始祖最後の決断
神域へ降り立った男は、静かに周囲を見渡していた。
白い大地。
崩壊した神像。
七柱。
そして最後の観測者。
その視線には敵意も好奇心もない。
ただ、初めて世界を見た者の純粋な観察だけがあった。
男はゆっくりと足を踏み出す。
一歩。
また一歩。
その歩みに合わせるように、神域の床が黒く染まり始めた。
白かった石畳は色を失い、法則そのものが崩れていく。
アイオーンが眉をひそめる。
「時間軸が……消えていく。」
砂時計の砂が、音もなく砕けた。
モイラは指先に絡みつく運命の糸へ視線を落とす。
「因果も繋がらない。」
「未来が見えません……。」
レイは静かに本を開いた。
しかし、白紙だった。
「記録できない。」
「存在を認識できても、歴史として刻めない。」
クロノスが低く舌打ちする。
「俺の権能まで無効化するか。」
アダムは契約書を閉じた。
「契約が成立しません。」
「法則そのものを受け付けていない。」
七柱の力が、一つずつ封じられていく。
始祖だけは男から目を離さなかった。
「……だから外界だったのか。」
男は初めて始祖を見る。
「お前。」
「生命を創った者か。」
始祖は黄金の剣を静かに構えた。
「そうだ。」
「なら聞きたい。」
男は本当に不思議そうな顔をした。
「なぜ命を創った。」
シオンは男を睨みつける。
「そんなことを聞くために世界を壊すのか。」
男は首を傾げた。
「壊す?」
「違う。」
「私は理解したい。」
「理解できないものを調べているだけ。」
その言葉に嘘はなかった。
始祖が静かに口を開く。
「お前には命が分からない。」
「だから観察する。」
「そういうことか。」
男は小さく頷く。
「命は。」
「なぜ自分より他者を優先する。」
「なぜ有限なのに笑う。」
「なぜ失うと涙を流す。」
「理解できない。」
静かな声だった。
感情がないのではない。
感情という概念そのものを知らない。
シオンは一歩前へ出た。
「答えなんてない。」
男は視線を向ける。
「ない?」
「人それぞれだからだ。」
「誰かのために戦う理由も。」
「笑う理由も。」
「生きる意味も。」
「全部違う。」
男は黙った。
長い沈黙。
まるで、その言葉を処理しているようだった。
しかし次の瞬間、男はゆっくり首を横へ振る。
「理解できない。」
「だから。」
「世界を解体する。」
外界の巨大な腕が再び神域へ迫る。
始祖は静かに目を閉じた。
長い時間だった。
誰にも聞こえないほど小さく息を吐く。
そして黄金の剣をゆっくり下ろした。
「始祖?」
シオンが振り返る。
始祖は穏やかな笑みを浮かべていた。
「シオン。」
「一つだけ頼みがある。」
「嫌な予感しかしない。」
「最後まで聞け。」
始祖は少し笑う。
「昔から、お前は人の話を最後まで聞かん。」
「今はそんな冗談言ってる場合じゃないだろ。」
「だからこそだ。」
始祖はシオンの肩へ手を置いた。
その手は驚くほど温かかった。
「私は創世神として。」
「何億年も世界を守ろうとしてきた。」
「だが。」
「間違え続けた。」
エルディア。
ルシエル。
クロノス。
救うために選んだ答えが、誰かの犠牲になってきた。
「だから。」
「最後くらい。」
「正しい選択をしたい。」
シオンは始祖の瞳を見る。
黄金の瞳は澄み切っていた。
もう迷いはない。
「まさか……。」
始祖は頷く。
「七柱の契約は壊れた。」
「なら。」
「新しい契約を結ぶしかない。」
アダムが息を呑む。
「始祖!」
「それを行えば……!」
「知っている。」
始祖は静かに笑う。
「私は創世神ではなくなる。」
神域が静まり返る。
クロノスは拳を握り締めた。
「お前。」
「最初からそのつもりだったのか。」
始祖は親友へ視線を向ける。
「ああ。」
「だから、お前を呼んだ。」
「最後くらい。」
「七人で笑って終わりたかった。」
クロノスは何も言えなかった。
ただ俯き、震える拳を握り締めることしかできない。
始祖は再びシオンへ向き直る。
「シオン。」
「次の創世神にはなるな。」
「……え?」
「神になれば。」
「また誰かを犠牲にする。」
「だから。」
「最後の観測者のままでいろ。」
その言葉を残し、始祖は黄金の翼を大きく広げる。
神域全体を包むほど巨大な翼だった。
七柱が、一斉に始祖を見つめる。
誰も止めない。
止められない。
皆、その覚悟を理解していたから。
黄金の光が神域を満たす。
創世神が、最後の決断を下そうとしていた。




