創世神と忘却神
「……クロノス。」
始祖の声が静かに響く。
その名前が発せられた瞬間だった。
ゴォォォォォォォォォォォォ――――
始まりの回廊全体が激しく震え始める。
黄金の柱が悲鳴を上げるように軋み、無数の世界の記録が激しく明滅する。
シオンは赤い瞳の男を見据えた。
黒い外套。
漆黒の長髪。
白い肌。
そして、全てを見透かすような深紅の瞳。
その姿は青年にも老人にも見える。
年齢という概念すら存在しない。
ただ一つだけ確かなことがあった。
この男は。
始祖と同じ時代を生きた存在。
クロノスはゆっくりと歩き始める。
コツ――。
コツ――。
一歩踏み出す度に、黄金の床が黒く染まっていく。
世界の記録が消えていく。
存在そのものが忘却へ飲み込まれていた。
オルディスが歯を食いしばる。
「やめろ……!」
「ここは世界の記録庫だ!」
クロノスは笑う。
静かな笑み。
どこか悲しそうな笑みだった。
「だから壊す。」
低い声。
「記録がある限り。」
「世界は同じ過ちを繰り返す。」
シオンが前へ出る。
蒼い瞳が赤い瞳を真っ直ぐ見据える。
「お前が。」
「全部の元凶なのか。」
クロノスは否定しない。
「そう思うか?」
逆に問い返す。
シオンは黙る。
クロノスは始祖へ視線を向けた。
「教えたのか?」
始祖は静かに首を横へ振る。
「まだだ。」
「この子は、真実の半分しか知らない。」
クロノスは小さく笑った。
「相変わらず優しい。」
「だから失敗した。」
その一言で。
始祖の表情が僅かに曇る。
シオンは二人を見比べる。
敵同士には見えない。
まるで。
長い年月を共に歩んできた親友のようだった。
「……お前達。」
「昔は仲間だったのか。」
静寂。
答えたのは始祖だった。
「ああ。」
短い返事。
「私達は共に世界を創った。」
シオンの瞳が揺れる。
「やっぱり……。」
始祖はゆっくり語り始める。
「私は生命を創った。」
「クロノスは記録を創った。」
「私は未来を与え。」
「彼は歴史を残した。」
「二人で一つだった。」
クロノスも静かに頷く。
「始まりは。」
「確かにそうだった。」
回廊に静寂が流れる。
始祖は続ける。
「だが。」
「世界が増えるほど。」
「生命が増えるほど。」
「悲劇も増えた。」
黄金の瞳に悲しみが宿る。
「救えなかった世界。」
「守れなかった命。」
「繰り返される戦争。」
「終わらない絶望。」
クロノスが静かに笑う。
「だから私は言った。」
赤い瞳が細められる。
「記録を消せばいい、と。」
「歴史があるから争いは続く。」
「記憶があるから憎しみは生まれる。」
「なら。」
「全部忘れればいい。」
静寂。
シオンは拳を握る。
その思想は。
どこか聞き覚えがあった。
世界を守るために犠牲を選んだ者達。
ゼノス。
終焉。
創造主。
誰もが。
世界を救おうとして違う答えへ辿り着いた。
始祖は静かに首を振る。
「私は拒んだ。」
「記憶は痛みだけじゃない。」
「笑顔も。」
「愛も。」
「希望も。」
「全部記憶だ。」
クロノスは静かに目を閉じる。
「だから。」
「私達は別れた。」
その瞬間だった。
ゴォォォォォォォォォォン!!
始まりの回廊全体へ黒い衝撃波が走る。
一本の柱が砕ける。
二本。
三本。
無数の世界の記録が崩壊していく。
オルディスが叫ぶ。
「始祖様!」
「これ以上は回廊が耐えられません!」
始祖は静かに一歩前へ出る。
黄金の光が身体を包む。
「シオン。」
優しい声だった。
「よく見ていてほしい。」
「これが。」
「世界で最初の戦いだ。」
クロノスもゆっくりと右手を上げる。
漆黒の霧が集まり、一振りの黒い剣が形を成した。
その刀身には。
無数の世界が消えていく光景が映っている。
始祖の右手にも黄金の光が集まる。
眩い光が一振りの剣へ変わる。
生命そのものを象徴する神剣。
黄金と漆黒。
二柱の創世神が。
数え切れない時を経て。
再び剣を構える。
シオンは息を呑む。
これから始まるのは。
神話ではない。
伝説でもない。
全ての世界の起源となった。
最初の決別。
最初の戦争。
その真実だった。




