「黒き将」
空が裂けた。
アストレア上空。
夜空を覆う黒い魔法陣から、一筋の流星が落下する。
それは光ではない。
闇だった。
星を呑み込むような漆黒。
見る者の本能に直接恐怖を刻み込む絶対的な圧力。
「来るぞ!!」
レオニクスが叫ぶ。
その瞬間。
轟音。
大地が沈む。
アストレア外壁から数キロ離れた荒野へ黒い流星が激突した。
衝撃波が街全体を揺らす。
建物が軋み、窓ガラスが砕け散る。
星晶灯が一斉に消灯した。
「な、何だ……!?」
「魔物襲撃か!?」
市民達が混乱する。
だが次の瞬間。
誰もが理解した。
違う。
これは災害ではない。
もっと恐ろしいものだ。
荒野の中心。
巨大なクレーター。
その中央に一人の男が立っていた。
黒い装甲。
蒼黒の外套。
全身を覆う星喰いの瘴気。
そして絶望そのもののような存在感。
星喰融合将。
ノクス・ヴァーミリオン。
七星将最強。
教団最終兵器。
世界を滅ぼすために生まれた怪物。
ノクスは静かに顔を上げた。
赤黒い瞳がアストレアを見つめる。
そして。
彼は呟いた。
「シオン……」
誰にも聞こえないほど小さく。
だが確かに。
その名前を。
自分でも理由が分からないまま。
胸が痛む。
知らないはずなのに。
会ったこともないはずなのに。
なぜか。
その名前だけは忘れられない。
「……誰だ」
ノクスは眉をひそめた。
頭痛。
記憶のノイズ。
世界そのものが拒絶しているような違和感。
その時。
天空神殿エデン。
玉座の間。
ゼノアが静かに笑った。
「やはり始まったか」
その背後には管理者アーカイヴの記録結晶。
無数の記録が浮かび上がっている。
ノクス。
シオン。
世界再生。
最後の観測者。
消された歴史。
本来なら存在しない記録。
ゼノアはそれらを眺めながら呟く。
「思い出されては困る」
黄金の瞳が冷たく細められる。
「まだ世界は完成していない」
その頃。
アストレア作戦本部。
警報が鳴り響いていた。
「対象確認!」
「星喰融合将ノクス・ヴァーミリオン!!」
研究員達が青ざめる。
誰もが知っている。
七星将の中でも別格。
人間が勝てる相手ではない。
レオニクスが剣を握る。
アリアが双剣を抜く。
ガルドが笑う。
「ようやく大物か」
だがその笑みは引きつっていた。
強者だから分かる。
勝てるかどうか。
その答えを。
「正直言うぞ」
ガルドが低く言った。
「今の俺達じゃ勝てねぇ」
沈黙。
誰も否定できない。
それほどの怪物だった。
だが。
シオンだけは静かだった。
窓の外を見る。
遠く離れた荒野。
そこにいる男。
なぜだろう。
初めて見るはずなのに。
懐かしい。
胸が締め付けられる。
「……会ったことがある」
シオンが呟いた。
ルナリアが振り向く。
「え?」
「分からない」
シオンは頭を押さえる。
「でも、あいつを知ってる気がする」
その瞬間。
黒星晶が暴走した。
ドクン。
世界が止まる。
視界が反転する。
そして。
見えた。
血の海。
崩壊する空。
泣いている少女。
そして。
巨大な黒翼を背負ったノクス。
『頼む』
彼は言っていた。
『俺を止めてくれ』
シオンは息を呑む。
次の瞬間。
映像は消えた。
「何だったんだ……」
額から汗が流れる。
ルナリアが心配そうに近寄る。
「大丈夫?」
「……ああ」
だが全然大丈夫ではなかった。
確信した。
ノクスは敵じゃない。
少なくとも最初から敵だったわけじゃない。
あいつは。
何かを失っている。
自分と同じように。
その時だった。
轟音。
外壁が吹き飛んだ。
アストレア全体が震える。
研究員が絶叫した。
「侵入!!」
「侵入されました!!」
「早すぎる!!」
全員が凍り付く。
あり得ない。
外壁からここまで数キロ。
だが。
現実はもっと残酷だった。
作戦室入口。
巨大な鉄扉が歪む。
ミシミシと悲鳴を上げる。
そして。
破壊された。
ノクスが立っていた。
誰も気付かなかった。
誰も反応できなかった。
ただ歩いてきた。
それだけ。
それだけで最重要防衛線を突破した。
「化け物かよ……」
ガルドが苦笑する。
ノクスは全員を見回した。
殺意はない。
怒りもない。
ただ探している。
そして。
シオンを見つけた。
視線が交差する。
その瞬間。
世界が震えた。
シオンの黒星晶。
ノクスの星喰い。
互いが共鳴する。
まるで失われた何かを求めるように。
ノクスの瞳が揺れた。
「お前は……」
シオンも息を呑む。
「お前……」
記憶はない。
だが。
心だけが知っている。
何度も共に戦った。
何度もぶつかった。
何度も救った。
何度も救われた。
そんな感覚。
ノクスが頭を押さえる。
激しい頭痛。
脳裏に無数の映像。
崩壊。
再生。
月。
黒星王。
そして。
少年の笑顔。
「シオン……」
ノクスの膝が揺れた。
初めてだった。
最強の怪物が。
苦しそうな表情を見せたのは。
その瞬間。
空間が裂けた。
紫の魔法陣。
そこから現れる影。
リヴェル。
セラフィナ。
レオナ・ヴァーミリオン。
神聖教会七星将。
「やれやれ」
リヴェルが笑う。
「記憶が戻りそうだね」
セラフィナが槍を向ける。
「ノクス。命令です」
レオナは炎を纏う。
「裏切るなら焼くわよ?」
ノクスの瞳が細まった。
七星将。
仲間。
だが。
何かが違う。
彼らの向こう側に。
もっと大切なものがあった気がする。
その時。
シオンが一歩前へ出た。
誰も予想しなかった言葉を口にする。
「思い出せ」
全員が驚く。
ノクスが顔を上げる。
シオンは真っ直ぐ見つめていた。
敵じゃない。
怪物じゃない。
一人の人間として。
「お前は誰なんだ」
沈黙。
世界が息を止める。
そして。
ノクスの瞳から一筋の涙が零れた。
本人すら理由が分からないまま。
その涙だけが真実だった。
そして天空神殿エデン。
ゼノアは静かに立ち上がる。
「面白い」
黄金の瞳が細まる。
「ならば次は私が出よう」
世界を揺るがす最後の戦争。
その幕が。
静かに上がろうとしていた。




