「黒星王覚醒」【後編①】
《黒き王の降臨》
アストレアの空が静まり返っていた。
戦場にいた全員が動きを止めている。
教団兵も。
防衛隊も。
研究者も。
七星将でさえも。
誰一人として声を出せなかった。
世界樹から放たれる黒い光。
それは禍々しいはずなのに、なぜか美しかった。
夜空に溶ける漆黒の粒子。
王冠のように浮かぶ黒星晶。
そして、その中心に立つ一人の少年。
シオン・アルヴィス。
だが今の彼は、誰も知るシオンではなかった。
まるで世界そのものを見下ろす観測者。
何千年。
何万年。
いや、何億年もの時間を見続けてきたような瞳。
静かな圧力がアストレア全土を包み込んでいた。
誰も膝をつけとは言われていない。
それでも人々は無意識に息を呑み、彼を見上げていた。
「シオン……」
ルナリアが震える声で呟く。
その姿は確かにシオンだった。
顔も。
声も。
身体も。
何も変わっていない。
なのに違う。
決定的に。
まるで別人だった。
エリナが小さく後退る。
「な、何あれ……」
怖かった。
初めてだった。
シオンを見て恐怖を感じたのは。
だが同時に、不思議な安心感もあった。
世界を壊せる力。
なのに世界を守ろうとしている。
そんな矛盾した存在。
ガルドは大剣を肩に担ぎながら空を見上げる。
そして笑った。
「ははっ」
豪快な笑い声。
周囲が振り返る。
「やっぱり面白ぇな」
ガルドの瞳には恐怖がなかった。
ただ純粋な興奮だけがあった。
「最初から普通じゃねぇと思ってたが」
彼は空のシオンを指差した。
「想像以上だったぜ」
レオニクスは黙っていた。
蒼い瞳が細くなる。
何十年。
いや、何百年。
彼はずっと待っていた。
黒星王。
最後の観測者。
何度滅んでも現れる存在。
世界の終焉を見届け続けた男。
神話の中だけの存在だと思われていたものが、今こうして目の前にいる。
レオニクスは静かに呟いた。
「やはり君だったか」
その声には歓喜と恐怖が混ざっていた。
救世主か。
破壊者か。
まだ誰にも分からない。
だが一つだけ確かなことがある。
この瞬間から。
世界は変わる。
もう後戻りはできない。
その時だった。
上空。
セラフィナ・フロストが静かにシオンを見つめていた。
感情を持たないはずの少女。
教団最高戦力。
氷晶将。
その瞳が揺れている。
「黒星王……」
初めてだった。
彼女がその名を口にしたのは。
記憶の奥底。
封印されていた何かが疼く。
遠い昔。
見たことがある。
そんな気がした。
吹雪。
崩壊する都市。
黒い光。
そして――
泣いている少年。
セラフィナは眉をひそめる。
理解できない。
なぜこんな記憶が浮かぶ。
なぜ胸が苦しい。
感情は捨てたはずだった。
教団が奪ったはずだった。
なのに。
シオンを見ていると忘れていた何かが蘇る。
「私は……」
言葉が止まる。
その隙を、ガルドは見逃さなかった。
「よそ見してんじゃねぇぞ!!」
炎が爆発した。
紅蓮の大剣が空を裂く。
セラフィナは反射的に氷壁を展開する。
轟音。
炎と氷が激突した。
空が揺れる。
雲が吹き飛ぶ。
だが今までとは違った。
セラフィナの集中が乱れている。
ガルドはそれを見逃さない。
「迷ってんのか?」
セラフィナが睨む。
「違う」
「ならいい」
ガルドは笑った。
「迷いながら戦場に立つと死ぬぞ」
その言葉が妙に胸へ刺さる。
迷い。
それは彼女に最も不要なものだった。
なのに今の自分は確かに迷っていた。
その時。
空気が変わる。
全員が気付いた。
シオンだ。
彼がゆっくりと顔を上げる。
黒い瞳。
王冠のような黒星晶。
無数の粒子。
静かな圧力。
だが彼の表情は穏やかだった。
怒りもない。
憎しみもない。
ただ悲しみだけがあった。
シオンは空を見上げる。
そこには教団艦隊。
数十隻の戦艦。
数千の兵士。
人類最大級の軍勢。
普通なら絶望する数だ。
だが今の彼には違って見えていた。
見えてしまった。
兵士達の感情。
恐怖。
後悔。
家族への想い。
生きたいという願い。
全てが流れ込んでくる。
黒星王の力。
それは破壊ではない。
観測だった。
世界を構成する全てを知覚する力。
シオンは静かに呟く。
「……そういうことか」
理解してしまった。
星喰いがなぜ自分を観測者と呼んだのか。
なぜ黒星晶が存在するのか。
なぜ世界が繰り返されるのか。
全ての答えにはまだ届かない。
だが、その入り口には立った。
そして。
彼はゆっくりと右手を上げる。
教団艦隊へ向けて。
その瞬間だった。
黒い光が広がる。
静かに。
あまりにも静かに。
まるで夜が染み込むように。
戦艦の一隻が触れた。
次の瞬間。
バキッ。
船体が崩壊する。
爆発ではない。
破壊でもない。
存在そのものが分解されていく。
兵士達が悲鳴を上げる。
「なっ――!?」
「何だこれは!?」
「船が!!」
黒い粒子となって消えていく。
跡形もなく。
セラフィナが目を見開いた。
ガルドですら絶句する。
レオニクスだけが低く呟く。
「存在分解……」
伝承通りだった。
黒星王。
世界を終わらせる王。
だが。
シオンは苦しそうに眉をひそめた。
「違う」
その声が響く。
「俺は壊したいんじゃない」
黒い光が止まる。
崩壊しかけていた戦艦が静止する。
シオンは拳を握った。
黒星晶が激しく脈打つ。
制御できる。
だが難しい。
あまりにも強大すぎる。
少し間違えれば。
街も。
人も。
仲間も。
全て消してしまう。
その時。
ルナリアの声が届いた。
「シオン!!」
振り向く。
ルナリアがいた。
涙を浮かべながら。
それでも真っ直ぐ彼を見ていた。
「戻ってきて」
短い言葉。
だが。
その一言だけで十分だった。
シオンの瞳が僅かに揺れる。
黒い粒子が静かになる。
王ではなく。
観測者ではなく。
シオン・アルヴィスとしての意識が戻ってくる。
そして彼は小さく笑った。
「心配すんな」
その瞬間。
空が裂けた。
誰もが息を呑む。
世界の外側から。
巨大な赤い瞳が現れる。
星喰い。
再び。
世界を見下ろしていた――。




