「月光覚醒」
「あなたは世界を救うために生まれたの」
セレネの言葉が胸の奥に残っていた。
月風が吹く。
白い花畑が静かに揺れる。
巨大な月が夜空に浮かんでいる。
ルナリアは立ち尽くしていた。
言葉が出ない。
世界再生。
月の民。
継承者。
世界の終焉。
あまりにも大きな真実だった。
自分が今まで抱えてきた疑問。
追われ続けた理由。
教団が執拗に狙ってきた理由。
全てが繋がった。
だが――
理解したからといって受け入れられるわけではない。
ルナリアは俯いた。
「私……」
声が震える。
「本当にそんな存在なの?」
月花が揺れる。
セレネは静かに見つめていた。
責めることもない。
急かすこともない。
ただ優しく。
ずっと待っていた母のように。
ルナリアは拳を握る。
「私は特別なんかじゃない」
「ただ生きたかっただけ」
「普通に笑って」
「友達を作って」
「好きな人と話して」
「そんな普通の人生が欲しかっただけなのに……」
涙が零れる。
知らないうちに。
頬を伝っていた。
「どうして私なの……?」
苦しかった。
怖かった。
世界の運命なんて背負いたくない。
誰かの犠牲になるために生まれたくない。
そう思うのは当然だった。
セレネはゆっくりと近付く。
そして優しく抱き寄せた。
温かい。
懐かしい。
忘れていたぬくもりだった。
「そう思うのは当然よ」
優しい声。
ルナリアの身体が小さく震える。
「私も同じだった」
その言葉にルナリアは顔を上げた。
「え……?」
セレネは少しだけ苦笑する。
「最初の継承者だった私も怖かった」
風が吹く。
銀髪が揺れる。
「逃げたかった」
「泣いたこともある」
「何度も運命を恨んだ」
ルナリアは目を見開く。
神話の存在。
完璧な存在だと思っていた。
だが違った。
目の前にいるのは。
自分と同じ少女だった。
セレネは続ける。
「でもね」
優しく微笑む。
「強かったから戦ったんじゃない」
「守りたい人がいたから戦えたの」
その言葉に。
ルナリアの脳裏へ一人の少年が浮かぶ。
黒髪。
蒼い瞳。
不器用で。
口が悪くて。
でも誰より優しい少年。
シオン。
自然と笑みが零れた。
セレネは気付いていた。
「大切な人がいるのね」
ルナリアの顔が少し赤くなる。
「そ、そういうんじゃ……」
言いかけて。
やめた。
違わないかもしれない。
気付けば。
いつもシオンを見ていた。
彼が傷付けば苦しかった。
笑えば嬉しかった。
危険な場所へ行けば心配になった。
いつの間にか。
彼は特別になっていた。
セレネは微笑む。
「なら大丈夫」
「え?」
「あなたはもう答えを持っている」
ルナリアは首を傾げた。
セレネは静かに言う。
「守りたい人がいる」
「それだけで十分なの」
沈黙。
月光が優しく二人を照らしている。
その時だった。
周囲の空間が輝き始めた。
無数の光。
淡い銀色の粒子。
それらが少しずつ人の形を作り始める。
ルナリアは息を呑んだ。
そこに現れたのは。
歴代の月の継承者達だった。
少女。
女性。
年老いた巫女。
様々な姿。
だが全員が優しい瞳をしている。
誰もが月光を纏っていた。
「この人達は……」
セレネが頷く。
「あなたの先輩達」
静かな声。
継承者達は微笑んでいた。
恨みはない。
怒りもない。
悲しみを乗り越えた者だけが持つ穏やかな表情。
一人の少女が前へ出る。
まだ十四、五歳ほどだろう。
「大丈夫」
柔らかな声。
「私達も最初は怖かった」
別の女性が笑う。
「でもちゃんと歩けたよ」
また一人。
「だからあなたも歩ける」
ルナリアの目に涙が浮かぶ。
温かかった。
ずっと独りだと思っていた。
ずっと追われるだけの人生だった。
だが違った。
自分の前には多くの人達がいた。
同じ運命を背負い。
同じ苦しみを経験し。
それでも未来へ進んだ人達。
「私……」
胸が熱い。
涙が止まらない。
「頑張る」
小さな声だった。
だが確かな意思があった。
「世界を守りたい」
「みんなを守りたい」
「シオンを守りたい」
その瞬間だった。
月が輝く。
眩いほどに。
世界全体が白く染まる。
継承者達が微笑む。
セレネも優しく頷いた。
「なら受け取りなさい」
月風が吹き抜ける。
花畑が揺れる。
そして。
歴代継承者達の身体が光へ変わった。
無数の月光。
数え切れない願い。
祈り。
記憶。
想い。
それら全てがルナリアへ流れ込む。
「ぁ……!」
身体が熱い。
苦しい。
だが嫌ではない。
温かい。
誰かに抱き締められているような感覚。
無数の声が聞こえる。
『守って』
『生きて』
『託したよ』
『お願い』
その全てが。
今のルナリアを支えていた。
光が爆発する。
銀髪が舞う。
ペンダントが激しく共鳴する。
ドクン。
ドクン。
ドクン。
心臓と重なる。
そして。
背中から純白の光が溢れた。
最初は小さかった。
だが次第に大きくなる。
羽。
翼。
月光そのものが形を持った神聖な翼。
ルナリアは目を見開く。
「これが……」
歴代継承者達の力。
月の継承者の証。
月光翼。
セレネが誇らしげに微笑んだ。
「綺麗でしょう?」
ルナリアは頷く。
言葉にならない。
その時だった。
ゴォォォォォォォォ――
世界が揺れた。
月光が乱れる。
花畑が崩れ始める。
ルナリアが顔を上げる。
空が赤く染まっていた。
巨大な瞳。
世界の外側。
星喰い。
セレネの表情が初めて変わる。
「気付かれた」
低い声。
緊張が走る。
ルナリアの胸がざわついた。
「星喰い……」
セレネは頷く。
「時間がない」
空間が崩壊していく。
月光の世界が砕け始めていた。
セレネはルナリアの肩を掴む。
「聞いて」
真剣な瞳。
「これから先、必ず選択の時が来る」
ルナリアは息を呑む。
「選択……?」
「世界か」
セレネは静かに言う。
「大切な人か」
胸が大きく脈打つ。
シオンの顔が浮かぶ。
アリア。
エリナ。
ガルド。
仲間達。
セレネは悲しそうに微笑んだ。
「でも忘れないで」
月光世界が崩れていく。
「あなたは独りじゃない」
最後に。
セレネはルナリアを抱き締めた。
母のように。
優しく。
温かく。
「生きなさい」
その瞬間。
遠くから声が聞こえた。
必死な声。
聞き慣れた声。
「ルナリア!!」
シオンだった。
ルナリアは目を見開く。
セレネが微笑む。
「行きなさい」
月光が砕ける。
花畑が消える。
巨大な月が遠ざかる。
ルナリアは最後に振り返った。
セレネは微笑んでいた。
その姿を胸に刻みながら。
ルナリアの意識は現実へと引き戻されていった。




