希望と終焉
「……兄さん。」
イヴの声が静かに響く。
その一言だけで、第零世界全体が震えた。
原初世界樹の枝葉が一斉に揺れ、数え切れない原初生命が空へ舞い上がる。
黒い外套を纏った男――アダムは、ただ静かに妹を見つめていた。
「久しぶりだ。」
「イヴ。」
「……何万年ぶりでしょう。」
「時間を数えることは、もうやめた。」
その声には怒りも憎しみもない。
ただ、果てしない孤独だけが滲んでいた。
シオンはゆっくり前へ出る。
「お前が。」
「最初の観測者。」
アダムは静かに頷く。
「そう呼ばれている。」
「創世神より前。」
「管理者より前。」
「世界が生まれる以前から、私は存在していた。」
ルナリアは息を呑む。
「そんな存在が……。」
ノアは苦しそうに拳を握った。
「管理者の記録は。」
「ここで終わっていました。」
「アダム以降しか残っていなかった。」
「つまり。」
ルクスが低く呟く。
「彼自身が。」
「管理という概念の始まり。」
アダムは否定もしない。
肯定もしない。
ただ静かに原初世界樹を見上げた。
「昔。」
「私は、この樹の下で毎日眠っていた。」
「イヴは花を育て。」
「リーヴァは歌を歌い。」
「エインは。」
「毎日騒がしかった。」
リーヴァが小さく笑う。
「兄さんは。」
「毎日うるさいって怒っていましたね。」
「静かな方が好きだった。」
「でも。」
イヴが優しく続ける。
「兄さん。」
「本当は笑っていました。」
アダムは少しだけ目を閉じた。
「……そうだったな。」
ほんの一瞬だけ。
その表情が柔らかくなる。
しかし。
次の瞬間には消えていた。
「だが。」
「命が増えるほど。」
「悲しみも増えた。」
「私は。」
「間違えた。」
シオンは眉をひそめる。
「何を。」
アダムはゆっくり振り返る。
黄金の瞳が真っ直ぐシオンを映す。
「私は。」
「命を知ってしまった。」
「だから。」
「命の終わりも知った。」
「それが。」
「全ての始まりだった。」
静かな沈黙が流れる。
誰も言葉を挟まない。
アダムは続ける。
「第一世界。」
「飢餓で滅びた。」
「第二世界。」
「疫病で滅びた。」
「第三世界。」
「争いで滅びた。」
「第四世界。」
「神を名乗る者が現れ滅びた。」
「第五世界。」
「愛し合った者同士が殺し合い滅びた。」
その言葉には感情がない。
しかし。
一つ一つの世界を見届けた重みだけは、全員へ伝わっていた。
「十。」
「百。」
「二百。」
「三百。」
「五百。」
「何度世界を創っても。」
「結末だけは変わらなかった。」
アダムは静かに目を閉じる。
「だから。」
「私は理解した。」
「命に未来はない。」
「終わりこそが救済だと。」
シオンは黙って聞いていた。
否定しない。
遮らない。
最後まで聞いた上で、ゆっくりと口を開く。
「全部見たんだな。」
「そうだ。」
「全部失ったんだな。」
「……そうだ。」
「だから。」
シオンは一歩前へ出る。
「お前は。」
「一回も生きてない。」
その場の空気が止まる。
アダムの瞳が僅かに揺れた。
「見てるだけだった。」
「助けなかった。」
「笑わなかった。」
「泣かなかった。」
「全部。」
「観測して終わった。」
「それじゃ。」
「世界なんて分からない。」
アダムは静かにシオンを見る。
「違う。」
「私は全て理解している。」
「違う。」
シオンは首を横へ振った。
「理解してるなら。」
「イヴはここで笑わない。」
「エインは命なんて懸けない。」
「俺達も。」
「ここまで来ない。」
「世界は。」
「数字じゃない。」
「命なんだ。」
「一人一人が違う。」
「だから未来も違う。」
イヴは静かに涙を流していた。
「……兄さん。」
「この人が。」
「エインの答えです。」
アダムは何も答えない。
ただ、シオンだけを見つめ続ける。
長い沈黙。
その間、第零世界には風だけが流れていた。
やがてアダムは、小さく息を吐く。
「だから。」
「エインは。」
「お前を選んだのか。」
その瞬間。
彼の足元へ巨大な黒い紋章が広がる。
第零世界全体へ終焉の力が流れ込み、空が完全な漆黒へ染まった。
原初世界樹の葉が一斉に舞い散る。
リーヴァは杖を握り締める。
「始まります。」
「世界最初の戦いが。」
アダムは静かに右手を掲げる。
「証明しよう。」
「観測された運命は。」
「決して覆らない。」
シオンも剣を構えた。
黄金の紋章が刀身を包み込み、生命の核が胸元で静かに鼓動を刻む。
「なら。」
「俺が証明する。」
「運命は。」
「変えられる。」
二人の視線が交わる。
創世以前から続く神話。
その終着点となる戦いが、今、静かに幕を開けた。




