漆黒の眷属
世界海が軋んだ。
銀色だった海面は急速に黒へ染まっていく。
静寂だけが支配していた世界海に、初めて”恐怖”という感情が流れ込んだ。
ゴォォォォォォォォォ……
漆黒の霧が海面から立ち昇る。
その中心で。
巨大な影がゆっくりと姿を現した。
最初に現れたのは腕だった。
いや、腕と呼ぶにはあまりにも異形。
黒い結晶が何重にも絡み合い、無数の眼球が表面を這っている。
一本の腕だけで山脈ほどの大きさがあった。
続いて肩。
胴体。
頭部。
その姿が完全に現れた瞬間、世界海全体が悲鳴を上げる。
ズガァァァァァァァァァン――――!!
銀色の波が数万メートル巻き上がる。
世界そのものが震えていた。
シオンは蒼い瞳を細める。
「……デカいな。」
その一言しか出なかった。
終焉完全体よりも巨大。
ワールド・イーターをも遥かに凌ぐ。
その巨体は一つの世界ほどの大きさを持っていた。
無数の黒い翼。
黄金に輝く一本の角。
そして胸部には。
巨大な黒い核が脈打っている。
ドクン――
ドクン――
鼓動するたび、世界海が黒く染まっていく。
アインの表情から血の気が引いた。
「そんな……」
黄金の瞳が震える。
「封印されていたはず……。」
シオンは視線を向ける。
「知ってるのか。」
アインは静かに頷いた。
「始祖直属殲滅兵器。」
声が震えている。
「コードネーム《アビス・イーター》。」
「世界を喰らう眷属です。」
静寂。
その名を聞いた瞬間。
ノアの光が強く脈動した。
『警告』
『危険度測定開始』
『対象確認』
『始祖直属眷属』
『アビス・イーター』
『脅威等級……EX』
シオンは苦笑した。
「また規格外か。」
どこか懐かしい感覚だった。
強敵が現れるたび。
誰も勝てないと言われるたび。
自分は戦ってきた。
だから。
今さら逃げる理由もない。
その時だった。
アビス・イーターの無数の眼球が一斉に開く。
ギョロリ――
数万。
いや数十万もの黄金の瞳。
その全てがシオンを見つめた。
寒気が走る。
観測者となった今でさえ、本能が逃げろと叫んでいた。
次の瞬間。
『■■■■■■』
言葉にならない咆哮。
音ではない。
概念そのものが押し寄せる。
ズガァァァァァァァァァァン!!
アストラル・アークが激しく揺れた。
シオンは咄嗟に船体へ手をつく。
「くっ!」
世界海に巨大な波紋が広がる。
近くに浮かんでいた小世界が幾つも吹き飛ばされる。
その光景を見て、シオンの表情が変わった。
「あいつ……!」
一つの世界へ黒い波動が迫っていた。
まだ生命が生きている世界。
人々が暮らしている世界。
何も知らない世界。
シオンは迷わない。
蒼い光が全身を包む。
「アイン!」
「船を寄せろ!」
アインは驚いたように振り返る。
「まさか……!」
シオンは静かに笑った。
「あの世界を守る。」
「またか。」
アインは思わず苦笑する。
第五百世界を救った英雄。
世界の外へ来ても。
やることは変わらない。
誰かを守ること。
それだけだった。
アストラル・アークが一気に加速する。
蒼い光が世界海を切り裂く。
その直後。
アビス・イーターが巨大な腕を振り上げた。
黒い核が赤く輝く。
「来る!」
アインが叫ぶ。
シオンはゆっくりと右手を前へ出した。
観測者の紋章が輝く。
黒星王でもない。
勇者でもない。
今の自分は。
最後の観測者。
世界を見守る者。
「――観測開始。」
静かな声が響く。
その瞬間。
蒼い光が世界海全体を包み込んだ。




