海の番人
「観測終了。」
「文明番号――第三百二十一世界。」
「消去を開始する。」
冷たい声が都市全体へ響き渡る。
純白のローブ。
黄金の仮面。
六枚の黒翼。
男はまるで感情という概念を持たないような無機質な視線で街を見下ろしていた。
シオンはゆっくり剣を抜く。
「お前は誰だ。」
男は静かに答える。
「執行管理者。」
「個体名――《アズラエル》。」
「文明消去任務を担当する。」
ノアの顔色が変わる。
「執行管理者……。」
「そんな存在まで。」
ルクスが低く呟く。
「管理者にも役割がある。」
「観測。」
「記録。」
「維持。」
「そして。」
「世界を終わらせる執行者。」
ヴォルグが拳を鳴らした。
「なるほど。」
「つまり今回の敵ってことだな。」
アズラエルはヴォルグを見ることもなく答えた。
「違う。」
「敵ではない。」
「職務だ。」
「文明は役目を終えた。」
「消去する。」
「それだけだ。」
シオンは少女の前へ立つ。
「この街はまだ終わってない。」
「住む人はもういない。」
アズラエルが淡々と返す。
「文明活動停止。」
「創世核欠片、機能停止率九九・九九八%。」
「生命反応。」
「零。」
「消去条件を満たしている。」
少女は涙を流しながら叫ぶ。
「違う!」
「まだここには!」
「みんなの思い出がある!」
「約束がある!」
アズラエルの瞳が少女へ向く。
「記憶は文明ではない。」
「想いは資源ではない。」
「消去対象外。」
少女は首を横へ振る。
「違う!」
「違うよ!」
「みんな生きてたんだよ!」
「笑ってたんだよ!」
その叫びも、アズラエルの表情を変えることはなかった。
「観測終了。」
「処理続行。」
右手をゆっくり掲げる。
空に巨大な魔法陣が展開された。
それは今まで見たどの魔法とも違う。
文字ではなく、無数の数式で構成されている。
都市全体を覆うほど巨大な演算式。
ノアが息を呑む。
「世界そのものを書き換える術式……!」
「まずい!」
「止めないと街が存在ごと消されます!」
シオンが地面を蹴る。
「レオ!」
「ああ!」
二人が同時に跳ぶ。
銀閃。
黒閃。
二本の剣がアズラエルへ迫る。
しかし。
キィィィン――。
見えない壁へ弾かれた。
「何!」
レオニクスが驚く。
アズラエルは一歩も動かない。
「攻撃判定。」
「無効。」
「世界法則による保護を確認。」
ヴォルグが続けて飛び込む。
「なら!」
「力尽くだ!」
巨大な拳が結界へ叩き込まれる。
轟音。
都市全体が揺れるほどの衝撃。
それでも結界には傷一つ付かなかった。
「嘘だろ……。」
ヴォルグが拳を見つめる。
アリアはすぐに結界を観察する。
「違う。」
「硬いんじゃない。」
「攻撃そのものが消されてる。」
「存在を。」
「無かったことにされてる。」
その言葉に全員が息を呑んだ。
アズラエルは淡々と続ける。
「私は戦闘用管理者ではない。」
「世界法則そのもの。」
「故に。」
「破壊不能。」
シオンは剣を握り直す。
「破壊できないなら。」
「止める。」
「方法はある。」
アズラエルが初めてシオンだけを見た。
「最後の観測者。」
「質問。」
「なぜ無意味な抵抗を続ける。」
シオンは迷わず答えた。
「無意味かどうかは。」
「最後までやった奴が決める。」
「途中で諦めた奴が決めることじゃない。」
その瞬間。
アズラエルの仮面へ小さな亀裂が入る。
パキッ。
誰も見逃さなかった。
ルクスが目を見開く。
「感情……?」
ノアも驚きを隠せない。
「管理者が。」
「揺らいでる……。」
アズラエルは静かに自分の仮面へ触れた。
「異常。」
「感情発生。」
「原因不明。」
初めてだった。
管理者の声へ、僅かな迷いが混じる。
その時。
少女がゆっくりアズラエルを見上げた。
「ねぇ。」
「あなた。」
「昔。」
「ここへ来たことあるよね。」
静寂。
アズラエルの身体が僅かに震えた。
少女は涙を流しながら微笑む。
「思い出した。」
「あなた。」
「昔、私と遊んでくれた。」
「白いお兄ちゃん。」
世界が止まったようだった。
アズラエルの仮面へ、二本目の亀裂が走る。
「……記録。」
「照合開始。」
「該当データ。」
「閲覧禁止。」
「エラー。」
「エラー。」
「エラー。」
頭を押さえたアズラエルの周囲で、巨大な消去術式が激しく乱れ始める。
都市を覆っていた数式が崩壊し、空から無数の光の文字が降り注いだ。
シオンは確信する。
「こいつにも。」
「記憶がある。」
ルクスは静かに頷いた。
「いや。」
「封印されている。」
「管理者になる前の。」
「一人の人間としての記憶が。」
アズラエルは苦しそうに膝をつく。
仮面の奥から、初めて苦痛に満ちた声が漏れた。
「私は……。」
「誰だ……。」
その叫びと同時に、都市の地下深くから巨大な黒い衝撃波が噴き上がる。
創世核の欠片が、ついに終焉へ侵食され始めていた。




