再会
王都セレスティア上空。
静かな夜風が、二人の間をそっと吹き抜けていく。
先ほどまで世界を揺るがしていた異変は、一時的に収まりを見せていた。
街には束の間の静寂が訪れている。
その静けさの中心で。
シオンとルナリアは、ただ静かに向かい合っていた。
言葉が出ない。
伝えたいことは山ほどある。
聞きたいことも山ほどある。
それなのに。
三年という歳月は、あまりにも長すぎた。
何から話せばいいのか。
どんな言葉を選べば、この空白を埋められるのか。
二人とも分からなかった。
ルナリアは震える手で涙を拭う。
けれど。
拭っても、拭っても。
新しい涙が頬を伝っていく。
止められない。
止まらない。
ずっと我慢してきた。
ずっと耐えてきた。
世界中の誰もシオンを覚えていない中で。
たった一人。
絶対に忘れないと決めて。
その名前を胸に抱き続けてきた。
「……本当に。」
震える声が夜空へ溶ける。
「本当に帰ってきたんだね。」
シオンは優しく微笑んだ。
「ああ。」
短い返事。
それだけだった。
けれど。
その一言だけで十分だった。
ルナリアは何度も頷く。
何度も。
何度も。
夢ではないと確かめるように。
目の前にいる。
声が聞こえる。
手を伸ばせば届く。
その当たり前が、どれほど尊いものだったのか。
今になって胸へ押し寄せてくる。
「……心配したんだから。」
俯いたまま、ルナリアが呟く。
「知ってる。」
「知らない。」
間髪入れず返ってきた答えに、シオンは苦笑した。
「厳しいな。」
「当たり前。」
ルナリアはゆっくり顔を上げる。
涙で滲む蒼銀色の瞳。
その瞳は、真っ直ぐシオンだけを映していた。
「何回探したと思ってるの。」
一歩。
シオンへ近づく。
「何回諦めそうになったと思ってるの。」
また一歩。
「何回泣いたと思ってるの。」
さらに一歩。
「何回、空を見上げたと思ってるの。」
そして。
ルナリアはそっと拳を握り。
シオンの胸を軽く叩いた。
本当に弱い力だった。
怒りではない。
責めるためでもない。
そこにあったのは。
ずっと押し殺してきた寂しさだった。
「……馬鹿。」
小さな、小さな声。
シオンは何も返せなかった。
返す言葉が見つからない。
全部、その通りだったから。
世界を救うためだった。
必要な犠牲だった。
そう説明することはできる。
けれど。
残された人にとって、そんな理由は関係ない。
ルナリアが望んでいたのは。
英雄ではなく。
世界を救う存在でもなく。
ただ一人。
シオン・アルヴィスが生きて帰ってくること。
それだけだった。
シオンは静かに目を伏せる。
「……ごめん。」
その謝罪に。
ルナリアは静かに首を横へ振った。
「違う。」
涙を拭いながら、優しく笑う。
「謝ってほしいんじゃない。」
月明かりが彼女を包み込む。
その笑顔は。
三年前よりも、ずっと強く、優しくなっていた。
「帰ってきてほしかっただけ。」
その言葉が。
シオンの胸へ深く突き刺さる。
第一世界で見てきたもの。
虚無の観測者。
数万年積み重ねられた絶望。
そのすべてを知った今だからこそ。
この言葉の重みが、痛いほど分かった。
未来を信じ続けてくれた人がいた。
帰る場所を守り続けてくれた人がいた。
待っていてくれる誰かがいる。
それは。
どんな力よりも強い希望だった。
シオンはゆっくりと右手を伸ばす。
そっと。
ルナリアの頭へ触れた。
柔らかな銀髪。
指先へ伝わる温もり。
確かな命の鼓動。
それは、紛れもない現実だった。
シオンは穏やかに笑う。
「……ただいま。」
今度は。
誰にも届かなかった三年前とは違う。
しっかりと。
帰るべき場所へ向けて。
ルナリアの瞳から大粒の涙が零れ落ちる。
そして。
ようやく心から笑った。
「……おかえり。」
その瞬間だった。
胸元の月の紋章が眩く輝く。
同時に。
シオンの黒星晶も共鳴した。
蒼銀色の光。
蒼黒い光。
二つの輝きが夜空で重なり合い、一つの大きな光となって王都を照らす。
その光景を。
王都中の人々が静かに見上げていた。
誰も言葉を発しない。
誰も邪魔をしない。
ただ。
英雄と月の継承者。
三年という長い時を越え、ようやく再会を果たした二人を。
静かに見守っていた。
その輪の外。
広場の端から、一人の少女が空を見上げている。
長い黒髪。
漆黒の外套。
鋭い瞳。
アリア・ナイトシェイドだった。
腕を組みながら、小さくため息を吐く。
「……ほんと、馬鹿だな。」
その声は誰にも届かない。
けれど。
わずかに震えていた。
気づけば。
アリアの瞳にも涙が浮かんでいたからだ。
思い出してしまった。
旅の記憶。
命懸けの戦い。
焚き火を囲み笑い合った夜。
そして。
誰にも見送られず、静かに消えていった少年の背中。
アリアは苦笑する。
「帰ってくるなら……。」
夜空を見上げたまま、小さく呟く。
「もっと早く帰ってこいよ。」
その笑顔は、どこか泣いているようにも見えた。
――その時だった。
ドクン――。
王都全体が大きく震える。
地面が揺れた。
空気が一瞬で重くなる。
シオンとルナリアは同時に空を見上げた。
嫌な気配だった。
どこか懐かしく。
そして、本能が危険を告げる不吉な波動。
遥か上空。
閉じかけていた純白の法陣が、再び輝き始める。
一つではない。
十。
百。
千。
無数の法陣が夜空を埋め尽くしていく。
王都全域を覆い隠すほどの純白の光。
そして。
空間そのものを裂くように、一枚の巨大な扉がゆっくりと開き始めた。
感情のない声が、世界へ響き渡る。
『世界修正工程、再開。』
空気が凍り付く。
続けて、冷たい宣告が下された。
『黒星王排除を、最優先とする。』
シオンの表情が引き締まる。
ルナリアもまた、静かに月光を纏った。
束の間の再会。
ようやく交わせた「ただいま」と「おかえり」。
しかし。
世界は、その時間すら与えてはくれない。
終焉は、止まることなく近づいていた。
そして。
純白の扉の向こう側。
深い光の奥で。
何か巨大な存在が、ゆっくりと目を覚まそうとしていた。




