「封印された王」
夜明けは静かに王都セレスティアを包み込んだ。
白亜の街並みを朝日が照らし、人々はいつもと変わらない一日を迎えている。
商人たちは店先に商品を並べ、子どもたちは友人と笑いながら学校へ向かう。
兵士たちは城下を巡回し、平和な朝の景色が街中へ広がっていた。
誰も知らない。
この平穏の裏側で、世界そのものが静かに軋み始めていることを。
王立歴史研究院。
最上階書庫では、ルナリアが朝から机に向かっていた。
机いっぱいに積み重ねられた資料。
古代文明。
世界再生以前の歴史。
月の民。
管理者伝承。
禁書目録。
思いつく限りの文献を開き、何度も読み返している。
だが、答えは見つからなかった。
「……ない。」
小さく息を吐く。
重要な記録だけが存在しない。
誰かが意図的に削除したかのように、肝心な部分だけが消えている。
昨日見た夢も。
禁書から消えた名前も。
何一つ説明できる記録は残されていなかった。
ルナリアはゆっくり本を閉じる。
疲労が瞳に滲む。
それでも諦めようとは思わなかった。
胸の奥が訴えている。
探せ。
思い出せ。
忘れてはいけないものがある、と。
その時、静かに扉が開いた。
「ルナリア。」
聞き慣れた声だった。
振り返ると、アリアが立っている。
だが、その後ろにはもう一人の姿があった。
白銀の髪。
整った顔立ち。
蒼い外套をまとった青年。
王国最高峰の歴史学者であり、世界再生後の文明復興を支えた英雄。
レオニクス・ヴァルハルトだった。
「レオニクス?」
ルナリアは驚きの声を漏らす。
「どうしたの?」
レオニクスは答えず、一枚の古びた羊皮紙を机へ置いた。
「これを見てほしい。」
その声音には、いつもの穏やかさがなかった。
ルナリアとアリアは顔を見合わせ、羊皮紙へ視線を落とす。
そこには古代文字がびっしりと刻まれていた。
誰にも解読できない文字。
だが中央だけは違う。
その四文字だけが、はっきりと読めた。
『黒星王』
「……!」
ルナリアの胸が大きく脈打つ。
アリアも思わず息を呑んだ。
書庫の空気が一瞬で張り詰める。
ズキン――。
また胸が痛む。
その文字を見るたび、心の奥底で何かが反応していた。
「どこで見つけたの?」
ルナリアが静かに尋ねる。
レオニクスは短く答えた。
「王都地下だ。」
「地下?」
「ああ。禁書保管区画の最深部。」
その言葉にアリアの表情が変わる。
「あそこは封印区域のはずだ。」
「その封印が昨夜、突然反応した。」
静寂が落ちる。
世界再生以来、一度も動かなかった封印石碑。
それが突然目覚めた。
偶然とは思えなかった。
「何が起きたの?」
ルナリアが問いかける。
レオニクスはもう一枚の資料を取り出した。
「監視記録だ。」
そこには石碑が光を放つ映像が映し出されていた。
古代文字が浮かび上がり、その中央には『黒星王』の文字。
だが、それだけでは終わらない。
映像の最後。
ほんの一瞬だけ、新たな文字が浮かび上がっていた。
誰にも読めない古代文字。
だが、レオニクスだけは理解してしまった。
「……何て書いてあったの?」
ルナリアが息を詰める。
レオニクスは少しだけ目を閉じ、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「『帰還』だ。」
「帰還……?」
「ああ。」
そして静かに続ける。
「黒星王、帰還。」
その瞬間、ルナリアの鼓動が激しく鳴り響いた。
ドクン。
ドクン。
ドクン。
まるで、その言葉を魂が覚えているかのようだった。
「どうして……。」
ルナリアは胸を押さえる。
「この名前を聞くと、こんなに苦しいの……?」
アリアが心配そうに肩へ手を置く。
「無理をするな。」
「大丈夫……。」
そう答えたものの、声には力がなかった。
その時だった。
ゴォォォォォォン――。
研究院全体が大きく揺れる。
本棚が軋み、窓ガラスが震えた。
「地震?」
レオニクスは首を振る。
「違う。」
三人は同時に窓の外へ目を向ける。
青空の中心。
何もないはずの空に、黒い点が現れていた。
ほんの一瞬。
瞬きをするほど短い時間。
それでも確かに存在していた。
ルナリアは息を呑む。
恐怖ではなかった。
胸に込み上げてきたのは、どうしようもない懐かしさだった。
「あれ……。」
自然と手が伸びる。
「あの光……。」
夢の中で聞いた優しい声が胸の奥で蘇る。
『大丈夫だ。』
「……!」
ルナリアの瞳に涙が滲む。
次の瞬間、黒い点は跡形もなく消え去った。
まるで最初から存在しなかったかのように。
同じ頃――。
王都地下最深部。
禁書保管区画のさらに奥。
誰一人立ち入ることを許されない封印領域では、古代石碑の輝きがさらに強さを増していた。
無数の古代文字が浮かび上がる。
その中央には『黒星王』。
さらに、その下へ新たな文字がゆっくりと刻まれていく。
『観測者接続確認』
ドクン。
石碑が鼓動する。
ドクン。
まるで巨大な心臓のように脈打ち続ける。
そして世界の外側。
誰にも観測できない漆黒の星の内部で、一人の存在が静かに瞳を開いた。
蒼く輝く瞳。
その視線は王都を見つめている。
ルナリアを。
アリアを。
レオニクスを。
そして、自らを忘れてしまった世界そのものを。
静かな微笑みが浮かぶ。
長い眠りは終わろうとしていた。
忘れられた英雄。
封印された王。
その帰還へ向けて、世界の歯車は再び静かに動き始めるのだった。




