崩壊の前兆
神域は、音を失っていた。
七柱の神像は崩壊を続けながらも倒れず、白い大地には無数の亀裂が走っている。その亀裂の向こう側には闇も光も存在せず、ただ「何もない」という概念だけが広がっていた。
シオンは《オブザーバー・レガリア》を鞘へ納めたまま、その裂け目を見つめる。
「……妙だな。」
始祖が視線だけを向ける。
「何がだ。」
「外界は世界を消そうとしてるんだろ。」
「ああ。」
「なのに、あいつらから殺意を感じない。」
その言葉に、始祖もアダムも沈黙した。
やがてアダムが静かに答える。
「観測者だから分かるのでしょう。」
「外界に悪意はありません。」
「彼らには、命という価値が理解できないだけです。」
「だから消すのか。」
「私達が机の上の塵を払うように。」
アダムの答えはあまりにも静かだった。
「悪意なく世界を消そうとしている。」
シオンは苦く笑う。
「一番厄介な相手だな。」
始祖も小さく笑った。
「お前は昔からそうだ。」
「敵を前にしても先に分析する。」
「考えないと勝てないからな。」
短いやり取りだった。
だが、その空気は不思議と張り詰めてはいなかった。
何億年も世界を背負ってきた始祖と、数々の絶望を越えてきたシオン。
二人の間には、言葉以上の信頼が生まれていた。
その静寂を破ったのは、鈍い振動だった。
ゴォォォォォォォ……
神域全体が低く唸る。
白い階段が軋み、七柱の神像から蒼・金・黒・銀、様々な色の光が漏れ始めた。
アダムの表情が険しくなる。
「始まりました。」
「何が。」
「契約の崩壊です。」
彼は砕けた神像へ手を伸ばした。
石像の胸に刻まれていた紋章が、一つずつ消えていく。
「七柱は世界の法則そのもの。」
「法則が消えれば、世界は存在を維持できません。」
シオンは七柱の像を見上げた。
「つまり……。」
「俺達が戦っている間にも、世界は死んでるってことか。」
「その通りです。」
重い沈黙が落ちる。
その時だった。
遠くで、誰かの笑い声が聞こえた。
「……!」
始祖が振り返る。
神域の最奥。
崩壊したはずの回廊を、一人の男が歩いてくる。
黒い長衣。
長い銀髪。
赤と金、二色に輝く瞳。
クロノスだった。
「久しぶりだな。」
穏やかな笑みを浮かべる。
始祖は思わず苦笑した。
「毎回、登場の仕方が悪趣味だ。」
「派手な方が印象に残る。」
「変わらんな。」
「お互い様だ。」
シオンは二人を見比べる。
「おい。」
「今から世界が終わるかもしれないって時に、昔話する気か?」
クロノスは肩を竦めた。
「少しくらい笑わないと息が詰まる。」
始祖も小さく吹き出す。
「確かにな。」
何億年ぶりか。
創世神と記録神が、敵ではなく友として笑い合った瞬間だった。
だが、その穏やかな時間は長く続かなかった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ――――!!
神域の天井が大きく裂ける。
先ほど現れた巨大な眼ではない。
今度は、巨大な”腕”だった。
白でも黒でもない色をした腕が、世界の外側からゆっくりと神域へ伸びてくる。
その指先だけで、七柱の神像ほどの大きさがある。
シオンの全身へ悪寒が走った。
「……でかすぎる。」
アダムが叫ぶ。
「全員、離れてください!」
「接触された瞬間、この神域は消滅します!」
始祖は静かに黄金の剣を抜いた。
クロノスも黒き神剣を構える。
二人は並んで立つ。
かつて世界を二分した創世神と記録神。
今は同じ方向を見つめていた。
始祖が小さく笑う。
「クロノス。」
「まだ腕は鈍っていないだろうな。」
クロノスも不敵に笑い返す。
「試してみるか?」
「負けた方が酒を奢る。」
「世界が残ったらな。」
「約束だ。」
シオンは思わず笑った。
「何だよ、その約束。」
始祖は剣を肩へ担ぐ。
「昔からだ。」
「大きな戦いの前は、こうやって馬鹿を言い合ってた。」
クロノスが視線を前へ戻す。
「緊張すると実力が出ないからな。」
巨大な腕が神域へ触れようとしていた。
その影だけで、世界は軋み始める。
始祖は黄金の剣を掲げた。
クロノスは黒き神剣を構える。
二柱の神威が同時に解放される。
「行くぞ。」
「ああ。」
世界誕生以来、最強の二柱が再び肩を並べた。
その背中を見つめながら、シオンは静かに《オブザーバー・レガリア》を抜く。
「今回は。」
「俺も一緒だ。」
三つの神威が神域を照らす。




