封印された神話
世界が止まった。
始祖も。
アダムも。
誰一人動けない。
ただ、最後の観測者シオンだけが、その光景を見ていた。
――世界が生まれる前。
そこには何もなかった。
光もない。
闇もない。
時間も。
命も。
「無」という言葉ですら存在しない。
完全なる”始原”。
その果てしない静寂の中を。
一人の青年だけが歩いていた。
裸足で。
終わりのない虚無を。
ただ静かに歩き続けている。
蒼銀の長髪。
純白の外套。
その瞳は閉じられたまま。
年齢も分からない。
神でもない。
生命でもない。
それなのに。
その存在だけが世界より古かった。
シオンは思わず声を漏らす。
「……誰だ。」
青年は歩みを止める。
ゆっくりと顔を上げた。
その瞬間。
閉じられていた瞳が静かに開く。
左右で色が違う。
右は黄金。
左は蒼。
始祖と観測者。
二つの力を宿した瞳だった。
青年はシオンを見つめる。
そして。
優しく笑う。
『やっと来た。』
その一言だった。
シオンは驚く。
「俺を……待ってたのか。」
青年は静かに頷く。
『ずっと。』
『世界が生まれる前から。』
静寂。
始祖が震える声を漏らす。
「そんな……。」
「存在するはずがない。」
アダムも表情を失っていた。
「我々の記録にもない。」
「観測できなかった存在……。」
青年は二人を見ることなく。
シオンだけへ歩み寄る。
『君達は私を忘れた。』
『いや。』
『忘れるように私が消した。』
その言葉に。
シオンは思い出す。
レイ。
ルシエル。
クロノス。
皆、自ら歴史から姿を消していた。
青年もまた。
同じだった。
「名前は。」
シオンが問い掛ける。
青年は少しだけ空を見上げる。
そして静かに答えた。
『今はもうない。』
『昔は。』
『エイン。』
その名が響いた瞬間。
ズガァァァァァァァァァァン!!
七柱の神像すべてへ一斉に光が走る。
始祖の神像。
クロノスの神像。
アダムの神像。
レイの神像。
残る三柱。
全てがエインへ向かって頭を垂れた。
始祖は言葉を失う。
「あり得ない……。」
アダムが静かに呟く。
「七柱より上位……。」
「そんな存在は。」
「創世契約にも存在しない。」
エインは穏やかに笑う。
『当然だ。』
『契約を作ったのは私だから。』
世界が静まり返る。
シオンも始祖も息を呑む。
エインはゆっくり歩く。
その足元へ。
光が生まれる。
一歩踏み出す度に。
命。
時間。
因果。
秩序。
観測。
可能性。
記録。
七つの法則が次々と誕生していく。
「……!」
シオンは理解した。
七柱は法則を創ったのではない。
エインが生み出した法則を。
七柱へ託しただけだった。
エインは静かに語る。
『私は世界を創らなかった。』
『ただ。』
『世界が生まれる可能性だけを残した。』
『そこへ。』
『始祖達が命を吹き込んだ。』
始祖はその場へ膝をつく。
「我々は。」
「あなたの意思を継いだだけだったのか。」
エインは優しく首を横へ振る。
『違う。』
『私は何も命じていない。』
『世界を創ぶことを選んだのは。』
『君達自身だ。』
その言葉に。
始祖の瞳から涙が零れる。
何億年もの罪悪感。
後悔。
孤独。
その全てが少しだけ救われたようだった。
しかし。
その時だった。
世界の外側。
巨大な”眼”が再び開く。
ゴォォォォォォォォォ……
今度は一つではない。
二つ。
三つ。
十。
百。
数え切れないほどの巨大な眼が外界に現れる。
シオンは剣を構えた。
「何だ……。」
エインの笑顔が初めて消えた。
『時間がない。』
静かな声だった。
『封印された神話は終わる。』
『外界は。』
『こちらへ来る。』
『最後の観測者。』
エインはシオンへ右手を差し出す。
その掌には。
蒼く輝く小さな結晶があった。
『これは。』
『最後の神話。』
『そして。』
『君だけが継げる希望だ。』
シオンは静かにその結晶へ手を伸ばす。
その瞬間。
世界が眩い蒼い光に包まれた。




