「失われた記憶」
ノクスの瞳から涙が零れ落ちる。
静寂。
誰も動けなかった。
七星将達ですら。
星喰融合将。
教団最強。
感情を持たない兵器。
そのはずだった。
だが今。
彼は泣いていた。
本人ですら理由を理解できないまま。
頬を伝う涙だけが。
失われた記憶の存在を証明していた。
「……何だ」
ノクスが呟く。
震える指で涙に触れる。
温かい。
知らない感覚だった。
いや。
忘れていた感覚だった。
胸が苦しい。
息が詰まる。
頭が割れそうに痛い。
無数の記憶が暴れ回っている。
崩壊した空。
赤く染まる海。
仲間達の叫び。
そして。
一人の少年。
黒髪。
蒼い瞳。
何度も。
何度も。
その姿が現れる。
「シオン……」
また名前が零れる。
その瞬間。
シオンの黒星晶が激しく脈動した。
ドクン。
ドクン。
ドクン。
世界が揺れる。
黒い粒子が溢れ出す。
ノクスの身体からも同じように黒い光が漏れ始めた。
共鳴。
それは敵同士の反応ではなかった。
失われた記憶同士が引き合っている。
レオニクスの顔色が変わる。
「まずい……」
ガルドが振り向く。
「何がだ」
「思い出し始めている」
レオニクスの声は重かった。
「前の世界を」
空気が凍る。
誰も言葉を発しない。
ノクスは苦しそうに頭を押さえる。
脳裏に浮かぶ景色。
それは断片だった。
だが確実に存在していた。
燃え盛る戦場。
巨大な星喰い。
黒星王。
そして。
自分。
『行け』
声が聞こえる。
『お前だけでも生きろ』
誰の声だ。
誰が言った。
なぜ胸が痛む。
なぜ涙が止まらない。
「やめろ……」
ノクスが呻く。
記憶が溢れる。
黒い海。
砕ける月。
崩壊する世界。
そして。
血だらけのシオン。
『頼む』
その声は弱かった。
それでも優しかった。
『世界を……守ってくれ』
ノクスの瞳が大きく見開かれる。
「違う……」
違う。
そんな記憶はない。
そんな過去は存在しない。
教団はそう教えた。
自分は兵器だ。
生まれた時から教団の剣だ。
だが。
心が否定する。
その記憶こそ本物だと。
その時だった。
レオナが前へ出る。
炎を纏った大剣が地面を叩く。
轟音。
「そこまでよ」
冷たい声だった。
リヴェルも笑みを消している。
「記憶を戻されると困るんだ」
アリアス・クロムが静かに杖を構える。
紫色の魔法陣。
空間封鎖。
逃げ場はない。
七星将。
三人同時。
戦場の空気が変わる。
セラフィナが一歩前へ出た。
「やめて」
全員が振り向く。
氷晶将だった少女。
今はもう教団の兵器ではない。
セラフィナは震えながらも立つ。
「もう終わりにしよう」
レオナが目を細める。
「裏切り者が何を言うの」
炎が吹き上がる。
殺気。
圧力。
七つの星がぶつかり始める。
そして。
天空神殿エデン。
玉座の間。
ゼノアは静かに立ち上がった。
黄金の瞳が細められる。
「限界か」
記憶が戻れば全てが崩れる。
世界再生計画。
黒星王封印。
月の継承者管理。
その全てが。
だから。
最高司祭は決断する。
「私が行こう」
空気が震えた。
神が動く。
その事実だけで。
世界の運命は新たな局面へ進み始める。
そして。
アストレア上空。
天空神殿エデンの最上層から。
黄金の光が降り始めた。
誰もが見上げる。
レオニクスの顔色が蒼白になる。
「来るぞ……」
その声は震えていた。
学者ではない。
戦士でもない。
観測者としての恐怖だった。
「最悪の存在が」
黄金の光が夜空を裂く。
神に最も近い男。
最高司祭ゼノア・エクリシア。
ついに降臨。




