世界樹オメガ
世界樹オメガから流れ落ちた一滴の涙。
その雫が大地へ触れた瞬間だった。
ポタリ――。
静かな音。
しかし、その一滴は新世界全体へ波紋を広げていく。
枯れていた花が咲く。
乾いた大地へ緑が戻る。
濁っていた小川が澄み渡る。
シオンは息を呑んだ。
「泣いただけで……世界が再生した。」
始祖も静かに頷く。
「エルディアは。」
「世界そのものだからだ。」
その時だった。
世界樹オメガの枝がゆっくり揺れる。
サァァァァァ……
風も吹いていない。
それでも枝葉は意思を持つように揺れ続ける。
一本の純白の枝がシオンの前まで降りてきた。
まるで。
手を差し伸べるように。
シオンはゆっくりと右手を伸ばす。
始祖が静かに声を掛ける。
「待て。」
「彼女と繋がれば。」
「お前は新世界そのものを観測することになる。」
「戻れなくなる可能性もある。」
シオンは迷わなかった。
「それでも。」
「助けを求められた。」
「見捨てる理由にはならない。」
始祖は小さく笑った。
「……本当に。」
「創造主にも似ている。」
シオンは純白の枝へ触れた。
その瞬間。
世界が反転する。
眩い白い光。
無数の花びら。
柔らかな風。
気付けば。
シオンは一面の花畑へ立っていた。
空は夕焼け。
どこまでも赤く染まっている。
世界樹オメガの内部。
少女の精神世界だった。
「ここは……。」
静かな声が返ってくる。
「ようこそ。」
振り返る。
そこには一人の少女が立っていた。
銀色の長髪。
黄金の瞳。
純白のワンピース。
先ほど世界樹の中で眠っていた少女。
エルディアだった。
彼女は柔らかく微笑む。
「初めて。」
「誰かがここまで来てくれた。」
シオンはゆっくり歩み寄る。
「君が。」
「エルディアか。」
少女は嬉しそうに頷く。
「うん。」
「待ってた。」
その笑顔は無邪気だった。
とても一億七千万年眠り続けた存在には見えない。
シオンは辺りを見渡す。
花畑しかない。
小さな木造の家が一軒。
その前には木製のブランコ。
時間が止まったような世界だった。
「ここで。」
「ずっと一人だったのか。」
エルディアは少しだけ俯く。
「最初は。」
「寂しかった。」
「でも。」
「眠ればみんなが笑えるなら。」
「それでいいと思った。」
シオンは胸が痛くなる。
始祖は彼女を愛していた。
彼女も始祖を愛していた。
だから眠ることを選んだ。
たったそれだけだった。
エルディアは空を見上げる。
「でもね。」
「最近。」
「怖い夢を見るの。」
「夢?」
少女は静かに頷く。
「真っ黒な人。」
「赤い目。」
「いつも。」
「私に囁くの。」
『目を覚ませ。』
『世界を終わらせろ。』
『お前は檻の中だ。』
シオンの表情が変わる。
クロノス。
間違いない。
エルディアは震えながら続ける。
「私。」
「眠っていたいわけじゃない。」
「本当は。」
「みんなと一緒に笑いたい。」
その一言だった。
シオンは静かに少女の前へ膝をつく。
目線を合わせる。
「エルディア。」
少女が顔を上げる。
「約束する。」
蒼い瞳には迷いがなかった。
「君も。」
「この世界も。」
「どっちも守る。」
「だから。」
「もう一人で泣かなくていい。」
少女の黄金の瞳が大きく揺れる。
涙が溢れる。
「……ほんと?」
「本当だ。」
その瞬間。
花畑全体が黄金に輝き始める。
世界樹オメガが共鳴していた。
外の世界。
始祖もその光を見上げる。
黄金の瞳から静かに涙が零れる。
「笑った……。」
一億七千万年間。
眠り続けていた少女が。
初めて心から笑った。
しかし。
その直後だった。
ズガァァァァァァァァァン――――!!
花畑の空が真っ二つに裂ける。
漆黒の亀裂。
その奥から無数の黒い鎖が降り注ぐ。
エルディアの笑顔が消える。
「来た……。」
震える声。
シオンは立ち上がる。
《オブザーバー・レガリア》を静かに抜く。
亀裂の向こう。
赤い瞳が静かに笑っていた。
クロノスではない。
もっと禍々しい。
始祖ですら知らない気配。
その存在は低い声で告げる。
『ようやく見つけた。』
『世界樹の少女。』
『最後の観測者。』
『これで全ての駒が揃った。』
シオンは剣を構える。
花畑を守るようにエルディアの前へ立った。
そして。
新世界最大の戦いが、静かに幕を開けようとしていた。




