時なき神域
一歩。
たった一歩だった。
それだけで、世界が変わる。
シオンの足が黄金の回廊へ触れた瞬間。
時間という概念が消えた。
鼓動が止まる。
呼吸も止まる。
だが苦しくはない。
生命活動そのものが必要ない空間。
それが《始まりの回廊》だった。
静寂。
耳を澄ませても何も聞こえない。
風もない。
音もない。
光だけが存在している。
シオンはゆっくりと辺りを見渡した。
果ての見えない一本道。
左右に並ぶ無数の巨大な柱。
一本一本が空へ届くほど高く、その表面には見たこともない文字が刻まれている。
観測者の瞳をもってしても読み解くことはできない。
だが、不思議と意味だけは伝わってきた。
「……これは、世界の名前か。」
シオンが呟く。
すると、柱の一つが淡く輝いた。
その内部に一つの世界が映し出される。
緑豊かな大地。
巨大な樹木。
穏やかに暮らす人々。
争いのない理想郷。
しかし。
次の瞬間、その世界は静かに崩壊した。
炎もない。
爆発もない。
ただ、砂時計の砂が落ちるように世界そのものが消えていく。
「……終わったのか。」
シオンは静かに見つめる。
悲しみはあった。
だが、恐怖はない。
観測者となった今、世界にも寿命があることを理解していた。
その時。
回廊の奥から足音が響く。
コツ――
コツ――
コツ――
一定の間隔。
静かな足音。
シオンはゆっくりと振り返る。
そこには、一人の老人が立っていた。
純白の長衣。
長い銀髪。
透き通るような白い瞳。
年老いているはずなのに、その姿からは底知れない力が感じられる。
老人は穏やかに微笑んだ。
「ようこそ。」
その声は優しかった。
「最後の観測者。」
シオンは警戒を解かない。
右手は自然と《オブザーバー・レガリア》の柄へ添えられていた。
「誰だ。」
老人は小さく笑う。
「安心しなさい。」
「私は敵ではない。」
「この回廊を守り続けている者。」
静かな一礼。
「名を《オルディス》という。」
シオンはその名を繰り返す。
「オルディス……。」
聞いたことのない名前。
世界核の記録にもない。
創造主の記憶にもない。
だが。
その存在からは敵意を一切感じなかった。
オルディスは回廊を見渡す。
「ここに並ぶ柱は全て、かつて存在した世界の記録です。」
「滅びた世界。」
「救われた世界。」
「生まれることのなかった世界。」
「無限の可能性。」
シオンは改めて柱を見上げる。
一本ではない。
千でもない。
万でもない。
視界の果てまで続く柱。
その一本一本に世界の歴史が刻まれている。
「全部……記録なのか。」
「そうです。」
オルディスは静かに頷いた。
「世界は滅びても。」
「記録だけは、この場所へ帰ってきます。」
シオンは目を閉じる。
第五百世界も。
いつかはここへ帰ってくる日が来るのだろうか。
その時だった。
オルディスの表情が少しだけ曇る。
「ですが。」
「近頃、この回廊にも異変が起きています。」
「異変?」
シオンが問い返す。
オルディスはゆっくりと回廊の奥を指差した。
そこには一本だけ。
漆黒に染まった柱が立っていた。
他の柱とは違う。
黄金でも銀でもない。
闇そのものを閉じ込めたような黒い柱。
その表面には無数の亀裂が走り、黒い粒子が絶えず零れ落ちている。
シオンは息を呑んだ。
「始祖の力か。」
オルディスは静かに頷く。
「ええ。」
「ですが、それだけではありません。」
老人の白い瞳がシオンを真っ直ぐ見つめる。
「この柱の中には。」
「あなたが、まだ知らない真実があります。」
回廊の奥で。
黒い柱が低く脈動する。
まるで誰かを待ち続けていたかのように。
シオンはゆっくりと、その柱へ向かって歩き始めた。
そこに、自分が知るべき”始まり”が眠っていることを、本能が告げていた。




