最後の契約
眩い光がシオンの視界を埋め尽くした。
意識が引き込まれる。
足元の感覚が消え、神域の景色は白い光へ溶けていく。
「シオン!」
ルナリアの声が遠く聞こえた。
だが、その声も次第に薄れ、やがて世界は完全な静寂に包まれた。
⸻
目を開くと、そこは果てしなく広がる白い大地だった。
空も、大地も、境界が分からない。
ただ一本だけ、小さな若木が風に揺れている。
「ここは……。」
シオンが辺りを見渡した、その時だった。
「やっと会えたね。」
聞き覚えのある声がした。
振り向くと、一人の青年が若木へ水を与えている。
黒い髪。
優しい蒼い瞳。
見慣れた笑顔。
「……エイン。」
青年は振り返り、照れくさそうに笑った。
「久しぶり。」
「いや、君にとっては初めてかな。」
シオンは思わず駆け寄った。
「本当に……。」
「創世神エインなのか。」
「今ここにいるのは、本物じゃない。」
エインは若木へ優しく触れる。
「これは契約樹へ残した最後の記憶。」
「君にだけ見せるためのものだ。」
シオンは深く息を吐いた。
「聞きたいことが山ほどある。」
「全部話すよ。」
エインは穏やかに頷く。
「もう隠す必要はないから。」
二人は若木の下へ腰を下ろした。
静かな風が吹き抜ける。
どこか懐かしい空気だった。
「シオン。」
「君は、どうして世界が生まれたと思う?」
突然の問いだった。
「命を生むためじゃないのか。」
「違う。」
エインは静かに首を横へ振る。
「世界は、一人の少女を救うために生まれた。」
「少女?」
「イヴだ。」
シオンは目を見開く。
エインは続けた。
「創世以前、イヴは死にかけていた。」
「命という概念すら存在しない時代に、唯一”命”を持ってしまった存在だった。」
「だから世界を創ったのか。」
「そう。」
エインは小さく笑った。
「アダムは法則を整えた。」
「アストラは契約を結んだ。」
「オルフェウスは均衡を築いた。」
「カインは終焉を生み出した。」
「そして俺は。」
「イヴが生きられる場所を創った。」
シオンは静かに拳を握る。
「じゃあ、みんな最初は敵じゃなかった。」
「もちろん。」
エインは懐かしそうに空を見上げた。
「毎日喧嘩して。」
「毎日笑って。」
「くだらないことで競争して。」
「世界が完成した夜は、みんなで朝まで語り合った。」
その笑顔が、少しだけ寂しそうに曇る。
「でも。」
「一つだけ。」
「誰も気付かなかった。」
「何に。」
「世界は。」
「完成した瞬間から壊れ始めるってことに。」
若木の葉が一枚、静かに落ちた。
エインはその葉を手のひらへ乗せる。
「命は増え続ける。」
「終焉も増え続ける。」
「どちらかだけでは世界は保てない。」
「だから契約を結んだ。」
シオンは静かに頷いた。
「それが原初の契約。」
「そう。」
「でも俺は。」
エインは苦笑した。
「約束を破った。」
シオンの表情が変わる。
「カインが言ってた嘘って……。」
エインは真っ直ぐシオンを見る。
「俺は仲間達へ言った。」
『生命の核は第零世界へ残す。』
「……。」
「でも本当は違った。」
エインは静かに立ち上がる。
若木へ優しく触れながら続けた。
「生命の核を未来へ託した。」
「まだ生まれてもいない。」
「たった一人の人間へ。」
シオンの鼓動が大きく鳴る。
「それって……。」
「君だ。」
エインは優しく微笑んだ。
「君が生まれる何万年も前。」
「俺は未来を一度だけ観測した。」
「そこで見たんだ。」
「契約を超える少年を。」
シオンは何も言えなかった。
エインは静かに歩み寄る。
「だから俺は契約を破った。」
「未来へ命を託した。」
「その結果、世界は不完全になった。」
「アダムは苦しみ。」
「アストラは契約神の座を失い。」
「カインは道を誤った。」
「全部。」
「俺の責任だ。」
その声には深い後悔が滲んでいた。
シオンはゆっくり首を横へ振る。
「違う。」
エインは驚いたように目を瞬かせる。
「どうしてそう思う?」
「みんな自分で選んだ。」
「アダムも。」
「アストラも。」
「カインも。」
「お前も。」
「誰かに強制されたわけじゃない。」
「だから。」
「責任は一人じゃ背負えない。」
しばらく沈黙が流れた。
やがてエインは、吹き出すように笑った。
「はは……。」
「本当に。」
「君は俺より強いな。」
その瞬間だった。
白い世界へ一本の黒い亀裂が走る。
バキッ――。
エインの表情が変わる。
「時間切れか。」
「エイン!」
「聞いて。」
「これだけは覚えておいて。」
エインは真剣な眼差しでシオンを見つめた。
「カインは敵じゃない。」
「彼は。」
「今も世界を救おうとしている。」
「でも。」
「その方法だけが間違ってしまった。」
「だから。」
「シオン。」
「彼を……。」
言葉は最後まで続かなかった。
世界が砕け、エインの姿も無数の光となって消えていく。
現実へ引き戻される直前。
シオンの耳へ、最後の言葉だけが届いた。
「救ってくれ。」
その一言を残して、創世神エインの記憶は静かに幕を閉じた。




