残された世界
世界海が震えていた。
ゴォォォォォォォォォ……
銀色の波が荒れ狂う。
無数の世界が揺れている。
まるで何かを恐れているかのように。
シオンは遥か彼方を見つめていた。
始祖。
その名前が告げられた瞬間から。
観測者としての本能が警鐘を鳴らしている。
危険。
理解不能。
観測不能。
かつて終焉と対峙した時に感じた感覚。
それを遥かに超えていた。
ノアが静かに告げる。
『始祖の覚醒は予定より早い』
巨大な光が脈動する。
ドクン――
世界海全体が共鳴する。
『本来なら数千年後だった』
『だが第五百世界の再生が引き金となった』
静寂。
シオンは眉をひそめる。
「俺達のせいか」
『正確には違う』
ノアは答える。
『世界再生そのものが異常だった』
『第五百世界は本来消滅する予定だった』
世界が静まる。
案内者も黙っている。
シオンだけがノアを見据えていた。
『五百回の世界再構築』
『終焉の浄化』
『観測者の誕生』
『全てが予測を超えていた』
その言葉を聞きながら。
シオンは不思議と怒りを感じなかった。
昔なら違った。
自分達の人生を勝手に管理されていると知れば。
拳の一つでも飛ばしていたかもしれない。
だが今は違う。
観測者になったことで分かった。
世界は広い。
広すぎる。
セレスティアで起きた全てですら。
この巨大な世界群の中では一つの出来事に過ぎない。
それでも。
だからこそ。
守りたいと思った。
小さな世界だったとしても。
自分の世界はあそこにしかない。
その時だった。
シオンの視界に一つの光が映る。
第五百世界。
セレスティア。
観測者となった今でも。
いつでも見ることができる。
王都の広場。
復興作業をする人々。
笑い合う子供達。
酒場で騒ぐ冒険者達。
平和だった。
本当に平和だった。
そして。
世界樹都市アストレア。
月明かりが降り注ぐ丘。
そこに一人の少女が立っていた。
ルナリア。
銀色の髪が風に揺れている。
彼女は夜空を見上げていた。
まるで。
誰かを探すように。
シオンの胸が少しだけ痛む。
もう届かない。
もう触れられない。
それでも。
見える。
そこにいる。
その事実だけで救われる気がした。
ルナリアは胸元から蒼い星晶を取り出す。
第16話でシオンが残した結晶。
約束の証。
彼女はそれを握り締めた。
そして小さく呟く。
「今日は晴れてるよ」
誰もいない夜空へ。
「ちゃんと見えてる?」
シオンは思わず笑った。
観測者になった今なら分かる。
見えている。
全部。
聞こえている。
全部。
ルナリアは続ける。
「みんな元気だよ」
涙はなかった。
寂しさはある。
でも前を向いている。
「だから」
月光が彼女を照らす。
「そっちも頑張って」
静かな声。
その言葉は世界の壁を超えた。
シオンの胸へ届いた。
蒼い瞳が細められる。
「相変わらずだな」
小さく笑う。
すると。
ノアが静かに問いかけた。
『大切ですか』
突然の質問だった。
シオンは視線を外さない。
セレスティア世界を見つめたまま答える。
「ああ」
即答だった。
『世界よりも?』
「もちろん」
ノアが沈黙する。
シオンは笑った。
「世界を守りたい理由なんてそんなもんだろ」
静寂。
『理解不能』
ノアは答える。
だが。
どこか考え込んでいるようにも聞こえた。
その時だった。
世界海の彼方。
巨大な影が再び動く。
ゴォォォォォォォォォォォン――――
銀色の海が荒れ狂う。
無数の世界が揺れる。
案内者の顔色が変わる。
ノアの光も激しく脈動する。
『覚醒率上昇』
『二十三パーセント到達』
静寂。
『始祖がこちらを認識した』
シオンの表情が変わる。
観測者の本能が叫んでいる。
来る。
何かが。
世界の歴史を根底から覆す存在が。
そして世界海の奥深くで巨大な黄金の瞳がゆっくりと開いた。




