クロノスの覚悟
神域を満たしていた黄金の光が、静かに揺らいだ。
始祖の背に広がる六枚の黄金翼。
その一枚一枚から膨大な創世の力が溢れ出し、崩壊を続けていた神域を辛うじて支えている。
だが、その代償はあまりにも大きかった。
始祖の身体は少しずつ透け始めていた。
「始祖!」
シオンが駆け寄ろうとする。
しかし、その肩を掴んだのはクロノスだった。
「行くな。」
低い声だった。
「でも、このままじゃ……!」
「分かっている。」
クロノスは始祖を見つめたまま答える。
「だからこそ、お前は動くな。」
シオンは歯を食いしばる。
「また誰かが犠牲になるのを見てろって言うのか!」
その叫びが神域へ響いた。
始祖は苦笑する。
「本当に変わらんな。」
「昔から、お前は誰かが犠牲になることだけは許せなかった。」
「当たり前だろ。」
シオンは拳を握る。
「そのためにここまで来たんだ。」
「エルディアも。」
「ルシエルも。」
「世界も。」
「全部救うために。」
始祖は何も言わなかった。
ただ、その言葉を噛み締めるように目を閉じる。
その時だった。
クロノスが静かに前へ歩き出した。
黒い神剣を肩へ担ぎ、始祖の隣へ並ぶ。
「……一人で格好付けるな。」
始祖は横目で笑う。
「何だ。」
「まだ文句でもあるのか。」
「ある。」
クロノスは鼻で笑った。
「創世の頃から、お前は全部一人で決める。」
「今回もそうだ。」
「相談くらいしろ。」
始祖は肩を竦める。
「相談したら止めるだろ。」
「当然だ。」
「だから相談しなかった。」
二人は顔を見合わせる。
数秒の沈黙。
やがて二人は同時に吹き出した。
「本当に面倒な奴だ。」
「それはこっちの台詞だ。」
シオンは呆れたように二人を見る。
「こんな状況で笑えるの、お前らくらいだぞ。」
「笑えるうちに笑っておけ。」
クロノスは静かに剣を構えた。
「泣くのは全部終わってからでいい。」
その言葉を聞いたレイが優しく微笑む。
「昔もそうでしたね。」
アイオーンも懐かしそうに頷く。
「七柱が揃うと、いつも誰かが馬鹿を言っていました。」
モイラが小さく笑う。
「そのおかげで、何度世界が救われたことか。」
アダムは静かに契約書を閉じた。
「これが七柱です。」
「神ではなく、一人の仲間だった。」
その穏やかな時間を切り裂くように、外界の男が再び歩き始めた。
黒く染まった神域がさらに広がる。
男は始祖とクロノスを見つめる。
「理解できない。」
「なぜ笑う。」
「消えるというのに。」
始祖は黄金の剣を構えた。
「お前には分からないだろう。」
クロノスも黒き神剣を握る。
「だから命は面白い。」
男は少しだけ首を傾げる。
「面白い?」
「そうだ。」
クロノスの口元に笑みが浮かぶ。
「命は終わるから価値がある。」
「永遠なんて退屈だ。」
その一言だった。
外界の男が初めて沈黙する。
「……終わる。」
「だから。」
「価値がある。」
その言葉を繰り返すように呟く。
シオンは男を見つめた。
ほんの僅かだった。
男の瞳に、理解できない感情が生まれたように見えた。
だが、その瞬間。
外界の無数の眼が一斉に開く。
ゴォォォォォォォォォォォ!!
男の身体へ黒い光が流れ込んだ。
表情が消える。
感情も消える。
「観測完了。」
「対象を排除する。」
淡々とした声。
神域全体へ膨大な圧力が降り注ぐ。
始祖は静かに息を吐いた。
「もう時間がない。」
クロノスは頷く。
「ああ。」
「なら。」
「俺も付き合う。」
始祖が驚いたように親友を見る。
「何を言っている。」
「決まってる。」
クロノスは剣を始祖へ向けた。
その切っ先は敵ではなく、親友へ向けられていた。
「お前一人じゃ死なせない。」
神域が静まり返る。
アダムが目を見開く。
レイも息を呑む。
シオンは叫んだ。
「クロノス!」
クロノスは振り返らない。
「創世の時。」
「世界は七人で創った。」
「なら。」
「最後も七人で終わらせる。」
始祖は静かに笑った。
その笑顔は、創世の日と何一つ変わっていなかった。
「……ありがとう。」
「今さら礼なんか言うな。」
クロノスは照れ臭そうに笑う。
「親友だろ。」
その言葉を聞いた始祖は、小さく頷いた。
「そうだったな。」
黄金の神威と漆黒の神威。
二つの力がゆっくりと溶け合い始める。
神域の空が震える。
創世神と記録神。
二柱の神が、最後の覚悟を決めた瞬間だった。




