●35
「うーん、涼しい」
「ああ。今日は夜風が気持ち良いな」
「…………」
庭園にやって来たあたしの隣には、当然のようにクライン子爵がいる。これではパーティー会場から場所を移しただけで、状況がまるで変わっていない。
「あたしは一人で夜風を浴びたかったんですけれど?」
「独り占めしようとしなくても、俺は夜風を奪ったりはしない」
「夜風を独り占めしたいから一人が良いわけじゃないですからね!? と言うか何なんですか、夜風を独り占めしたいって。そんな概念は知りません!」
せっかく気持ちの良い夜なのに、こんなにぷりぷりしないといけないなんて。
もう今日はクライン子爵の話し相手という仕事をしに来た、と割り切るしかないか。
「前から気になっていたのだが」
あたしが、無料より高いものは無い、と自身の身に着けるドレスとアクセサリーを眺めながら思っていると、クライン子爵が呟くように述べた。
「そもそもどうして君は別れさせ屋なんてものをやっているんだ?」
「えっ」
今、クライン子爵ははっきり「別れさせ屋」と口にした。
前までは「あのような行為」と言っていたのに。
きっと今日までの間に、経緯は知らないけれど、あたしのやっている別れさせ屋の情報を得てしまったのだろう。
「悪戯目的か? だとしたらずいぶんと趣味の悪い悪戯だな」
「悪戯なんかじゃありません」
「では、何が目的だ? 何のために別れさせ屋なんてやっている?」
「…………結婚によって不幸になる令嬢を生み出さないようにするために、です」
言うべきか否か迷ったけれど、なんだかもう疲れてしまった。だからあたしは、下手に隠すようなことはせずにすべてを打ち明けることにした。
「結婚によって不幸になる令嬢? どういうことだ」
「言葉通りの意味です。あたしのお姉様は、結婚によって不幸になってしまったんです。虐げられて、毎日泣いて……結婚する前から結婚相手が良くない人物だと分かっていたのに、相手の爵位が高かったため断ることが出来なかったんです」
結婚相手が嫌な人間だと分かった上で嫁ぐのは、どのような気持ちがするのだろう。
きっと最悪な気分に違いない。
「だからあたしは、結婚を断ることの出来ない令嬢に、結婚をやめるに値する理由を作ってあげていたんです。結婚によって不幸になることがないように」
「この前のラッセル伯爵の件、彼の婚約者はマイヤーズ伯爵令嬢だったと聞いた。君が何もしなくても、結婚を断ることが可能な相手だったのではないか?」
「相手と爵位が同じであろうと、親の決めた結婚を断ることの出来る令嬢は少ないんです。それが貴族令嬢の宿命です」
家門を繫栄させるためだとか、金銭が必要になったとか。そういった事情を背負って結婚をする令嬢は少なくない。その場合、個人の事情で結婚をやめることは不可能なのだ。
「そうだったな……君の行為によって、その状況が変わったと?」
「マイヤーズ伯爵令嬢の場合は、そうですね。ただし当然、何も変わらない令嬢もいますけれど。それでも悪あがきをしたという事実は大切です。何もしなかった後悔を抱えながら結婚をするよりは、多少は抵抗をした事実があった方が諦めもつきます」
「そういうものか?」
「そういうものですよ」
きっと「あのとき何かをしていれば」と後悔し続けるよりも「あのとき自分は全力を尽くした」という事実があった方が、前を向いて歩ける。あたしはそう思って、別れさせ屋の活動をしていた。
「貴族令嬢に生まれた以上、ある程度は家門の道具になる覚悟をしていますけれどね。あたしだっていつかは結婚をしないといけません。この年齢になるまで良い暮らしをさせてもらったので、結婚で少しは家に還元をしないと」
「それで見合いをしまくっているわけか」
「不幸な結婚をする令嬢を減らしたいと思って別れさせ屋をしていたあたしが不幸な結婚をする、という皮肉みたいな結果になるかもしれませんけれどね。でも幸せな結婚が出来る貴族令嬢なんてごくわずかでしょうから、それも仕方のないことだと思っています」
「結婚をした多くの貴族令嬢が虐げられている、と?」
クライン子爵が怪訝そうな顔で質問をした。
これにあたしは頷く。
「あたしの家は比較的平和ですけれどね。それでもお母様がお父様の意見に反対しているところは見たことがありませんし、お母様が一人でこっそり泣いていることがあるのも知っています。それでもお父様に虐げられているわけではないので、幸せな方なのでしょう」
「…………うちの家系は」
たっぷりと間をあけてから、クライン子爵が告げた。
「代々、女の方が強い」
クライン元子爵を見たことはないけれど、ものすごく説得力のある言葉だ。
あの元子爵夫人ののびのびとした姿を見る限り、絶対に虐げられてはいない。
「確かに強いですよね、元子爵夫人。ニコニコ笑いながらすべての要求を通すタイプです」
「母だけではなく、祖母も強い。母以上に強い」
「元子爵夫人以上に!?」
元子爵夫人以上に強いなんて、一体どのような人物なのだろう。元子爵夫人と同系統の笑顔で要求を通してくる人なのか、それとも氷の女王のように冷徹な人なのか。あるいは単純に腕力の強い人なのか。
どれであってもかなりの曲者に思える。
「母も祖母も、虐げられる姿が想像できないような人だ。だからすべての家庭で妻が虐げられているわけでもないと思う」
「いやあ、どうでしょうね。クライン子爵のところはかなり珍しい例だと思います。だってあたし、社交界で女性の方が強い夫婦は見たことがありません」
あたしの言葉を聞いたクライン子爵は、少し考えてから言葉を発した。
「うちも社交の場では、母が父を立てているぞ。普段の母とは別人かと思うほどに、夫に従順な妻を演じている」
「そう、なのですか?」
「社交の場は社交の場、プライベートはプライベートだからな。つまり目に見えるものが真実とは限らない。君が見ているものは、普段とはまるで違うよそ行きの姿の可能性もある」
「それは……確かにそうかもしれませんね」
誰だって社交の場では「よそ行きの自分」を演じる。あたしだって多少は猫を被る。
と言うことは、これまであたしが社交界で見てきた数多の夫婦の姿は、あくまでもよそ行きだった? 本当の姿は違っていた?
……分からない。よそ行きではない夫婦の姿なんて、自身の両親くらいしか見ることが出来ないから。




