●15
(1)
微睡む中で聞こえてきたのは、天使の歌声だった。
優しく甘く、包み込むようでいて、自由で伸び伸びともしている、澄んだ歌声。
いつまでも聴いていたいと思ったところで、ハッとした。
今日、俺はパーティーに出席していたはずだ。それなのになぜ、天使の歌声を聴きながら微睡んでいるのだ?
「寝顔は可愛い……ということもないわね。決して不細工ではないけれど、素材を台無しにしているのよね」
天使の歌声が止み、代わりに聞こえてきたのは、軽い悪口だった。
「素材を台無しにしていて悪かったな」
「ローガン様!? 起きていらしたのですか!?」
どうせ俺は素材を活かすようなセンスを持ち合わせてはいない。
そんなことはわざわざ言われなくても分かっている。
「ああ。俺はぐっすりと眠っていたようだな」
「ローガン様。寝る前の出来事は覚えていらっしゃいますか?」
寝ぼけながら、記憶を辿る。
確か俺はパーティー会場でこの女性に話しかけられて、それで。
「君にワインをかけられて、この部屋でシャツのシミ抜きをしていた」
「そのことではなく、ええと、二人の姿のことです」
言われて自身の身体を見ると、上半身裸だった。
「俺は余所の屋敷で服を脱いで寝るような人間ではないはずだが……」
次に彼女の姿をよく見る。彼女はシュミーズ姿だった。
「君は……なぜそのような姿なんだ?」
「ローガン様、まさかあたしとのことをお忘れになったのですか?」
シュミーズ姿であたしとのこと、という言い方を考慮すると、おのずと答えは出る。
「いや、そんなはずはない」
信じたくない一心で否定をした。
この俺が、酒を飲んで羽目を外すなどあり得ない。俺はそのようなチャラチャラとした性格ではない。酒を飲んだとて、女遊びなど出来るはずがないのだ。
「そんなはずはないなんて、あんまりですわ」
俺の言葉を聞いた女性が悲しげな声を出した。
しかし申し訳ないが、俺にはまったく身に覚えが無い。それに。
「俺が君みたいな人と寝るはずがない。君は俺の好みではない。事実無根だ!」
……ああ、違うか。
「好みではない」ではなく正しく表現するなら「好みだと認識するはずがない」か。だってどこからどう見ても、目の前の女性は華やか過ぎる。
俺みたいな陰気な男が、このような華やかな女性を相手に、どうにかなろうとするはずがない。
自分のことは自分が一番分かっている。彼女と俺は、まったく釣り合っていない。そのような相手を、俺が恋愛対象の中に入れるわけがないのだ。
待て、落ち着け。今は彼女と自分との差について考えている場合ではなかった。
一旦、状況を整理しよう。
俺と彼女は同じベッドで寝ており、互いに薄着。俺に至っては上半身裸の有様だ。
この状況からまず思い浮かぶのが、酒に酔った俺がこの女性を襲ってしまったという事態だろう。
しかしその可能性は、明確に否定できる。
この女性は眠る俺の横で鼻歌を歌っていたのだ。無理やり襲われたのに、呑気に鼻歌を歌うわけがない。
では、合意の上か?
しかし俺には合意をした記憶も行為をした記憶も無い。そもそもこの華やかな女性が、俺との情事に合意をするはずがない。
「盛り上がった男女は、理性とはかけ離れた行為をするものですわ」
「君と盛り上がった覚えはない。君と盛り上がるようなことはあり得ない」
口下手な俺が、楽しい話題を提供できるとは思えない。
ゆえに誰かと会話が盛り上がることなど、あり得ないのだ。
「本当にあたしには魅力の一つも無いと仰るのですか」
魅力。あの天使のような歌声には、人を惹きつける魅力があった。
海には歌声で人を惑わせる怪物セイレーンが住むと言うが、その怪物の歌声も、きっとあのようなものなのだろう。
「……歌だけは良いと思う」
「あたしの歌を聴いていたのですか!? 狸寝入りだったということですか!?」
狸寝入りではなく、微睡んでいただけだ。頭が完全に覚醒する前の、夢と現実の間のような……それはまあいいか。
「良い歌声だった。怪物みたいで」
「怪物みたいで!?」
俺の褒め言葉を聞いた女性が、驚愕の表情を見せた。
セイレーンの話はあまり有名ではなかったのだろうか。
やはり俺は言葉のチョイスが下手なようだ。
何と言えば歌が良かったことを効果的に伝えられるだろうかと考えていると、部屋のドアがノックも無しに開けられた。
「失礼します。クライン子爵、そろそろパーティー会場に戻っていただけると……」
ドアを開けたのは、俺の婚約者であるカーリー嬢だった。
まずい。
いや、この女性と何かをした記憶は無いのだが、この状況はどう考えても誤解される!
「クライン子爵。どうしてそのような姿で女性と一緒にベッドで寝ているのですか。まさか浮気をなさっているのですか。わたくしという婚約者がありながら酷いです。涙が止まりません」
……なぜ棒読みなのだろう。
涙が止まりませんと言う割に、まったく感情が乗っていない。
「ああっ! まさか婚約者様に見られてしまうなんて! 申し訳ございません。あたしたち、盛り上がったあまり、過ちを犯してしまいました!」
一方で、目の前の女性は言葉に感情が乗りまくっている。いっそわざとらしいくらいに。
「これは違う。事実無根だ」
「ローガン様、諦めましょう。このような姿で一緒に寝ているところを目撃されては、弁明のしようがありませんわ」
「クライン子爵の浮気者。婚約は破棄させていただきます!」
また棒読みでセリフを言ったカーリー嬢が部屋から出ていった。
ここまで来れば、自分に何が起きているのか、鈍い俺でも分かる。
俺は彼女たちに、ハメられたのだ。
知らない女性と部屋に二人きりの状態で渡されたワインを飲むなんて、あまりにも迂闊だった。婚約者が持ってきたワインだから安全だと油断した俺の落ち度だ。
それにしてもカーリー嬢がここまでして俺と別れたかったなんて、まったく気付かなかった。口で言えばいいとは思うものの、カーリー嬢は気弱な性格のため難しかったのだろう。身分的な問題もあるから、きっと俺の有責で婚約破棄をするのが彼女の願いだったのだ。
それにしても、婚約者に嫌われていることを今まで気付けなかった自分が情けない。
俺自身がみんなから嫌われていることは知っていたはずなのに、カーリー嬢にだけは嫌われていないと考えていたなんて、自分で笑えてくる。
「……はあ」
俺のせいでカーリー嬢はどれほど悩んだのだろう。俺なんかとの婚約が決まったことで、彼女は枕を濡らす日々を過ごしたのだろうか。本当に申し訳ないことをした。
「ええと。大変なことになりましたね」
「俺も、もう帰らせてもらう」
俺は暗い気持ちのまま、部屋から出て行き、まっすぐに屋敷へと帰った。
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