「世界の鍵」
「ルナリア!!」
声が響く。
遠くから。
必死に。
何度も。
何度も。
呼び続ける声。
シオンだった。
その声を聞いた瞬間。
ルナリアの意識は現実へと引き戻された。
⸻
眩しい光。
轟く風。
熱気。
戦場の匂い。
焦げた大地。
崩壊した建物。
響き続ける警報。
アストレア。
現実だった。
ルナリアはゆっくりと目を開く。
視界は滲んでいた。
だが。
目の前には確かにいた。
黒い光を纏う少年。
黒星王。
最後の観測者。
シオン・アルヴィス。
「……シオン」
自然と名前が零れる。
その声を聞いた瞬間。
シオンは大きく息を吐いた。
「良かった……」
小さな呟き。
だが本心だった。
今まで何度も危険を潜り抜けてきた。
それでも。
今ほど怖かったことはない。
ルナリアが消えてしまう気がした。
二度と戻らない気がした。
だから。
その姿を見た瞬間。
胸の奥に溜まっていた緊張が少しだけ解けた。
ルナリアは小さく笑った。
「心配した?」
「当たり前だろ」
即答だった。
それが少し嬉しかった。
だが。
束の間の安堵は長く続かない。
ゴォォォォォォォォ――
空が震えた。
大気が軋む。
全員が顔を上げる。
裂けた空。
世界の外側。
巨大な赤い瞳。
星喰い。
絶望そのもの。
その視線が。
今は完全にルナリアへ向けられていた。
市民達が震える。
研究員達が膝をつく。
教団兵達ですら恐怖に顔を歪める。
七星将ですら沈黙していた。
圧倒的だった。
存在するだけで心を削る。
生物としての本能が告げている。
勝てない。
抗えない。
理解不能な存在だと。
そして
星喰いが口を開いた。
『見つけた』
低い声。
世界そのものが震える。
『月の継承者』
その言葉が響いた瞬間。
ルナリアの胸が熱くなる。
心臓が脈打つ。
ドクン。
ドクン。
ドクン。
歴代継承者達の記憶。
セレネの言葉。
全てが共鳴していた。
『世界の鍵』
その瞬間だった。
ルナリアの身体から光が溢れ出す。
蒼白い月光。
優しく。
神聖で。
それでいて圧倒的な力。
背中から純白の翼が広がった。
月光翼。
歴代継承者達の想いが形になった証。
アストレア全域が照らされる。
崩壊しかけていた空気が変わる。
絶望の中に差し込む希望の光。
誰もが見上げていた。
その姿を。
「綺麗……」
誰かが呟く。
それは市民だったのか。
研究員だったのか。
分からない。
だが多くの者が同じことを思った。
月の女神。
そう呼ぶしかないほど神々しかった。
レオニクスは目を見開く。
「本当に存在したのか……」
彼が追い求めた伝承。
禁書にしか記されていなかった存在。
月の継承者。
その伝説が今。
目の前で現実になっていた。
星喰いが静かに笑う。
『ようやく目覚めたか』
その声には明確な警戒があった。
黒星王だけではない。
月の継承者もまた。
星喰いにとって脅威なのだ。
ルナリアは一歩前へ出る。
怖い。
圧倒的に怖い。
身体が震える。
逃げ出したい。
だが。
隣にはシオンがいる。
だから前を向けた。
「私は負けない」
静かな声。
だが強い。
「世界も」
「仲間も」
「全部守る」
月光が強く輝く。
星喰いが沈黙する。
巨大な瞳が細められた。
『面白い』
低い笑い声。
『今代は違うらしい』
その時だった。
後方で一人の少女が震えていた。
セラフィナ・フロスト。
氷晶将。
七星将。
教団最高戦力の一人。
彼女はルナリアを見つめていた。
月光。
希望。
守りたいという想い。
その全てが。
かつて自分が失ったものだった。
雪の村。
寒さ。
孤独。
泣いていた幼い少女。
誰も助けてくれなかった。
そこへ現れた教団。
救済の名の下に。
全てを奪った。
感情も。
人生も。
涙も。
「私は……」
声が震える。
何のために戦っていた。
誰のために生きていた。
何を守ろうとしていた。
答えが見つからない。
その時。
シオンの言葉を思い出す。
『これから決めればいい』
短い言葉。
だが。
その一言がずっと胸に残っていた。
セラフィナは静かに剣を見た。
氷晶剣。
今まで数え切れない命を奪った剣。
命令のためだけに振るい続けた剣。
そして。
手を離した。
カラン――
乾いた音。
戦場が静まり返る。
教団軍が騒然となる。
「セラフィナ様!?」
「何を……!」
「命令を!!」
だが。
セラフィナは答えない。
ただ静かに言った。
「私は」
涙が零れる。
人生で初めて流す涙。
「もう兵器じゃない」
その瞬間。
星喰いではない別の力が動き出した。
ゴォォォォォォォォ――
雲海が割れる。
空が震える。
世界が揺れる。
レオニクスの顔色が変わった。
「まずい……」
ガルドが振り返る。
「今度は何だ!」
レオニクスは空を見上げたまま答えた。
「来る」
その声は重かった。
「教団本部だ」
遥か上空。
雲海の向こう。
巨大な影が姿を現し始める。
白き神殿。
空を支配する都市。
神話にのみ存在した場所。
エクリプス教団本部。
空中神殿エデン。
その巨大な姿がゆっくりとアストレア上空へ降臨し始めていた。
黒星王。
月の継承者。
星喰い。
そして教団。
全ての運命が交わる時が来る。
終焉と再生を巡る戦いは。
今まさに新たな局面へ突入しようとしていた。




