胸を撫で下ろしたけれど、今度は別の問題が勃発した。
「クライン子爵。どうしてそのような姿で女性と一緒にベッドで寝ているのですか。まさか浮気をなさっているのですか。わたくしという婚約者がありながら酷いです。涙が止まりません」
酷いのはカーリーの大根具合の方だ。
ワインを持ってきた際の説明ゼリフで予想してはいたけれど、こんなにも演技が下手だなんて。
婚約者の浮気にショックを受けている場面なのに、棒読みも良いところだ。
「ああっ! まさか婚約者様に見られてしまうなんて! 申し訳ございません。あたしたち、盛り上がったあまり、過ちを犯してしまいました!」
カーリーの代わりに、あたしが精一杯感情を込めてセリフを言った。
クライン子爵の反応はどうかと顔を覗くと、先程よりもさらに顔が青褪めていた。
「これは違う。事実無根だ」
「ローガン様、諦めましょう。このような姿で一緒に寝ているところを目撃されては、弁明のしようがありませんわ」
「クライン子爵の浮気者。婚約は破棄させていただきます!」
カーリーが棒読みで叫びながら走り去った。
「……はあ」
「ええと。大変なことになりましたね」
「俺も、もう帰らせてもらう」
カーリーは棒読みだったけれど、クライン子爵はカーリーの演技を信じたらしく、暗い顔をしながらとぼとぼと部屋を出て行った。
「……これ、成功したのよね?」
いろいろあったけれど、別れさせ屋のミッションコンプリートだ。




