神話の外側
「私が眠るには。」
「世界が存在していてはいけない。」
ノクティスの静かな言葉は、誰かを脅すためのものではなかった。
ただ事実を告げているだけ。
だからこそ、その一言はどんな怒号より重く神域へ響いた。
ヴォルグが奥歯を噛み締める。
「ふざけるな……。」
「眠りたいから世界を消すだと?」
ノクティスはゆっくりと視線を向けた。
「違う。」
「世界を消したいから眠るんじゃない。」
「私が存在する限り、世界は終わり続ける。」
「だから私は眠りたい。」
「……それだけだ。」
その瞳には嘘がなかった。
シオンは剣を下ろさないまま、一歩前へ出る。
「だったら封印されればいい。」
「また眠れば済む話だ。」
ノクティスは寂しそうに笑った。
「封印は眠りじゃない。」
「意識だけが残る。」
「数え切れない世界が滅びる音を聞きながら、永遠に目を閉じることも許されない。」
彼は静かに空を見上げた。
「何億年。」
「何兆年。」
「時間という概念が生まれる前から、私はそれを繰り返してきた。」
神域に沈黙が落ちる。
その言葉には、想像もできない孤独が滲んでいた。
⸻
始祖契約者はゆっくりとシオンの隣へ立つ。
「シオン。」
「彼を憎むな。」
「え?」
「ノクティスは、自ら終焉になったわけじゃない。」
シオンは始祖契約者を見た。
「どういうことだ。」
始祖契約者は契約樹へ触れ、静かに記憶を映し出す。
神域の景色が揺らぎ、遠い過去の光景が広がった。
そこには、まだ何もない白い世界がある。
創世神も。
契約神も。
終焉も存在しない。
ただ二人だけが立っていた。
始祖契約者。
そして、黒髪の青年――ノクティス。
二人は向かい合い、笑っていた。
ルナリアが目を丸くする。
「友達……だったの?」
「兄弟のような存在だった。」
始祖契約者は静かに答えた。
「私は”始まり”を司る存在。」
「ノクティスは”終わり”を司る存在。」
「どちらか一人では、世界は生まれなかった。」
映像の中で、若き日の二人は未来を語り合っている。
『命が溢れる世界を創ろう。』
始祖契約者が笑う。
ノクティスも穏やかに頷いた。
『その命が苦しまない世界なら、私は何でも手伝う。』
『約束だ。』
『ああ、約束だ。』
その笑顔は、エイン達と同じだった。
純粋で、未来を信じていた。
しかし、映像は変わる。
世界が生まれた。
命が芽吹いた。
笑顔が溢れた。
そして――最初の死が訪れた。
一人の子どもが母親を失い、泣き崩れている。
その姿を見たノクティスは、静かに呟いた。
『……どうして。』
始祖契約者は何も答えられない。
次の日。
戦争が起きた。
さらに翌日。
飢餓。
病。
裏切り。
世界は命で満ちるほど、悲しみも増えていった。
ノクティスは毎日その光景を見続けた。
誰よりも近くで。
誰よりも長く。
そして、ある日。
彼は始祖契約者へ言った。
『世界を終わらせよう。』
『まだ間に合う。』
『これ以上、誰も苦しまなくて済む。』
始祖契約者は首を横へ振った。
『違う。』
『命は苦しみだけじゃない。』
『笑うこともできる。』
『愛することもできる。』
『だから世界は続くべきだ。』
ノクティスは悲しそうに笑った。
『……君は優しいな。』
『でも私は。』
『もう誰かが泣く姿を見たくない。』
映像はそこで終わった。
神域へ静寂が戻る。
誰もすぐには言葉を発せなかった。
ルナリアは胸元で拳を握る。
「そんな理由で……。」
「ずっと一人だったんだ。」
カインも静かに目を閉じる。
「だから私は、彼の願いを理解してしまった。」
「苦しみを終わらせたい。」
「その想いだけは、本物だった。」
シオンはノクティスを見つめる。
彼は何も言わず、ただ契約樹を眺めていた。
敵を見る目ではない。
まるで、もう二度と戻れない故郷を見るような目だった。
その時、不意にノクティスが口を開く。
「シオン。」
「君は希望を継ぐ者なんだろう。」
「ああ。」
「なら教えてくれ。」
ノクティスは初めて感情を宿した瞳でシオンを見た。
「大切な人が永遠に苦しみ続ける世界と。」
「最初から誰も苦しまない無の世界。」
「君なら、どちらを選ぶ。」
神域の空気が張り詰める。
それは剣よりも鋭い問いだった。
シオンはすぐには答えなかった。
仲間達の顔を見る。
ルナリア。
ヴォルグ。
レオニクス。
アリア。
ノア。
ルクス。
イヴ。
そして、アダムやエインの想い。
すべてを胸に刻み、静かにノクティスを見据える。
「俺の答えは決まってる。」
その言葉に、ノクティスはわずかに目を細めた。
「聞かせてくれ。」
シオンは深く息を吸い、真っ直ぐ答える。
「苦しみがあるから命を否定するんじゃない。」
「苦しんでも、誰かが隣にいてくれるから生きていける。」
「だから俺は――命のある世界を選ぶ。」
その答えを聞いたノクティスは、静かに目を閉じた。
そして、長い沈黙のあと、小さく笑った。
「……そうか。」
「やはり君は、彼らが待ち続けた存在なんだな。」
だが、その笑みの奥には、決して揺るがない覚悟も宿っていた。
「だからこそ。」
「私は君を倒さなければならない。」
黒い終焉の力が、静かにノクティスの足元から溢れ始める。
神域が再び震えた。
ついに――
神話以前から続く、「始まり」と「終わり」の戦いが幕を開けようとしていた。




