●16
「おはようございます、クライン子爵。今日は一段と暗いオーラを放ってますね!」
仕事をしていると、忠実だが一言余計な部下のブライアンが、いつものように余計な一言を口にした。
「どうせ俺は、嫌われ者のローガン・クラインだ」
「別にそんなことは言ってないじゃないですか」
いいや。事実、俺はみんなに嫌われている。婚約破棄された回数が片手では足りないほどの、嫌われ者だ。
そして昨日、その回数がまた増えてしまった。
「暗い気分を吹き飛ばすなら、楽しいことをするに限ります。演劇を見たり、オペラを聴いたりするのも良いかもしれません。それか僕の最新ゴシップネタでも聞きます? 良い情報を仕入れてるんですよー。僕はゴシップ誌の記者になってたら天下を取ってましたね、きっと」
「今からでも転職するか? 知り過ぎた記者は消されるのが世の常だが」
「怖いことを言わないでくださいよー。それに僕は転職する気はありません。ゴシップは趣味だからこそ楽しめるんです。仕事になったら、僕はきっとゴシップを生み出しちゃいますしね。いわゆる捏造記事を書いちゃうと思います、お金のために」
「お前の方が怖いことを言っている気がするぞ。お前は世のため人のためにうちで飼い殺しにした方が良いのかもしれないな」
何故ならこんなにも倫理観のおかしな人間を同じく倫理観のおかしな会社に勤めさせたら、町をめちゃくちゃにされてしまう。
この町を管理する者として、危険人物は責任を持って雇っておかなければ。そうでないと他所で何を仕出かすか分かったものではない。
「とにかく、クライン子爵はもっと趣味を見つけた方が良いですよ。楽しいことをしたら、その眉間のしわも薄くなるはずですよー」
「お前は相変わらず一言余計だな」
「お褒めいただき光栄です!」
「褒めてなどいない。それにしても、オペラ……歌か」
歌と聞いて思い出すのは、あの天使の歌声だ。
悪魔のような女性だったが、歌声だけは素晴らしかった。
あの歌をもう一度聴きたい。あの歌を聴けばきっと、辛い気持ちも癒やされるはずだ。
……あの女性の関与したハニートラップからの婚約破棄で傷付いた心を、あの女性の歌声で癒やすなんて、とんだマッチポンプだ。
しかし聴きたい気持ちはどうしようもない。
そうだ、あの女性に手紙を出そう。俺の屋敷に来て歌ってくれるように。ハニートラップを仕掛けた手前、罪悪感からきっと屋敷に来るはずだ。
すぐにでも茶会を開いて、歌を歌わせよう!
* * *
予想外だったのは、茶会に母が出たがったことだ。
俺が自ら積極的に女性を屋敷に呼ぶことが初めてのため、母はあの女性に興味を抱いてしまったらしい。何度も断ったが、母は一度決めたら他人の意見を聞くような性格ではない。
まあ母が同席していても大した害は無いだろうと思い直し、俺は母も入れた三人で茶会を開くことにした。
予想外だったと言えば、もう一つ予想外だったことがある。
俺を罠にハメようとしていたのに、あの女性はパーティーで俺に本名をバラしていたのだ。
メイジー・エバンズ。
こういうときは普通、偽名を使うと思うのだが、彼女には危機感が欠けているのだろうか。
……彼女の名前を覚えておらず、顔の広い母に彼女の名前を調べてもらった俺の言うことではないが。
そして茶会当日。
屋敷に来たエバンズ男爵令嬢のことを、やたらと母が気に入っていた。
「ローガンってひねくれてるでしょう? だから優しい子はローガンのせいで思い詰めて気を病んでしまうのよ。この前婚約を破棄したご令嬢もね、優しすぎてローガンの物言いで傷付いてたようなのよ」
「そ、そうなのですか」
そうだったのか。知らなかった。
カーリー嬢は俺のせいで傷付いていたのか。彼女には悪いことをしてしまっていたようだ。
また暗い気持ちになりかけた俺の耳に、母の嬉しそうな声が響いてきた。
「きっと割れ鍋に綴じ蓋ってやつだわ。メイジーさん、うちに嫁いでちょうだい!」
「えっと、たぶん、元子爵夫人の予想よりもずっとずっと悪女なんですの、あたし」
「悪女、大歓迎よ! 一緒に他の貴族たちを踏みつけて、のし上がって行きましょうね!」
いや、普通に妻が悪女は嫌だが!?
……と言っても母は聞く耳を持たないだろうから、言うだけ無駄か。
放っておいてもエバンズ男爵令嬢が俺と結婚をしたがるわけはないから、母には好きなように言わせておけばいい。
それはさておき、そろそろ今日の一番の目的を果たそう。
「……歌を」
「え?」
「嫁ぐ必要はないが、歌を聴かせてほしい」
「歌、ですか?」
エバンズ男爵令嬢はすぐには歌わなかった。
あれほどの完成度の歌だ。彼女は歌を安売りはしないのかもしれない。
「……俺に聴かせる歌はないと言いたいのか」
「別にそんなことは言っていませんわ」
「すぐに歌わなかっただろう」
「急に歌えと言われて、ノータイムで歌い出す人の方がまれだと思いますけれど!?」
では、歌ってくれるということだろうか。
「なら歌うのだな? 歌の内容はまかせる」
「はあ。では最近町で流行っている歌を」
エバンズ男爵令嬢は立ち上がると、アップテンポな曲を歌い始めた。
「朝焼けの町で、歌い踊る。人気のネックレスを、光らせながら♪」
確かに上手いが、俺の求めていた歌ではない。
歌に詳しくないため彼女にまかせると言ったが、間違いだったかもしれない。
「ローガンはこの美声にやられたのね!?」
「……別に」
あの日、エバンズ男爵令嬢が歌った歌は、こんなものではなかった。
もっと天使が歌っているかのような、セイレーンが歌っているかのような、身体に染み込む歌だった。
「人に歌わせておいて、別にって何ですか。もっと他に言うことがあるのではありませんか?」
「俺は流行りの歌はよく知らん」
「歌の内容はまかせると言ったのはあなたですよ!? まかせると言っておいて、好みじゃないと文句を垂れるのはナシでしょう!?」
確かにそうかもしれない。その点に関しては、俺が全面的に悪い。
しかし選曲をまかせると言ったら、一番得意な曲を歌ってくれると思ったのだ。
彼女の伸びやかな歌声の映える、優雅な曲を。
「この前歌っていたような、ゆったりとした曲を歌うと思った」
「そういうのが聴きたいならそう言ってくださいよ!? そういう曲を歌えば良いのですね!?」
エバンズ男爵令嬢は若干怒りながらも、この前の歌を口遊んだ。
そうだ、これだ。これが俺がずっと聴きたかった歌だ。やはり天使の歌声だな。
よし。このような素晴らしい歌を聴かせてもらった礼に、エバンズ男爵令嬢にはプレゼントを贈ろう。そして、もし可能ならまた屋敷に歌いに来てほしい、と誘ってみよう。
……来てくれるだろうか。
俺の陰気な顔など二度と見たくないと言われたらどうしようか。
それでもこの素晴らしい歌を、どうしても定期的に聴きたい!
……ああ。どうやら俺は、セイレーンの歌声にやられてしまったみたいだ。




