夜を照らす花
「……ステラ。」
女性の声が、静かな草原へ溶けていく。
その一言を聞いた瞬間、少女の身体が小さく震えた。
「知ってる……。」
ステラは胸を押さえながら女性を見つめる。
「この声……。」
「思い出せそうなの。」
女性は一歩だけ前へ出た。
他の《ロスト》とは違い、その瞳には確かな意思が残っている。
頬を伝う涙だけが、彼女がまだ”自分”を失っていない証だった。
「ごめんね……。」
かすれた声で呟く。
「約束を……守れなかった。」
ステラは苦しそうに頭を抱える。
「あっ……。」
「やめ……。」
「頭が……。」
シオンはすぐに肩を支えた。
「無理に思い出さなくていい。」
「でも……。」
少女は涙を零しながら首を振る。
「大事な人なの。」
「忘れちゃいけない人なの。」
ルナリアもそっと背中をさする。
「ゆっくりでいい。」
「焦らなくて大丈夫。」
その優しい声に、ステラは少しだけ落ち着きを取り戻した。
一方、レオニクスは女性から視線を外さない。
「妙だ。」
「《ロスト》なら理性は残らないはずだ。」
ノアも険しい表情で頷く。
「ええ。」
「ここまで自我を保っている例は聞いたことがありません。」
女性はシオン達を見つめ、小さく頭を下げた。
「お願い……。」
「この子を……。」
「助けて。」
その瞬間だった。
女性の身体から黒い霧が噴き出す。
「ぐっ……!」
苦しそうに胸を押さえ、その場へ膝をつく。
黒い紋様が首筋から頬へ広がり、瞳が少しずつ黒く染まり始めた。
「駄目……。」
「また……飲まれる。」
シオンは一歩踏み出す。
「助ける!」
「来ないで!」
女性は叫んだ。
「今の私は……もう。」
「違う!」
シオンは迷わなかった。
「まだ自分を保ってる!」
「だったら助けられる!」
女性は悲しそうに笑う。
「あなた……。」
「本当に。」
「始祖様に似てる。」
その名前を聞いた瞬間、全員の動きが止まる。
「始祖を……知ってるのか?」
女性は苦しそうに頷いた。
「昔……。」
「この草原へ来た。」
「まだ世界が若かった頃。」
「私達、星の民は。」
「始祖様から。」
「世界を見守る役目をもらった。」
ルクスが目を見開く。
「そんな記録は残っていない。」
「誰も……残さなかったから。」
女性は寂しそうに笑う。
「星の民は。」
「歴史へ名前を刻まない。」
「世界を支えるだけ。」
「それが使命だった。」
シオンは拳を握り締めた。
まただった。
世界は、いつも名もなき誰かによって支えられていた。
始祖。
アビス。
ネメシス。
そして、この星の民も。
「名前。」
シオンが静かに尋ねる。
「あなたの名前は?」
女性は少しだけ目を閉じた。
長い沈黙の後、小さく答える。
「……リシア。」
「リシア。」
その名を聞いた瞬間、ステラの瞳から大粒の涙が溢れた。
「リシア……お姉ちゃん。」
記憶が弾ける。
星花が咲く丘。
小さな少女の手を引きながら笑う女性。
夜空を見上げ、一緒に歌を歌う二人。
「ステラ。」
「星はね。」
「寂しい人を照らすために光るの。」
優しい笑顔。
温かな手。
忘れていた記憶が、一気に胸へ溢れ出した。
「お姉ちゃん!」
ステラは涙を流しながら走り出す。
「待て!」
シオンが止めようとする。
しかし、その声より早く。
リシアの身体を覆っていた黒い霧が完全に暴走した。
ゴォォォォォォッ!!
黒い魔力が空へ噴き上がる。
リシアは苦しそうに叫んだ。
「来ちゃ駄目ぇぇぇぇぇ!!」
漆黒の翼が背中から広がる。
瞳は完全な闇へ染まり、理性が飲み込まれていく。
それでも。
最後の最後まで。
リシアの右手だけは、ステラへ向かって伸ばされていた。
「逃げて……。」
震える声だった。
その一言を最後に、リシアの意識は黒い霧へ呑み込まれる。
シオンは静かに《ECLIPSE》の代わりとなる旅用の剣を抜いた。
その瞳に迷いはない。
「必ず。」
「助ける。」
「今度は。」
「誰一人、諦めない。」
その決意に応えるように、草原を埋め尽くくしていた星花が一斉に青白く輝き始める。
夜ではない。
昼間にもかかわらず、無数の星花が空へ光を放つ。
まるで、この戦いを見守るように。
あるいは――
最後の観測者へ希望を託すように。




