「月の少女の決意」
夜明け前だった。
世界は静まり返っている。
誰も眠れてはいなかった。
明日が来る保証などどこにもない。
だからこそ。
誰もが静かにその時を待っていた。
世界樹アストレア最上部。
誰もいない展望台。
そこへ一人の少女が立っていた。
ルナリア・セレス。
銀色の髪が夜風に揺れる。
蒼い瞳は空を見上げていた。
空の亀裂。
赤い瞳。
星喰い。
終末。
全てがそこにある。
胸元の月のペンダントが静かに光る。
蒼白い光。
懐かしい温もり。
その光と共に。
セレネの声が響いた。
『眠れなかったのね』
ルナリアは小さく笑った。
「そりゃね」
掠れた声だった。
『怖い?』
問い掛け。
優しい声。
母のような。
姉のような。
遥か昔に生きた少女の声。
ルナリアはしばらく答えなかった。
そして。
正直に言った。
「怖いよ」
夜風が吹く。
世界樹の葉が揺れる。
「死ぬのも怖い」
「消えるのも怖い」
「みんなと離れるのも怖い」
言葉が止まらない。
今まで誰にも言えなかった本音。
弱さ。
不安。
悲しみ。
全部が溢れ出していた。
「本当は嫌だよ……」
涙が零れる。
止まらない。
「もっとみんなといたい」
「もっと旅したい」
「もっと笑いたい」
「もっと――」
言葉が詰まる。
脳裏に浮かぶ。
シオンの笑顔。
アリアの呆れた顔。
ガルドの豪快な笑い声。
エリナの元気な声。
ノクスの不器用な優しさ。
セラフィナの小さな笑顔。
レオニクスの真っ直ぐな瞳。
全部。
失いたくなかった。
『それでいいの』
セレネが言う。
『逃げたいと思うのも』
『怖いと思うのも』
『失いたくないと思うのも』
『全部人間だから』
ルナリアは唇を噛む。
涙を拭う。
それでも止まらない。
「セレネはどうだったの」
静かな問い。
最初の月の巫女は少しだけ黙った。
長い沈黙。
そして。
小さく笑う。
『私も同じだった』
月明かりが揺れる。
『守りたい人がいた』
『愛した人がいた』
『未来を夢見ていた』
ルナリアは息を呑む。
『だから泣いた』
セレネの声は震えていた。
何千年も前の少女も。
同じように苦しんでいた。
同じように迷っていた。
『でも』
その声が優しくなる。
『それでも私は選んだ』
風が吹く。
月光が世界を照らす。
『守りたかったから』
その一言だけだった。
だが。
ルナリアの胸に深く刺さる。
守りたい。
その気持ちは自分も同じだった。
世界のためじゃない。
使命のためでもない。
ただ。
大切な人達を守りたい。
その想いだけだった。
ルナリアは空を見上げる。
赤い瞳がこちらを見ている。
終末が迫っている。
残された時間は少ない。
だから。
ゆっくりと目を閉じた。
深く息を吸う。
そして。
静かに覚悟を決める。
もう迷わない。
もう逃げない。
たとえ。
どんな未来が待っていても。
『決めたのね』
セレネが言う。
ルナリアは頷く。
涙はもう止まっていた。
代わりに。
その瞳には強い光が宿っていた。
「うん」
小さな声。
だが確かな声。
「私が終わらせる」
世界が静まる。
風が止まる。
月だけが見守っている。
ルナリアは拳を握る。
震えていた手はもう震えていない。
「みんなを守る」
「シオンを守る」
「この世界を守る」
その言葉は祈りだった。
決意だった。
そして。
別れの言葉だった。
誰にも聞こえない。
誰にも伝わらない。
少女だけの誓い。
その時だった。
遠くから声が聞こえる。
「ルナリアー!」
ガルドだった。
避難区域の確認をしているらしい。
その後ろではアリアが呆れた顔をしている。
エリナも手を振っている。
仲間達の姿。
大切な人達。
ルナリアは微笑んだ。
心から。
本当に。
最後かもしれないから。
だから。
今だけは笑う。
「今行く!」
返事をする。
いつも通りに。
何も変わらないように。
そして歩き出す。
誰も知らない。
この少女がどんな覚悟を決めたのか。
誰も知らない。
その胸の中にある真実を。
だが。
月だけは知っていた。
最初の月の巫女だけは知っていた。
そして。
終末の時は確実に近付いていた。
世界の運命を変える最後の決断が。
静かに下されたのだった。




