世界を懸けた決断
漆黒の繭が神域を覆い尽くす。
その鼓動は、一つ脈打つたびに契約樹の光を奪い、無数の世界へ伸びる光の糸を黒く染めていった。
ドクン――。
ドクン――。
世界そのものが、終焉の心臓になってしまったかのようだった。
ノアは震える手で演算を続ける。
「侵食率七十二パーセント……。」
ルクスも必死に術式を書き換える。
「止まりません!」
「このままだと五分以内に全世界との接続が完全に失われます!」
「五分……。」
ルナリアは息を呑んだ。
それは世界が滅びるまで残された時間だった。
⸻
繭の前へ立つシオンを、始祖契約者が静かに呼び止める。
「シオン。」
その声は今にも消えそうなほど弱かった。
身体は胸元から光へ変わり続けている。
それでも、その瞳だけは最後まで優しかった。
「これから話すことを、よく聞いてほしい。」
シオンは静かに頷く。
「終焉は今、ノクティスの魂と完全に融合しようとしている。」
「融合したら?」
「もう誰にも止められない。」
始祖契約者は苦しそうに息をついた。
「終焉が器を完全に支配した瞬間、この宇宙は終わる。」
「……なら。」
シオンは拳を握る。
「今なら、まだ助けられるんだな。」
「助けられる。」
始祖契約者は頷いた。
「だが、その方法は一つしかない。」
神域へ沈黙が落ちる。
誰もが、その続きの言葉を恐れていた。
「終焉の精神世界へ入り、ノクティス自身に終焉を拒絶させること。」
「精神世界?」
イヴが驚いたように顔を上げる。
「そんなことが……。」
「本来なら不可能だ。」
始祖契約者はシオンを見る。
「だが、お前だけは違う。」
「希望の継承者。」
「創世と契約、そして生命の力を受け継いだ、お前だけなら辿り着ける。」
ルナリアは不安そうにシオンの腕を掴んだ。
「でも、それって……。」
始祖契約者は静かに目を伏せる。
「精神世界へ入った者は、一人しか戻れない。」
その言葉に空気が凍りつく。
「え……。」
ルナリアの声が震える。
始祖契約者は苦しそうに続けた。
「シオンがノクティスを救えば。」
「シオンは終焉の代わりに精神世界へ取り残される。」
「そんな……!」
ルナリアは思わず首を横に振る。
「駄目です!」
「そんな方法、絶対に駄目です!」
ヴォルグも珍しく感情を露わにした。
「ふざけんな!」
「そんなの救うって言わねぇ!」
レオニクスは静かに剣を握り締める。
「別の方法はないのか。」
始祖契約者は長い沈黙のあと、小さく首を横へ振った。
「ない。」
「これが最後の契約だ。」
⸻
誰も言葉を発せなかった。
神域へ響くのは終焉の鼓動だけ。
ルナリアはシオンの服を強く掴んだ。
「約束したじゃん……。」
「帰ってくるって。」
「私、まだ何も返せてない。」
「一緒に世界を見ようって言ったのに。」
涙が止まらなかった。
シオンはそんな彼女を見つめ、静かに笑う。
「覚えてるよ。」
「だから帰ってくる。」
「でも!」
「約束は守る。」
その声には迷いがなかった。
ルナリアは何か言おうとする。
しかし言葉にならない。
シオンは優しく彼女の頭へ手を乗せた。
「信じてくれ。」
「俺は負けない。」
「帰ってくる。」
ルナリアは唇を噛み締めながら、小さく頷くしかなかった。
⸻
その様子を見ていたカインが、静かに前へ歩き出る。
「その役目。」
「私が行こう。」
全員が振り向く。
「私の責任だ。」
「ノクティスをここまで追い詰めたのは私でもある。」
「だから私が終焉を引き受ける。」
しかし始祖契約者は静かに首を横へ振った。
「駄目だ。」
「お前では終焉を浄化できない。」
「終焉は、お前の絶望からも生まれている。」
「近付けば飲み込まれるだけだ。」
カインは拳を強く握り締めた。
悔しさが滲む。
何も言い返せなかった。
⸻
その時だった。
シオンが静かに前へ出る。
「みんな。」
「一つだけ頼みがある。」
仲間達は顔を上げる。
「俺がノクティスを連れ戻すまで。」
「この世界を守ってくれ。」
ヴォルグはニヤリと笑った。
「当たり前だ。」
「帰ってきた時に世界が無かったら笑えねぇからな。」
レオニクスも頷く。
「約束しよう。」
アリアは双剣を肩へ担ぎ、小さく笑う。
「借りはちゃんと返しなさいよ。」
ノアとルクスも力強く頷いた。
「世界樹は僕達が守ります!」
「絶対に時間を稼ぎます!」
イヴは涙を拭き、胸へ手を当てる。
「兄さんが託した希望。」
「今度は私達が守ります。」
ルナリアだけは何も言えなかった。
ただ、シオンの手を強く握る。
その温もりを離したくなかった。
シオンも彼女の手を握り返す。
「必ず帰る。」
「だから。」
「笑って待ってて。」
ルナリアは涙を流しながら微笑んだ。
「……うん。」
「ずっと待ってる。」
その瞬間。
漆黒の繭が大きく脈打つ。
バキィィィィィン――――!!
繭の表面へ巨大な亀裂が走る。
中から溢れ出した終焉の神威が神域を飲み込み、契約樹の枝が次々と砕け散った。
始祖契約者は最後の力を振り絞り、シオンの背中へ手を添える。
「行け。」
「希望の継承者。」
「世界の未来を、お前に託す。」
シオンは力強く頷き、終焉の繭へ向かって走り出した。
その背中を見送る仲間達も、それぞれの武器を構える。
ここから先は、誰も逃げられない。
世界の命運を懸けた最後の戦いが、ついに始まる。




