「黒星王覚醒」【前編①】
世界樹が脈動していた。
ドクン――。
まるで巨大な心臓の鼓動。
その振動は大地を伝い、研究院の壁を震わせ、アストレア全域へ広がっていく。
夜空を貫く蒼い光柱は、もはや都市の象徴だった世界樹の輝きを超えていた。
誰も知らない。
何が起きているのか。
だが誰もが感じていた。
世界が変わる。
今、この瞬間に。
何かが決定的に変わろうとしている。
世界樹最深部――封印の間。
シオンは膝をついていた。
息が苦しい。
肺が焼けるようだった。
全身を巡る血液が熱を帯び、骨の奥から何かが這い上がってくる。
右腕の黒い紋章。
黒星晶。
それが今までにないほど激しく脈動していた。
ドクン。
ドクン。
ドクン。
心臓の鼓動と重なる。
いや。
いつの間にか心臓よりも強くなっていた。
「ぐっ……!」
床へ手をつく。
黒い粒子が指先から零れ落ちる。
その瞬間だった。
世界が止まった。
ルナリアの声が消える。
エリナの呼吸音も。
ガルドの足音も。
レオニクスの気配すら。
全てが遠ざかる。
静寂。
完全な静寂。
そして。
『観測者』
声が響いた。
シオンは顔を上げる。
目の前に誰かがいるわけではない。
だが確かに聞こえた。
遥か昔から響き続けていたような声。
『お前は何を見る』
『何を選ぶ』
『何を残す』
シオンは歯を食いしばる。
「誰だ……」
答えはない。
だが。
代わりに世界が崩れ始めた。
床が砕ける。
壁が崩れる。
封印の間が光へ変わる。
視界が真っ白に染まる。
そして次の瞬間。
シオンは知らない場所に立っていた。
空が燃えている。
真っ赤だった。
いや。
赤ではない。
世界そのものが燃えていた。
大地は裂け。
海は蒸発し。
山脈は崩れ。
空から無数の星が墜落している。
終末。
その言葉ですら軽すぎる。
これは世界の死だった。
文明も。
歴史も。
人も。
未来も。
何もかもが消えていく。
その光景を前にしても。
シオンは不思議と恐怖を感じなかった。
代わりに。
懐かしさを感じていた。
「なんだよ……これ……」
知らないはずだった。
見たこともないはずだった。
なのに。
心のどこかが知っている。
ここを。
この景色を。
この絶望を。
まるで昔見た夢の続きを思い出すように。
その時だった。
足音が響く。
静かな足音。
振り返る。
そこに一人の男が立っていた。
黒い外套。
漆黒の王冠。
背後に浮かぶ巨大な黒星。
その存在だけで空間が歪んでいる。
男は静かにこちらを見ていた。
シオンは息を呑む。
その顔を知っていた。
鏡を見るように。
嫌というほど。
男の顔は。
自分自身だった。
「……誰だ」
問い掛ける。
だが答えは分かっていた。
男は静かに微笑む。
悲しそうに。
寂しそうに。
どこか諦めたように。
『お前だ』
静かな声。
『そして私だ』
シオンの背筋に寒気が走る。
男はゆっくりと近づいてくる。
一歩。
その度に世界が揺れる。
まるで世界そのものが男に従っているようだった。
「黒星王……」
男は否定しなかった。
『そう呼ばれた』
沈黙。
終末の世界に風が吹く。
燃え尽きた灰が舞う。
黒星王は空を見上げた。
その視線の先には何もない。
ただ壊れた空だけが広がっていた。
『何度目だったと思う』
突然の問い。
シオンは答えられない。
黒星王は続ける。
『百回』
『千回』
『一万回』
『数えるのをやめた』
静かな声だった。
しかし。
その言葉に込められた重みは想像を超えていた。
『私は世界を救おうとした』
シオンは黙って聞く。
『最初は本気だった』
黒星王が拳を握る。
『仲間を守りたかった』
『未来を守りたかった』
『世界を守りたかった』
その瞳に悲しみが宿る。
『だが』
沈黙。
『救えなかった』
空が崩れる。
遠くで巨大な大陸が砕け散る。
『また失敗した』
黒星王の声が響く。
『また間に合わなかった』
シオンは気付いていた。
この男は怒っていない。
絶望してもいない。
ただ。
疲れている。
果てしなく。
どうしようもなく。
疲れ切っていた。
『観測者』
黒星王がシオンを見る。
『お前はまだ始まったばかりだ』
『だから選べる』
『まだ未来を選べる』
その瞬間だった。
世界が変わる。
シオンの視界に別の光景が映った。
草原。
青空。
穏やかな風。
そこにはルナリアがいた。
笑っている。
幸せそうだった。
シオンは思わず前へ出る。
だが次の瞬間。
黒い槍が彼女の胸を貫いた。
鮮血。
ルナリアが崩れ落ちる。
「やめろ!!」
シオンが叫ぶ。
景色が変わる。
今度はガルドだった。
炎を纏いながら戦っている。
だが身体は傷だらけだった。
そして巨大な黒い影に飲み込まれる。
消える。
跡形もなく。
さらに景色が変わる。
エリナ。
アリア。
レオニクス。
全員が死んでいく。
全員が失われる。
何度も。
何度も。
何度も。
「やめろォォォォ!!」
シオンの叫びが響く。
しかし映像は止まらない。
黒星王は静かに言う。
『これが現実だ』
『私が見てきた未来だ』
『お前が見るかもしれない未来だ』
シオンの拳が震える。
悔しかった。
苦しかった。
認めたくなかった。
だが。
映像の中の自分は。
その全てを見ていた。
全てを失っていた。
そして。
何度も立ち上がっていた。
黒星王はゆっくりと手を伸ばす。
『だから選べ』
その声は優しかった。
まるで未来の自分が語り掛けているように。
『お前は何のために戦う』
『何を守りたい』
『何を失いたくない』
終末の世界。
崩壊した空。
燃える大地。
その中心で。
シオンは初めて。
本当の意味で黒星王と向き合った。
そして。
まだ知らない。
この問いこそが。
世界の運命を決める最初の選択になることを。




