「氷晶将」
激突しようとしていた。
その言葉を証明するように。
セラフィナ・フロストはゆっくりと右手を持ち上げた。
静かな動作だった。
だが、その瞬間。
アストレア上空の空気が一変する。
ピシッ――
どこかで氷が軋む音が響いた。
続いて二度。
三度。
そして一気に世界が白く染まり始める。
「まずい……」
防衛隊の兵士が顔を青ざめさせた。
「来るぞ……!」
教団軍ですら動揺していた。
七星将。
氷晶将。
その本気を知る者は少ない。
そして。
知った者の大半は生き残っていない。
セラフィナの背後に巨大な魔法陣が展開される。
一枚。
二枚。
十枚。
百枚。
蒼白い光が夜空を覆っていく。
まるで空そのものが巨大な術式へ変貌していくようだった。
アストレア中の人々が空を見上げる。
子供が泣く。
研究者達が震える。
市民達は言葉を失っていた。
ただ一人。
シオンだけが静かだった。
黒い粒子が身体の周囲を漂う。
漆黒の瞳は真っ直ぐセラフィナを見つめている。
「危険対象認定」
セラフィナが告げる。
声に感情はない。
いつも通り。
命令通り。
完璧な兵器。
それが氷晶将だった。
「黒星王」
蒼い瞳が細められる。
「最優先殲滅対象」
魔法陣が輝く。
世界が震えた。
次の瞬間。
轟音と共に無数の氷晶が出現する。
空を埋め尽くすほどの数。
一つ一つが戦艦を貫く威力を持つ氷の槍。
その数は数万を超えていた。
いや。
増え続けている。
まるで空そのものが氷へ変わろうとしていた。
「終わりだ……」
誰かが呟いた。
無理もない。
あれを防ぐ方法など存在しない。
都市一つを滅ぼす術式。
国家を消し飛ばす災害。
それがセラフィナの本気だった。
ガルドが歯を食いしばる。
「相変わらず派手だな……!」
紅蓮の炎が大剣へ集まる。
いつでも飛び出せるように。
しかし。
シオンは右手を上げて制した。
「シオン?」
ルナリアが不安そうに呼ぶ。
黒い瞳が静かに向けられた。
「大丈夫だ」
短い言葉。
だが不思議と安心感があった。
ルナリアは息を呑む。
そこにいるのは確かにシオンだった。
力に飲まれていない。
ちゃんと自分の意志を持っている。
だからこそ。
彼女は見守ることを選んだ。
セラフィナが右手を振り下ろす。
「絶対零域」
空が白く染まる。
「終焉氷華」
放たれた。
数万の氷晶。
絶対零度の死。
白い嵐がアストレアへ降り注ぐ。
それはまさしく世界の終焉だった。
だが。
シオンは動かない。
逃げない。
構えない。
ただ空を見上げる。
そして。
小さく呟いた。
「そんな力じゃ」
黒い粒子が揺れる。
「救えない」
ゆっくりと右手を握る。
パキン――
小さな音だった。
しかし。
世界は変わった。
空中で氷晶が停止する。
数万の氷槍。
全てが。
完全に。
その場で止まった。
時間が止まったかのような光景。
誰も呼吸を忘れる。
そして。
氷晶が崩れた。
砕けるのではない。
消滅している。
存在そのものが否定されていく。
光へ還る。
粒子へ還る。
まるで最初から存在していなかったかのように。
数秒後。
空に残ったのは夜風だけだった。
沈黙。
圧倒的な沈黙。
セラフィナの瞳が揺れる。
初めてだった。
自分の力を真正面から否定されたのは。
「……ありえない」
その呟きは。
氷晶将ではなく。
一人の少女の声だった。
シオンは静かに空を見上げる。
そして。
優しい声で言った。
「もうやめろ」
セラフィナの身体が止まる。
「……なぜ」
「お前」
シオンは真っ直ぐ見つめる。
「本当は戦いたくないんだろ」
その言葉が。
彼女の凍てついた心へ届いた。
セラフィナの瞳が大きく揺れる。
忘れたはずの何かが。
胸の奥で軋み始めていた――。




