神々の黄昏
神域の最果てで、外界の巨腕がゆっくりと拳を握り締める。
その動作はあまりにも緩慢だった。
だが、その一挙手一投足だけで神域全体が震え、七柱の神威すら揺らぎ始める。
拳が完全に閉じられた瞬間、シオンは全身へ走る悪寒に息を呑んだ。
「……狙いは俺か。」
レイは迷うことなく前へ出る。
「違う。」
「君だけじゃない。」
「観測者という概念そのものを消そうとしている。」
アダムも契約書へ視線を落としたまま静かに続ける。
「世界は観測されることで存在を確定します。」
「最後の観測者が消えれば、世界群は『存在した』という事実すら失うでしょう。」
「つまり……。」
シオンは拳を握る。
「俺が死んだ瞬間、全部終わる。」
始祖は否定しなかった。
沈黙こそが答えだった。
その時、クロノスが肩を竦めながら笑う。
「相変わらず面倒な立場だな。」
「慰めてるつもりか?」
「いや。」
クロノスは神剣を肩へ担いだ。
「少し羨ましいだけだ。」
シオンは眉をひそめる。
「何がだ。」
「世界全部から期待される人生なんて、一度くらい味わってみたかった。」
始祖が思わず吹き出した。
「お前は昔から変わらんな。」
「変わらないから記録神なんだ。」
緊迫した空気の中、それでも笑いが生まれる。
アイオーンはその光景を見つめながら優しく微笑んだ。
「やっと……昔の七柱へ戻れましたね。」
モイラも小さく頷く。
「誰も一人で戦っていない。」
「これが、本来の神々の姿。」
その言葉が終わるより早く。
外界の拳が振り下ろされた。
ゴォォォォォォォォォォォンッ!!
音ではない。
概念が衝突した。
神域そのものが押し潰され、無数の世界が映し出される。
第五百世界。
新世界。
世界海。
数え切れない世界が一瞬だけ姿を現し、次の瞬間には砕け散り始める。
「来るぞ!」
始祖の声と同時に黄金の翼が広がった。
「《創世結界・アルス・エデン》!」
黄金の光が神域全体を包み込む。
続いてアダムが契約書を掲げる。
「《神律展開・セブンスコード》!」
無数の契約文字が空間へ刻まれ、結界を幾重にも補強していく。
アイオーンは静かに砂時計を反転させた。
「時間停止。」
さらさらと落ちていた砂が空中で止まる。
振り下ろされる拳の速度が僅かに鈍った。
「今です!」
モイラが黄金の鋏を掲げる。
「因果切断!」
拳と神域を結ぶ因果の糸が一斉に断ち切られる。
ルシエルは赤い光を解き放った。
「可能性展開。」
「勝利する未来だけを重ねろ。」
無数の未来が神域へ重なり始める。
レイは静かに本を開いた。
「観測開始。」
「この一撃を記録する。」
最後にクロノスが黒き神剣を握り直す。
「記録固定。」
「『傷付く』という結果だけを残す。」
七柱の権能が一つに重なった。
神話が生まれて以来、一度も実現しなかった完全連携。
シオンは思わず息を呑む。
「これが……。」
始祖は笑う。
「七柱の本当の戦い方だ。」
「一人では世界は創れない。」
「だから七人で戦う。」
七色の神威が一本の光となって外界の拳へ突き刺さる。
次の瞬間――。
轟音と共に、巨大な拳の表面へ一本の亀裂が走った。
パキッ。
小さな音だった。
しかし。
外界の存在が初めて傷付いた瞬間だった。
七柱の誰もが息を切らしている。
始祖の黄金の翼は欠け、クロノスの神剣には無数の亀裂が刻まれていた。
アダムの契約書は半分以上の頁が白紙へ戻り、アイオーンの砂時計にはもう僅かな砂しか残っていない。
それでも。
七柱は笑っていた。
「やったな。」
始祖がクロノスへ言う。
「ああ。」
「初めて勝った気分だ。」
だが、その笑顔は長く続かなかった。
傷付いたはずの外界の拳から、一滴の黒い雫が零れ落ちる。
雫は神域へ落下し、白い大地へ触れた瞬間、一人の人影へ姿を変えた。
長い黒髪。
純白の衣。
顔立ちは人間と変わらない。
ただ、その瞳だけが空虚だった。
男は静かに辺りを見回し、初めて口を開く。
「なるほど。」
感情のない声が神域へ響く。
「これが……世界。」
始祖の顔から笑みが消える。
アダムは震える声で呟いた。
「外界の存在が……。」
「神域へ降りてきた。」
神話は新たな局面を迎える。
外界はついに「観測する側」から、「介入する側」へ変わろうとしていた。




