「凍てついた心」
忘れたはずだった。
ずっと昔に。
遠い昔に。
もう二度と思い出すことはないと思っていた。
いや。
思い出してはいけないと教え込まれていた。
だから。
セラフィナは戸惑っていた。
胸が痛い。
苦しい。
呼吸が上手くできない。
戦場に立っているはずなのに。
敵を目の前にしているはずなのに。
身体が動かなかった。
シオンの言葉が頭の中で何度も響く。
――本当は戦いたくないんだろ。
そんなはずはない。
自分は氷晶将だ。
七星将。
教団最強戦力。
任務を遂行するための兵器。
感情など必要ない。
迷いなど不要。
それが自分だった。
それだけだった。
なのに。
なぜ。
こんなにも胸が痛むのだろう。
「私は……」
小さく呟く。
声が震えていた。
その瞬間だった。
視界が揺らぐ。
世界が白く染まる。
そして。
忘れていた記憶が蘇った。
雪が降っていた。
果てしなく。
どこまでも。
白い雪。
冷たい風。
小さな村。
凍り付いた家々。
そして。
泣いている少女。
幼い自分だった。
まだセラフィナではない。
名前も違った。
普通の少女だった。
寒かった。
お腹が空いていた。
母はいない。
父もいない。
家族は誰もいない。
残されたのは雪だけだった。
毎日。
毎日。
寒さに震えながら生きていた。
誰も助けてくれない。
誰も名前を呼んでくれない。
誰も見てくれない。
独りだった。
ただ独りだった。
幼い少女は空を見上げる。
雪空の向こうに。
誰かがいる気がした。
助けてほしい。
寂しい。
怖い。
そう叫びたかった。
でも声は出なかった。
そして。
教団が現れた。
白い法衣。
優しい笑顔。
暖かい食事。
温かい部屋。
少女は泣きながら喜んだ。
助かったと思った。
救われたと思った。
だが。
それは違った。
本当の地獄はそこから始まった。
暗い施設。
冷たい石床。
無数の子供達。
泣き声。
悲鳴。
叫び。
教団は子供達を集めていた。
才能のある者だけを。
強い力を持つ者だけを。
そして。
競わせた。
殺し合わせた。
生き残った者だけが価値を持つ。
弱い者は不要。
感情は不要。
涙は不要。
そう教えられた。
少女は必死に生き残った。
泣きながら。
震えながら。
それでも生きるために。
刃を握った。
友達だった子を斬った。
名前を知っていた子を斬った。
一緒に笑った子を斬った。
その度に心が壊れた。
だが。
壊れた心は教団にとって都合が良かった。
感情を失えば迷わない。
迷わなければ強くなる。
そうして少女は育てられた。
氷晶将。
七星将。
教団最強の兵器として。
記憶が終わる。
現実へ戻る。
セラフィナは息を切らしていた。
知らなかった。
忘れていた。
いや。
忘れさせられていた。
「私は……」
声が震える。
瞳から涙が零れ落ちる。
何年ぶりだろう。
涙を流したのは。
自分でも分からなかった。
教団軍がざわめく。
「氷晶将様……?」
「泣いている……?」
あり得ない光景だった。
氷晶将は泣かない。
怒らない。
笑わない。
感情など持たない。
それが常識だった。
だが今。
セラフィナは確かに涙を流していた。
シオンは静かに見上げていた。
何も言わない。
急かさない。
ただ待っていた。
彼女自身が答えを見つけるのを。
セラフィナは拳を握る。
震えていた。
怒りではない。
恐怖でもない。
失ったはずの心が戻ってきている。
それが怖かった。
「私は……」
空を見る。
アストレアを見る。
教団軍を見る。
そして。
シオンを見る。
黒星王。
世界が恐れる存在。
なのに。
彼の瞳は優しかった。
兵器としてではなく。
敵としてでもなく。
一人の人間として見てくれていた。
その事実が。
何よりも胸を締め付けた。
「私は……」
続けようとした。
だが。
その瞬間だった。
世界が震えた。
ドクン――
巨大な鼓動。
空が軋む。
大地が揺れる。
アストレア全域が震動した。
全員が顔を上げる。
嫌な予感。
本能が叫ぶ。
来る。
何かが来る。
セラフィナも。
シオンも。
レオニクスも。
同時に空を見上げた。
そして。
夜空の中央に。
一本の亀裂が走った。




