世界を渡る船
《アストラル・アーク》は静かに動き始めた。
帆は風を受けていない。
櫂も存在しない。
それでも巨大な船体は、銀色の世界海を音もなく滑るように進んでいく。
波一つ立たない。
まるで海そのものが、この船を歓迎しているかのようだった。
シオンは船首へ立つ。
蒼い瞳には無数の世界が映っていた。
近くを通り過ぎる光球。
一つ一つが生命を宿した世界。
笑い合う人々。
争いを続ける国家。
生まれたばかりの文明。
滅びを迎えようとする大陸。
それぞれに歴史があり、想いがあり、未来があった。
「全部……本当に世界なんだな。」
思わず漏れた言葉だった。
アインは静かに頷く。
「はい。」
「現在確認されている観測世界は、一億三千七百二十一万六千四百三十八世界。」
シオンは思わず振り返る。
「……そんなにあるのか。」
「これは観測済みの数です。」
アインは淡々と答えた。
「未観測世界を含めれば、その数は誰にも分かりません。」
世界海は広大だった。
セレスティアだけが世界ではない。
創造主が生み出した世界だけでもない。
その事実を知るたびに、自分の常識が少しずつ崩れていく。
その時だった。
船首の蒼い結晶が眩しく輝き始める。
ブゥゥゥゥン……
低い振動が船内へ響く。
シオンは結晶へ近付いた。
内部には銀河のような光が渦を巻いている。
「反応してる。」
アインも結晶を見つめた。
「観測航路を変更します。」
次の瞬間だった。
アストラル・アークがゆっくりと進路を変える。
銀色の海を大きく旋回し、一つの光球へ向かって進み始めた。
シオンは眉をひそめる。
「どこへ向かう?」
アインは静かに答える。
「あなたに見せるべき世界があります。」
「そこは第五百世界と非常によく似た歴史を歩んだ世界。」
「しかし、結末だけが違いました。」
その言葉にシオンは興味を示す。
「結末?」
アインは頷く。
「黒星王が存在しなかった世界です。」
静寂。
その一言だけで十分だった。
もし自分がいなければ。
もしゼロがいなければ。
もし五百人の黒星王が戦わなければ。
セレスティアはどうなっていたのか。
その答えがそこにある。
アストラル・アークは光球へ近付いていく。
世界が大きくなる。
山脈。
海。
都市。
大陸。
その全てが鮮明に見え始めた。
だが。
シオンの表情が曇る。
「……誰もいない。」
都市は崩壊していた。
城も街も朽ち果てている。
森は黒く枯れ。
海は濁り。
空は灰色に染まっていた。
生命の気配がない。
静寂だけが支配する死の世界。
アストラル・アークはその世界の上空で静止する。
アインはゆっくりと口を開いた。
「管理番号E-327。」
「通称――《沈黙世界》。」
シオンは黙ったまま世界を見下ろす。
どこかで見た景色だった。
終焉が勝利した世界。
五百回のループのどこかでも、きっとこうなっていたのだろう。
「全滅したのか。」
「はい。」
アインの声は静かだった。
「文明崩壊。」
「人類絶滅。」
「観測終了。」
「現在は世界海で眠っています。」
シオンは拳を握る。
世界一つの終わり。
それを目の前にしても、世界海は何も変わらない。
ただ静かに流れ続けている。
その時だった。
船首の結晶が再び激しく輝いた。
ゴォォォォォォォン――!
アストラル・アーク全体が震える。
アインの表情が一変した。
「異常反応!」
「右舷前方三千メートル!」
シオンはすぐに視線を向ける。
銀色の海面が黒く染まっていた。
ゆっくりと。
まるで墨が広がるように。
漆黒の闇が世界海を侵食していく。
その中心から。
巨大な何かが姿を現そうとしていた。
アインが息を呑む。
「まさか……。」
「始祖の眷属……!」
漆黒の海が大きく割れる。
そこから現れた巨大な影が、ゆっくりとシオンへ視線を向けた。
旅の最初の試練が。
静かに幕を開けようとしていた。




