残された者たち
崩壊していた世界群から、音が消えた。
砕け落ちていた大地も、虚無へ飲み込まれかけていた星々も、まるで誰かに時間を止められたように静止している。
シオンは息を呑み、目の前に立つエインを見つめた。
「何をした。」
エインは振り返らない。
蒼と黄金、二つの瞳は静かに虚無の彼方を見据えていた。
「止めたわけじゃない。」
「終わりを、ほんの少しだけ遅らせた。」
「そんなことができるのか。」
「今だけだ。」
エインは静かに微笑む。
「この世界には、もう時間そのものが存在しない。」
「だから”一瞬”を永遠へ引き延ばせる。」
シオンは理解できないまま苦笑した。
「相変わらず説明が難しいな。」
「始祖にもよく言われた。」
エインは少しだけ笑う。
その笑顔には、どこか始祖と似た優しさがあった。
しかし、その穏やかな空気とは裏腹に、虚無の奥では巨大な亀裂がゆっくりと広がっていく。
世界群の崩壊は止まっていない。
猶予を与えられているだけだった。
エインは右手を軽く振る。
虚無へ幾つもの光が浮かび上がり、一枚の巨大な鏡のようなものを形作った。
「見ろ。」
その一言で景色が変わる。
最初に映ったのは第五百世界だった。
王都セレスティア。
崩れた城壁の上へ、レオニクスが剣を突き立てて立っている。
傷だらけだった。
鎧は砕け、肩からは血が流れている。
それでも彼は最後まで空を見上げていた。
「……団長。」
若い騎士が震える声を漏らす。
「もう防げません。」
レオニクスは静かに目を閉じる。
「分かっている。」
「だが剣を下ろすな。」
「騎士は最後の最後まで民を守る。」
その言葉だけで、周囲の騎士たちは再び剣を握り直した。
誰も諦めていない。
その姿を見つめるシオンの拳へ自然と力が入る。
「レオニクス……。」
鏡の景色が変わる。
今度はアリアだった。
黒い外套は裂け、右腕から血を流しながらも、避難する子どもたちの最後尾を走っている。
「急いで!」
「後ろを見るな!」
泣きじゃくる少女を抱き上げると、優しく頭を撫でた。
「大丈夫。」
「シオンなら絶対帰ってくる。」
その言葉は、少女へ向けたものだったのか。
自分自身へ言い聞かせていたのか。
シオンには分からなかった。
さらに景色は移る。
ヴォルグは瓦礫となった街で巨大な岩盤を支えていた。
全身を血で染めながら叫ぶ。
「早く逃げろ!」
「ここは俺が支える!」
「ヴォルグ!」
仲間が叫ぶ。
「もう限界だ!」
「うるせぇ!」
ヴォルグは笑った。
「俺は七星将筆頭だ!」
「この程度で潰れるかよ!」
その豪快な笑い声に、避難する人々の顔へ少しだけ笑顔が戻る。
シオンは思わず笑った。
「……本当に馬鹿だ。」
「そういう奴ほど最後まで立ち続ける。」
エインの声は穏やかだった。
「だから命は美しい。」
鏡は最後の景色を映し出す。
世界樹オメガ。
純白の幹へ身体を預けたエルディアが、小さく空を見上げていた。
「シオン……。」
少女は震える唇でその名を呼ぶ。
「約束……覚えてる?」
誰も答えない。
それでも少女は優しく微笑んだ。
「私は待ってる。」
「だから帰ってきて。」
その笑顔を見た瞬間。
シオンの胸の奥で何かが弾けた。
仲間たちはまだ戦っている。
誰一人諦めていない。
なら、自分だけが立ち止まるわけにはいかなかった。
シオンはゆっくりエインへ向き直る。
「……ありがとう。」
「みんなが待ってる。」
「俺は帰る。」
エインは静かに頷いた。
「その答えを聞きたかった。」
虚無の奥から、重い鼓動が響く。
ドクン──。
ドクン──。
先ほどまで静止していた崩壊が、再びゆっくりと動き始める。
「時間切れだ。」
エインの表情から笑みが消えた。
「これから会う存在は、始祖もクロノスも最後まで勝てなかった。」
シオンは《オブザーバー・レガリア》を静かに握る。
「外界の王か。」
エインは首を横へ振った。
「違う。」
「王ではない。」
「もっと古い。」
虚無の最深部。
そこには巨大な玉座があった。
その玉座へ、一人の誰かが静かに腰掛けている。
顔は見えない。
輪郭すら曖昧だった。
それでも、その存在が目を開いた瞬間。
世界群すべてが震え始めた。
エインは深く息を吐き、ゆっくりその名を口にする。
「創世以前より存在する唯一の支配者。」
「外界の始祖――」
「ネメシス。」
その名が虚無へ響いた瞬間、玉座の存在が静かに笑った。




