「最高司祭ゼノア」
運命は動き始めていた。
アストレア上空。
天空神殿エデンはゆっくりと降下を続けている。
巨大な影が都市全域を覆う。
昼間だというのに薄暗い。
世界樹の光さえ霞んで見えた。
誰もが空を見上げていた。
恐怖。
絶望。
そして圧倒的な威圧感。
まるで世界そのものが頭上へ落ちてくるようだった。
その頃。
天空神殿エデン最上層。
神域。
そう呼ばれる場所があった。
巨大な白い扉。
天井は見えないほど高い。
無数の黄金の柱。
床には複雑な古代魔法陣。
神聖な光に満ちている。
だが。
そこにある空気は神聖などではない。
支配。
服従。
絶対。
その全てが空間を満たしていた。
玉座の間。
教団最高権力者のみが座ることを許された場所。
中央には純白の玉座。
その背後には巨大な黄金の紋章。
世界そのものを支配しているかのような象徴だった。
そして。
そこに一人の男が座っている。
白銀の長髪。
黄金の瞳。
透き通るような白い肌。
整い過ぎた容姿。
年齢は分からない。
若くも見える。
老人にも見える。
男とも神とも判断できない。
ただ一つだけ確かなことがある。
この男が。
世界最大の組織を支配する存在だということ。
エクリプス教団最高司祭。
ゼノア・エクリシア。
静寂が続く。
誰も声を発しない。
玉座の前には六人の人影。
七大幹部。
七つの星を冠する者達。
七星将。
世界を震撼させる怪物達だった。
炎晶将。
重力将。
精神将。
空間将。
時晶将。
そして。
全身を黒い装甲で覆う男。
星喰融合将。
ノクス・ヴァーミリオン。
誰一人として普通ではない。
一国を滅ぼせる存在ばかりだった。
だが。
そんな怪物達でさえ。
玉座の前では頭を垂れていた。
ゼノアは静かに目を開く。
黄金の瞳が光る。
その瞬間。
空気が変わった。
誰もが無意識に背筋を伸ばす。
「確認した」
静かな声。
だが部屋全体へ響く。
「黒星王が覚醒した」
沈黙。
誰も驚かない。
既に報告は届いている。
だが。
ゼノアの口から語られる意味は大きい。
それは教団全体の意思となる。
「月の継承者も覚醒した」
再び沈黙。
黄金の瞳が細められる。
「予想より早い」
感情のない声だった。
だが。
その瞳の奥には僅かな苛立ちが見えた。
数百年。
あるいは数千年。
計画し続けた何かがある。
それが少しずつ狂い始めている。
そんな気配だった。
その時。
七星将の一人が前へ出る。
重厚な鎧。
巨大な体躯。
ヴォルグ・アイゼン。
かつてシオンと戦った重力将だった。
「最高司祭」
低い声。
「一つ確認したい」
ゼノアは視線を向ける。
「何だ」
ヴォルグは僅かに眉を寄せた。
「黒星王は本当に危険なのか」
空気が凍る。
普通なら許されない質問だった。
だがゼノアは怒らない。
むしろ静かに頷いた。
「危険だ」
即答だった。
その声には迷いがない。
「星喰いよりも危険だ」
七星将達の空気が変わる。
その言葉は重かった。
世界を滅ぼす存在。
星喰い。
その星喰い以上に危険。
それが黒星王。
シオン・アルヴィス。
ゼノアはゆっくり立ち上がる。
玉座の間に緊張が走った。
黄金の瞳が全員を見渡す。
「お前達は知らない」
静かな声。
だが。
その内容は衝撃だった。
「過去の世界で」
「黒星王は一度だけ成功した」
誰も動かない。
理解できない。
成功?
何に対して。
何を。
ゼノアは続ける。
「星喰いを退けた」
空気が止まる。
星喰いを。
倒した。
世界の終焉を。
止めた。
そんな存在が本当にいたのか。
そして。
それがシオンなのか。
ヴォルグの瞳が揺れる。
ノクスも僅かに反応した。
だが。
ゼノアの表情は暗かった。
「しかし」
その一言で空気が変わる。
「世界法則が崩壊した」
沈黙。
誰も言葉を発せない。
ゼノアは窓の外を見た。
遥か下。
アストレア。
黒星王。
月の継承者。
全てが見える。
「奴は世界を救った」
静かな声。
「その代償として」
黄金の瞳が細くなる。
「世界を書き換えた」
その瞬間だった。
ノクスの胸が僅かに痛んだ。
知らない記憶。
見たこともない景色。
それなのに。
脳裏に浮かぶ。
黒髪の少年。
蒼い瞳。
血だらけの姿。
そして。
誰かを守ろうとしている背中。
「……シオン」
小さな呟き。
誰にも聞こえない。
だが。
確かにその名前が口から零れた。
ノクス自身も気付いていない。
なぜその名前を知っているのか。
なぜ胸が苦しいのか。
何も分からない。
しかし。
その感覚だけは消えなかった。
ゼノアは再び玉座へ腰掛ける。
そして。
教団最高司祭として命じた。
「黒星王を抹殺せよ」
黄金の瞳が光る。
「月の継承者を確保せよ」
空気が震える。
「必要であれば」
一拍。
「世界を滅ぼして構わない」
沈黙。
誰も反論しない。
それが絶対命令だから。
それが教団の意思だから。
それが。
世界の運命を決める言葉だった。
そして。
誰も気付いていない。
その命令を聞きながら。
ノクスの拳が僅かに握られていたことを。
まるで。
その命令に抗おうとするかのように。
失われた記憶の奥で。
何かが目覚め始めていた。




