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ECLIPSE CHRONICLE ー エクリプス・クロニクル ー  作者: 神宮せいや
ECLIPSE CHRONICLE:REBIRTH

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忘れられた名前

夜明け前。


王都セレスティアは深い静寂に包まれていた。


空はまだ群青色に染まり、東の空だけがゆっくりと白み始めている。


市場にはまだ人影はない。


酒場も扉を閉ざしたまま。


王城も、街も、穏やかな眠りの中にあった。


誰もが、いつもと変わらない朝を迎えるはずだった。


だが、その平穏の裏側では。


世界そのものが、静かに軋み始めていた。


世界再構築によって封印された記憶。


歴史から切り離された存在。


忘れ去られた英雄。


失われた真実。


それらが、誰にも気付かれることなく少しずつ目を覚まし始めていた。


王立図書館最上階。


歴史研究院専用書庫。


静まり返った書庫の窓際で、ルナリア・セレスは夜明けの空を見つめていた。


一睡もできなかった。


銀色の長い髪が月明かりを受け、静かに揺れる。


蒼銀の瞳には疲れが滲んでいた。


しかし、それ以上に深い喪失感が宿っていた。


胸が苦しい。


理由は分からない。


何かを失っている。


何かが足りない。


そんな感覚だけが、日に日に強くなっていく。


「……どうして。」


誰に向けた言葉でもない。


小さな呟きだけが静かな書庫へ溶けていった。


ここ数日、その違和感はさらに大きくなっていた。


頭の奥で、何度も同じ声が響く。


『思い出せ』


『まだ終わっていない』


「……誰なの。」


目を閉じる。


その声の主は分からない。


男なのか女なのかも分からない。


それでも、不思議と恐怖はなかった。


懐かしかった。


声を聞くたび胸が締め付けられ、涙が込み上げてくる。


まるで魂そのものが、その声を覚えているようだった。


ルナリアは静かに机へ視線を落とす。


そこには一冊の禁書が置かれていた。


世界再生以前の記録。


本来なら存在するはずのない書物。


読むたびに内容が変わる、誰にも説明できない異常な本。


「……何か教えて。」


そっと手を伸ばす。


表紙へ触れると、禁書は静かに開いた。


パラリ。


静かな音が書庫へ響く。


ページをめくる。


最後のページで指が止まった。


昨日現れた文字は、そのまま残っていた。


『英雄は死んでいない』


その文字を見るだけで胸が苦しくなる。


「英雄……。」


静かに呟く。


「あなたは誰なの……。」


答えは返ってこない。


それでも、その文字から目を離すことができなかった。


自分にとって、とても大切な存在だった。


理由は分からない。


だが、その確信だけは揺るがなかった。


ルナリアは震える指先で文字をなぞる。


その瞬間だった。


禁書が淡く発光する。


銀色の光。


まるで月光そのものが本の中へ宿ったような、美しく優しい輝きだった。


ルナリアは思わず息を呑む。


「また……。」


光は静かに広がっていく。


そして、空白だったページへ新たな文字が浮かび始めた。


ゆっくりと。


滲むように。


誰かが見えない筆で書き綴っているようだった。


『記憶の海へ来い』


「……記憶の海。」


その言葉を口にした瞬間。


胸の奥が熱くなる。


聞いたことのない名前。


だが、不思議だった。


知らないはずなのに。


どこかで知っている気がする。


忘れてしまっただけで、本当は知っている場所。


そんな確信が胸の奥から湧き上がる。


鼓動が速くなる。


ドクン。


ドクン。


ドクン。


「どうして……。」


思わず胸を押さえる。


忘れていた何かが、確かに反応していた。


その時だった。


バァンッ!!


突然、窓が激しい音を立てて開いた。


「きゃっ!」


強烈な風が書庫へ吹き込む。


机の上の資料が舞い上がり、本のページが激しくめくられていく。


パラパラパラパラッ――。


紙が宙を舞い、部屋中へ散らばる。


ルナリアは思わず目を閉じた。


風が収まる。


恐る恐る目を開くと、一枚の古びた紙が床へ落ちていた。


「これは……。」


拾い上げる。


黄ばんだ羊皮紙。


古い地図だった。


王都建設以前に描かれた古代地図。


現在では存在しないはずのもの。


そして、その中央には赤い印が刻まれている。


王都地下深く。


地図にも。


歴史にも。


一切記録されていない場所。


ルナリアは思わず息を呑んだ。


「……ここ。」


誰かに教えられたわけではない。


見たこともない場所のはずだった。


それなのに。


見た瞬間、確信してしまった。


ここへ行かなければならない。


誰かが待っている。


そんな気がしてならなかった。


「記憶の海……。」


無意識にその名を呟く。


すると禁書は静かに閉じた。


パタン。


まるで役目を終えたように。


書庫は再び静寂へ包まれる。


ルナリアは地図を胸に抱きしめた。


もう迷いはなかった。


行かなければならない。


真実を知るために。


忘れてしまった記憶を取り戻すために。


そして。


胸の奥で、自分を呼び続ける誰かのために。


窓の外では朝日が昇り始めていた。


世界はまだ平和だった。


誰も気付いていない。


忘れられた歴史が目覚め始めていることを。


消された英雄が帰ろうとしていることを。


そして。


止まっていた運命が、再び静かに動き始めていることを。


その頃――。


遥か世界の外側。


黒い星。


誰も辿り着くことのできない観測者領域で、一人の少年が静かに空を見上げていた。


黒髪。


蒼い瞳。


傷だらけの身体。


それでも、その瞳に宿る意志だけは決して揺らがない。


シオン・アルヴィス。


世界から忘れられた英雄。


黒星王。


ふと、シオンは微かに笑った。


胸の奥に温かな光を感じたからだ。


遠く。


遥か遠く離れた世界から。


懐かしい想いが確かに届いていた。


「……ルナリア。」


その名を静かに口にする。


世界が二人を引き離しても。


記憶を消し去っても。


魂だけは繋がっている。


その想いだけは、誰にも消すことはできない。


「もう少しだけ待っていてくれ。」


小さく呟き、シオンはゆっくりと立ち上がる。


帰るために。


約束を果たすために。


忘れられた未来を取り戻すために。


物語は再び動き始める。


誰にも知られないまま。


静かに。


そして、確実に。

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