新世界の門
始まりの回廊は静寂を取り戻していた。
黄金の柱は再び穏やかな光を放ち、無数の世界の記録が静かに眠っている。
先ほどまで存在していた忘却の神殿は消え去り、クロノスの気配も完全に消滅していた。
残されたのは。
最後の観測者、シオン。
創世神・始祖。
そして回廊を守る老人、オルディス。
三人だけだった。
静寂の中。
始祖はゆっくりと最奥の扉へ歩き始める。
黄金の衣が静かに揺れる。
その背中を見ながら、シオンも歩き出した。
「ここから先が新世界なのか。」
始祖は小さく頷く。
「そうだ。」
「だが、お前が想像する”新しい世界”ではない。」
シオンは眉をひそめる。
「違うのか?」
始祖は巨大な扉へ右手を触れた。
ゴォォォォォォォ……
黄金の紋様が浮かび上がる。
その光は今まで見てきたどの光とも違った。
温かさも。
神聖さも。
圧倒的な威圧感もない。
ただ静かに。
全てを受け入れるような優しい光だった。
「この先は。」
始祖は振り返る。
黄金の瞳がシオンを真っ直ぐ見つめる。
「誰にも観測されたことがない領域。」
「私も。」
「クロノスも。」
「創造主も。」
「一度も足を踏み入れたことがない。」
シオンは驚きを隠せなかった。
「始祖でも知らない世界……。」
始祖は苦笑する。
「世界は私が創った。」
「だが。」
「可能性までは創れなかった。」
その言葉が妙に心へ残る。
可能性。
未来。
それは生命だけが生み出せるもの。
だからこそ、この扉の向こうには始祖すら知らない未来が眠っている。
その時。
オルディスが静かに近付いてきた。
白い瞳には、どこか寂しさが宿っている。
「ここでお別れです。」
シオンは振り返る。
「また会えるか?」
老人は微笑む。
「ええ。」
「あなたが全てを見届けた時。」
「私は必ず迎えに行きます。」
その言葉に嘘はなかった。
シオンは静かに頷く。
「約束だ。」
「はい。」
二人は固く握手を交わした。
オルディスは深く一礼すると、ゆっくり後ろへ下がる。
「最後の観測者。」
「どうか。」
「世界を嫌いにならないでください。」
その一言だけを残して。
老人の姿は黄金の光へ溶けていった。
始まりの回廊に残るのは二人。
始祖とシオン。
始祖はゆっくりと扉へ手をかざす。
巨大な門が震える。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ……
ゆっくり。
本当にゆっくりと。
新世界への門が開き始めた。
その瞬間。
シオンは思わず息を呑む。
門の向こうには。
空があった。
青い空。
白い雲。
風。
木々。
鳥の声。
世界海でも。
始まりの回廊でもない。
生命の匂いがする世界。
あまりにも普通だった。
だからこそ驚く。
始祖は優しく笑う。
「意外だったか?」
シオンは正直に頷いた。
「ああ。」
「もっと神様の世界みたいなのを想像してた。」
始祖は空を見上げる。
「神は。」
「最後には普通を望むものだ。」
静かな言葉だった。
その意味を理解するには、まだシオンは若かった。
始祖は一歩踏み出す。
「行こう。」
「ここから始まる。」
「誰も知らない物語が。」
シオンもゆっくり歩き出す。
黄金の門を越える。
その瞬間。
柔らかな風が頬を撫でた。
草木の香り。
暖かな陽射し。
遠くで流れる川の音。
そこは。
今まで旅してきたどの世界とも違う。
争いの気配がない。
終焉もない。
世界海もない。
ただ静かな命だけが息づく場所。
シオンは空を見上げる。
蒼い空の遥か彼方。
一羽の白い鳥が翼を広げて飛んでいた。
「綺麗だな……。」
思わず漏れたその言葉に。
始祖は微笑んだ。
「そうだろう。」
「だから私は。」
「この景色だけは失いたくなかった。」
その言葉を胸に。
最後の観測者は。
まだ誰も知らない新世界へ。
静かに最初の一歩を刻んだ。




