「世界の真実」
朝日が、静かに差し込んでいた。
割れたステンドグラスから射し込む柔らかな光が、廃教会の石床を淡く照らしている。
崩れた柱。
朽ちた祭壇。
誰にも祈られなくなって久しい静かな空間だけが、昨夜の激しい逃走を忘れさせるように穏やかだった。
シオンはゆっくりと目を開ける。
冷たい石床の感触が背中へ伝わる。
崩れた天井の隙間からは青い空が見えていた。
「……朝か。」
小さく息を吐き、身体を起こす。
そして視線を横へ向けた。
すぐ隣で、一人の少女が静かな寝息を立てている。
銀色の長い髪。
朝日に照らされ、その姿はまるで月の光が人の形をしたように幻想的だった。
ルナリア・セレス。
昨日、処刑台から救い出した少女。
本来なら、あの場で命を落としていたはずの少女だった。
シオンはしばらく何も言わず、その寝顔を見つめる。
「……平和そうな顔してるな。」
思わず漏れた独り言。
昨日まで一人だった。
誰かと同じ朝を迎えることなど、いつ以来だろう。
その時だった。
ルナリアの瞳がゆっくりと開く。
蒼銀色の瞳が、真正面からシオンを捉えた。
数秒の沈黙。
静かな朝の空気だけが流れる。
やがてルナリアが小さく首を傾げた。
「……見てた?」
「見てない。」
即答だった。
「嘘。」
「見てない。」
「絶対見てた。」
「だから見てないって。」
ルナリアはじっと見つめてくる。
シオンは気まずそうに視線を逸らした。
「……何だよ。」
「ふふっ。」
ルナリアは小さく笑う。
「顔、赤い。」
「気のせいだ。」
「そういうことにしておく。」
その笑顔を見て、シオンも自然と肩の力が抜けた。
昨日まで命を狙われていた少女とは思えない。
その笑顔だけ見れば、どこにでもいる普通の少女だった。
だが、その穏やかな時間は長くは続かなかった。
シオンは真剣な表情へ戻る。
「昨日の続きだ。」
ルナリアの笑顔が消える。
「昨日?」
「星晶の話だ。」
静かな風が教会の中を吹き抜ける。
割れた窓から入り込んだ風が、ルナリアの銀髪を優しく揺らした。
彼女はしばらく黙り込む。
話すべきか迷っているようだった。
だが、ゆっくりと決意したように顔を上げる。
「……知ってる?」
「星晶は、感情を記録するの。」
シオンは眉をひそめた。
「感情?」
ルナリアは静かに頷く。
「喜び。」
「怒り。」
「悲しみ。」
「憎しみ。」
「人間が抱く、すべての感情。」
シオンは腕を組む。
「そんな話、一度も聞いたことがない。」
「当然よ。」
ルナリアは苦しそうに微笑んだ。
「教団が隠しているから。」
教会の中に沈黙が落ちる。
シオンは言葉を失った。
学校でも。
街でも。
教団でも。
星晶は世界を支える奇跡の結晶だとしか教えられてこなかった。
ルナリアは祭壇へ目を向ける。
「昔、月の民は研究していた。」
「なぜ星晶が力を持つのか。」
「なぜ文明は発展したのか。」
「なぜ、この世界は空に浮かんでいられるのか。」
その声はどこか寂しげだった。
「そして私たちは……。」
ルナリアは静かに息を吸う。
「真実へ辿り着いてしまった。」
シオンは無意識に拳を握り締める。
「真実って?」
ルナリアはゆっくりと空を見上げた。
窓の向こうには、朝日に照らされた青い星晶が静かに輝いている。
「あの星晶は。」
「人間の希望だけを吸収しているわけじゃない。」
シオンは息を呑む。
「絶望も。」
「悲しみも。」
「怒りも。」
「憎しみも。」
「全部、吸収している。」
静かな声だった。
それでも、その一言はシオンの胸へ重く響く。
「何百年も。」
「何千年も。」
「人の負の感情を溜め込み続けた結果……。」
ルナリアは目を閉じた。
「星晶は限界を迎えたの。」
風が吹く。
教会の天井から細かな砂埃が舞い落ちる。
シオンは静かに呟いた。
「つまり……。」
「世界が壊れてる原因は。」
ルナリアはゆっくり頷く。
「自然災害なんかじゃない。」
「人間自身が生み出した災厄。」
その言葉を聞いた瞬間、シオンの脳裏に昨夜の光景が浮かぶ。
崩れ落ちる大地。
青く輝く星晶。
人々の悲鳴。
そして、自分の右腕に刻まれた黒い紋章。
「そんな……。」
思わず漏れた声。
世界は滅びかけている。
それは天災ではない。
誰かに壊されたわけでもない。
人間自身が積み重ねてきた絶望が、この世界を蝕んでいたのだ。
ルナリアは静かにシオンを見つめる。
「だから教団は、この事実を隠している。」
「知られたら、人々の信仰は崩れてしまうから。」
シオンは立ち上がり、割れた窓の向こうを見つめた。
青く輝く星晶。
昨日まで希望の象徴だと思っていた光は、今では不気味にしか見えなかった。
そして彼はまだ知らない。
自らの右腕に宿った黒星晶こそが、この壊れゆく世界の運命を大きく変える存在であることを。
次回 第4話 「エクリプス教団」




