約束の空
虚無を満たしていた白い光が、静かに揺らぐ。
少年が握るシオンの右手。
その温もりが、何億年もの孤独を少しずつ溶かしていく。
少年は震える声で呟いた。
「……温かい。」
その一言だけだった。
涙が零れ落ちる。
生まれて初めて流す涙。
それは終焉ではなく、一つの命が初めて誰かと繋がった証だった。
シオンは穏やかに笑う。
「そうだ。」
「これが生きるってことだ。」
少年はゆっくり顔を上げる。
「生きる……。」
「誰かと笑って。」
「誰かと泣いて。」
「誰かと約束することだ。」
「それが命なんだ。」
少年はその言葉を大切そうに胸へ抱き締めた。
しかし、その穏やかな時間を切り裂くように、光の奥から笑い声が響く。
「ククク……。」
白い光が黒く染まる。
少年の身体が震え始めた。
「うっ……!」
シオンが肩を支える。
「どうした!」
「中に……いる。」
少年は苦しそうに胸を押さえた。
「ずっと。」
「僕の中で笑ってる。」
エインは《創世の剣》を抜いた。
「来るぞ。」
ネメシスも前へ出る。
「今まで封じられていた”悪意”だけが分離する。」
ルクスは黄金の瞳を細める。
「終焉は悪ではない。」
「だが。」
「悪意は違う。」
少年の胸から黒い霧が溢れ始める。
その霧はゆっくりと人の形を作り出していく。
長い黒髪。
漆黒の法衣。
全身を覆う闇。
顔だけは見えない。
影の奥で、黄金の瞳だけが静かに輝いていた。
「ようやく。」
男は笑う。
「ようやく外へ出られた。」
その声だけで虚無が軋む。
世界群の崩壊が再び加速し始めた。
第五百世界。
新世界。
砕けた世界が次々と光を失っていく。
シオンは少年を背中へ庇う。
「お前は誰だ。」
男は楽しそうに肩を竦めた。
「名前か。」
「何億年も前に捨てた。」
「今は。」
「終焉の残滓。」
「そう呼ばれている。」
ルクスは険しい表情で一歩前へ出た。
「違う。」
「貴様は。」
「“絶望”だ。」
男の笑みが深くなる。
「その名も悪くない。」
「私は世界が生まれる前。」
「命という概念へ最初に絶望した感情。」
「終わりではない。」
「希望を否定する意思。」
シオンは《ECLIPSE》を構える。
「だから世界を壊そうとしてるのか。」
「違う。」
男は静かに首を横へ振った。
「壊したいわけじゃない。」
「証明したいだけだ。」
「命は必ず絶望する。」
「愛は裏切られる。」
「希望は砕ける。」
「なら。」
「最初から存在しない方が幸せだ。」
静かな声だった。
それでも、その言葉には何億年もの孤独と諦めが滲んでいた。
シオンは剣を握る。
「違うな。」
男は笑う。
「何が違う。」
「絶望することはある。」
「裏切られることもある。」
「仲間を失うこともある。」
シオンの脳裏へ始祖の笑顔が浮かぶ。
クロノス。
レイ。
ルシエル。
消えていった仲間たち。
胸が痛む。
今でも苦しい。
それでも。
「だからって。」
「出会わなければよかったなんて。」
「一度も思ったことはない。」
虚無が静まり返る。
シオンは一歩踏み出す。
「始祖に会えてよかった。」
「クロノスと笑えてよかった。」
「ルナリアと出会えてよかった。」
「アリアも。」
「レオニクスも。」
「ヴォルグも。」
「全部だ。」
「失った悲しみより。」
「出会えた喜びの方が。」
「ずっと大きい。」
男の笑みが初めて消える。
「……理解できない。」
「理解できなくていい。」
シオンは静かに笑った。
「それでも。」
「俺は世界を選ぶ。」
その瞬間だった。
崩壊していた世界群から無数の光が舞い上がる。
第五百世界の人々。
新世界の命。
始祖。
クロノス。
七柱。
今まで出会った全ての存在の想いが、一筋の光となって《ECLIPSE》へ集まっていく。
透明だった刀身は、朝焼けのような淡い金色へ変わっていった。
エインはその輝きを見て、小さく笑う。
「……始祖。」
「見ているか。」
「お前が夢見た未来が。」
「ようやく始まる。」
シオンは《ECLIPSE》を静かに構える。
その切っ先を、絶望へ向ける。
「次で終わらせる。」
男もゆっくりと右手を掲げた。
黒い霧が世界すべてを覆い尽くそうと広がっていく。
希望と絶望。
創世から続いてきた二つの意志。
その決着は、ついに最後の一撃へ委ねられた。




