「失われた約束」
「シオン……」
その声は確かに聞こえた。
戦場の喧騒。
崩れゆく大地。
渦巻く星晶の嵐。
その全ての中で。
ノクス・ヴァーミリオンの震える声だけが、異様なほど鮮明に響いた。
シオンは目を見開く。
黒星晶が脈打つ。
ドクン。
ドクン。
ドクン。
胸が苦しい。
理由は分からない。
だが。
その名前の呼び方を知っている。
何度も聞いたことがある。
そんな気がした。
「お前……」
シオンが一歩前へ出る。
ノクスもまた動けなかった。
黒い瞳。
蒼い瞳。
二人の視線が交差する。
その瞬間だった。
世界が白く染まった。
崩壊した世界。
赤黒い空。
砕けた月。
燃え続ける大地。
無数の屍。
終わりを迎えた文明。
その中心に二人は立っていた。
若いシオン。
そしてノクス。
今とは違う。
もっと傷だらけだった。
もっと絶望の中にいた。
それでも。
二人は笑っていた。
『馬鹿だな』
過去のノクスが言う。
『本当にやるのか』
過去のシオンが笑う。
『やるしかないだろ』
その声には覚悟があった。
諦めではない。
決意だった。
『失敗したら?』
『その時はまたやり直せばいい』
『世界ごとか?』
『ああ』
『本当に馬鹿だな』
『知ってる』
二人は笑う。
戦場なのに。
世界が終わる寸前なのに。
なぜか笑っていた。
信じていたからだ。
互いを。
未来を。
そして。
仲間達を。
映像が切り替わる。
今度はもっと後。
最後の戦場。
巨大な星喰い。
世界を覆う赤い瞳。
その前で。
シオンは血だらけだった。
立っていることすら奇跡。
だが。
それでも前を向いている。
ノクスが叫ぶ。
『やめろ!!』
『それを使えば消える!!』
シオンは振り返る。
優しく笑う。
『知ってる』
『なら何でだ!!』
ノクスの声は震えていた。
怒りではない。
恐怖だった。
失うことへの恐怖。
だが。
シオンは静かだった。
『頼む』
その一言。
『世界を守ってくれ』
ノクスの瞳が揺れる。
『ふざけるな』
『そんなの自分でやれ』
『できないんだ』
シオンが苦笑する。
そして。
初めて弱さを見せた。
『俺じゃもう無理なんだ』
風が吹く。
崩壊する空。
泣いている仲間達。
その全てを見ながら。
シオンは言った。
『だから任せる』
『お前に』
「やめろおおおおお!!」
ノクスが絶叫した。
現実へ戻る。
大地が砕ける。
星喰いの瘴気が暴走する。
アストレア全域が揺れた。
七章で静観していたゼノアの瞳が細まる。
「思い出したか」
低い声。
その表情から初めて余裕が消える。
ノクスは頭を抱える。
膨大な記憶。
消された歴史。
封印された真実。
全てが流れ込んでくる。
「違う……」
震える声。
「俺は……」
黒い粒子が吹き荒れる。
星喰いの力。
だが。
その奥から別の力が現れ始める。
黄金でもない。
黒でもない。
蒼い光。
過去世界でシオンと共に戦った証。
忘れ去られた力。
レオニクスが目を見開いた。
「まさか……」
記録でしか見たことがない。
失われた英雄の力。
最後の観測者に付き従った者だけが持つ力。
「観測者の加護……!」
ゼノアの顔が歪む。
初めてだった。
最高司祭が感情を露わにしたのは。
「あり得ない」
静かな怒り。
「なぜ今になって」
その時。
シオンが前へ出る。
黒星王の力が溢れる。
ノクスの前へ。
敵としてではない。
友として。
「思い出したか」
静かな声。
ノクスの瞳から涙が零れる。
止まらない。
何百年も。
何千年も。
忘れさせられていた感情。
それが今。
溢れていた。
「……ああ」
震える声。
「全部じゃない」
「でも」
ノクスは顔を上げる。
黒い瞳の奥に。
確かな意志が戻り始めていた。
「お前を忘れたことだけは分かった」
沈黙。
ルナリアが息を呑む。
アリアも。
ガルドも。
セラフィナも。
誰も言葉を発せない。
その言葉は重かった。
あまりにも。
「悪かった」
ノクスが言う。
「守れなかった」
「約束も」
「仲間も」
「お前も」
シオンは少しだけ笑った。
「あのな」
黒星王ではない。
ただのシオンとして。
「今さらだろ」
その瞬間。
ノクスが初めて笑った。
戦場で。
絶望の中で。
何百年ぶりかも分からない笑顔だった。
だが。
それを許さない者がいる。
黄金の光が膨れ上がる。
ゼノアだった。
「もう十分だ」
世界が震える。
天空神殿エデンが唸る。
七つの巨大魔法陣。
世界樹すら軋む圧力。
「思い出されては困る」
黄金の瞳が冷たく輝く。
「歴史はここで終わる」
神にも等しい力が解放される。
アストレア全域を覆う巨大な光。
絶望。
破滅。
終焉。
その全てが降り注ごうとしていた。
そして。
ノクスは静かにシオンの前へ立つ。
かつて守れなかった約束。
今度こそ果たすために。
「今度は」
黒い外套が揺れる。
「俺が守る」
その言葉と共に。
黒き将は剣を抜いた。
最高司祭ゼノアとの戦いが。
ついに始まろうとしていた。




