「追われる者たち」
処刑場を飛び出してから、およそ三十分。
夜のグランベルを、二つの影が必死に駆け抜けていた。
崩れかけた屋根を飛び越え、細い路地を抜け、瓦礫を踏み越えるたびに石が砕け、乾いた音が夜の静寂を破る。
背後では警鐘が鳴り響いていた。
重く、不気味な鐘の音が街中へ広がり、無数の松明と星晶灯が夜を照らしている。
「いたぞ!」
「北区画へ逃げた!」
「包囲しろ!」
怒号が夜空を切り裂いた。
シオンは小さく舌打ちする。
「本当にしつこい連中だな……」
処刑場から十分すぎるほど距離は離したはずだった。
普通の衛兵なら、とっくに追跡を諦めている。
だが相手はエクリプス教団。
世界最大の宗教組織であり、同時に最強の武装勢力でもある。
一度狙われれば、簡単には逃がしてくれない。
隣ではルナリアが懸命に走っていた。
白銀の長い髪は乱れ、呼吸は荒く、肩が大きく上下している。
処刑寸前まで拘束されていた身体では限界も近い。
「はぁ……っ、はぁ……」
苦しそうな息遣いを聞き、シオンは少しだけ速度を緩めた。
「大丈夫か?」
「う、うん……まだ走れる……」
そう答えた直後だった。
ルナリアの足が瓦礫に引っ掛かり、大きく身体が傾く。
「きゃっ……!」
「危ない!」
シオンは咄嗟に腕を伸ばし、倒れかけた彼女を抱き止めた。
二人は勢いのまま屋根へ転がる。
ルナリアは驚いたようにシオンを見つめた。
「ご、ごめんなさい……」
「謝るな。」
シオンはすぐに立ち上がり、彼女へ手を差し出す。
「でも……私のせいで……」
ルナリアは俯いた。
「私がいたから、あなたまで追われてる……」
夜風が二人の間を吹き抜ける。
シオンは少しだけ考え、苦笑した。
「違う。」
即答だった。
「助けたのは俺の勝手だ。」
「……。」
「だから気にするな。」
ルナリアは黙ったまま彼を見つめる。
シオンは照れ隠しのように頭を掻いた。
「今さら一人増えたくらいで、人生変わらねぇよ。」
その言葉に、ルナリアの胸が温かくなる。
生まれた時から、自分は災厄だと教えられてきた。
恐れられ、避けられ、憎まれてきた。
こんな言葉をかけられたのは初めてだった。
自然と、小さな笑みが零れる。
「……ありがとう。」
「笑うな。」
「え?」
「なんか調子狂う。」
ルナリアは思わず吹き出した。
「ふふっ。」
「だから笑うなって。」
二人の間に、ほんの少しだけ穏やかな空気が流れる。
だが、その空気は一瞬で消え去った。
ゾクリ、と。
シオンの全身を悪寒が駆け抜ける。
本能が叫んでいた。
――危険だ。
シオンは反射的にルナリアの腕を掴む。
「伏せろ!!」
直後。
夜空が蒼白く閃いた。
轟音とともに巨大な光線が二人の頭上を貫く。
屋根が吹き飛び、石材が爆散した。
衝撃波が建物を揺らし、瓦礫が雨のように降り注ぐ。
「きゃあっ!」
ルナリアを抱えたまま転がり、シオンは辛うじて直撃を避けた。
もし一瞬でも遅れていれば、跡形もなく消し飛んでいただろう。
シオンはゆっくり顔を上げる。
遠くの時計塔。
その頂上に、一人の男が立っていた。
漆黒の外套。
巨大な星晶銃。
鋭い眼光。
男は静かに笑う。
「ようやく見つけた。」
低い声が夜に響いた。
その姿を見た瞬間、ルナリアの顔色が変わる。
「まさか……」
「知ってるのか?」
「教団執行部直属……炎牙のガルド……」
男はゆっくりと銃を構える。
蒼い星晶が銃口へ集まり始めた。
ただ構えただけで空気が震える。
圧倒的な威圧感。
シオンは剣を抜き、ルナリアを庇うように前へ立った。
「来るなら来い。」
ガルドはしばらく二人を見つめていた。
まるで何かを確かめるように。
やがて小さく息を吐く。
「……なるほどな。」
「何だよ。」
シオンが睨み返す。
だがガルドは答えなかった。
静かに銃口を下ろす。
シオンもルナリアも目を見開く。
ガルドは背を向け、静かに言った。
「逃げろ。」
「……は?」
「今のお前たちでは勝てない。」
夜風が黒い外套を揺らす。
「生き延びろ。」
「そして知れ。」
ガルドは星空を見上げた。
「この世界の真実を。」
その横顔には、追跡者とは思えない悲しみが浮かんでいた。
シオンは叫ぶ。
「待て!」
ガルドは振り返らない。
最後に一言だけ残す。
「月の民を守れ。」
その瞬間、男の姿は夜の闇へ溶けるように消えた。
静寂だけが残る。
シオンとルナリアは、その場から動くことができなかった。
なぜ見逃されたのか。
なぜガルドは真実を知っているのか。
何一つ分からない。
だが、一つだけ確かなことがあった。
二人はもう、後戻りできない。
世界の裏側へ続く扉は、静かに開かれたのだから。




