黒星王の起源
闇だった。
光はない。
空もない。
大地すら存在しない。
ただ果ての見えない暗闇だけが、どこまでも広がっている。
シオンはその中を落ち続けていた。
深く。
さらに深く。
終わりのない深淵へ引き込まれるように。
身体の感覚は薄れていた。
重さも。
上下も。
時間の流れさえ分からない。
それでも、意識だけは不自然なほど鮮明だった。
虚無の観測者。
失われた第一世界。
自分と同じ名を持つ少年。
先ほど目にした光景が、頭の中で何度も繰り返されている。
あの少年は何者なのか。
なぜ自分と同じ名を持っていたのか。
黒星王とは、一体何なのか。
答えのない疑問だけが、闇の中で渦を巻いていた。
その時。
遠くに、小さな光が灯った。
一つ。
続いて、もう一つ。
さらに一つ。
暗闇の中へ次々と光が生まれ、やがて無数の輝きがシオンを取り囲んでいく。
まるで夜空を埋め尽くす星々のようだった。
だが、その光景を見つめるうちに、シオンは違和感を覚えた。
あれは星ではない。
一つ一つの光の中に、大地があった。
空があり。
海があり。
街があり。
人々の営みがある。
「……世界?」
生まれた世界。
滅びた世界。
救われた世界。
誰にも知られぬまま消された世界。
数え切れないほどの歴史が、小さな光となって闇の中を漂っていた。
その中心。
あらゆる世界に囲まれるようにして、一つだけ異なる輝きを放つ光がある。
他のどの世界よりも大きく。
強く。
眩い。
まるで周囲の世界すべてを守るように、その光は中央で静かに脈打っていた。
始まりの世界。
第一世界。
シオンは息を呑んだ。
光は一定の間隔で明滅している。
まるで今も生きているかのように。
「綺麗だろう」
背後から声がした。
シオンは素早く振り返る。
そこには白銀の観測者が立っていた。
今まで顔を覆っていた仮面はない。
風のない空間で銀髪を静かに揺らしながら、蒼銀色の瞳で第一世界を見つめている。
初めて目にする素顔には、どこか懐かしさがあった。
けれど、その理由までは思い出せない。
シオンは周囲を見渡しながら問い掛けた。
「ここはどこだ」
「世界の記録庫だ」
白銀の観測者は、第一世界から目を離さずに答える。
「生まれた世界も、滅びた世界も、失われた歴史も。あらゆる記録が眠る場所だ」
シオンも再び中央の光を見つめた。
第一世界は、周囲の世界と比べてもあまりに巨大だった。
力の強さだけではない。
すべての歴史が、そこから枝分かれしているように見える。
「これが……始まりなのか」
「ああ」
白銀の観測者が静かに頷く。
「すべての起源だ」
二人の間に沈黙が落ちる。
無数の世界が、音もなく闇を漂っている。
シオンはその光景を見つめながら、胸の奥に残り続けていた疑問を口にした。
「黒星王って、何なんだ」
白銀の観測者はすぐには答えなかった。
ゆっくりと目を閉じる。
遠い過去を思い返すような、長い沈黙だった。
「お前は、黒星王を力の名前だと思っている」
「違うのか」
「ああ。違う」
静かな返答だった。
「黒星王は称号ではない」
白銀の観測者が目を開く。
「力でもない。王を示す言葉でもない」
シオンは眉をひそめた。
黒星王でありながら、そのどれでもない。
では、自分が受け継いできたものは何なのか。
白銀の観測者は、中央で輝く第一世界を見上げた。
その蒼銀色の瞳に、深い悲しみが宿る。
「黒星王とは、願いだ」
世界が静まり返ったように感じた。
「……願い?」
「第一世界の最後に生まれた、祈りだ」
その言葉と同時に、第一世界の光が大きく揺れた。
眩い輝きの中へ、一つの映像が浮かび上がる。
崩壊する都市。
燃え上がる空。
大地を走る巨大な亀裂。
逃げ惑う人々。
助けを求める声。
泣き叫ぶ子どもたち。
そして、その瓦礫の中に一人の少年が立っていた。
第一世界のシオン。
少年の身体は傷だらけだった。
服は裂け。
全身を血で汚し。
立っていることさえ不思議なほど消耗している。
それでも、少年は倒れなかった。
守るために。
救うために。
少しでも先へ、未来を繋ぐために。
だが、世界の崩壊は止まらない。
空を覆う赤黒い瞳。
虚無の観測者。
誰にも抗うことのできない、絶対の終焉。
街が消える。
山が崩れる。
海が闇へ呑み込まれる。
人々の声が、一つずつ消えていく。
やがて少年シオンは、力尽きるように膝をついた。
それでも。
俯くことはなかった。
滅びゆく空を睨み、残された力のすべてを振り絞るように叫んだ。
『終わらせたくない!』
頬を涙が伝う。
『誰かを守りたい!』
地面を掴む拳が震える。
『未来を残したい!』
その声が、終わりゆく世界へ響き渡る。
誰かに届く保証などない。
願いが叶う理由もない。
それでも少年は、叫び続けた。
『もう一度だけ……!』
『やり直したい!』
『次こそは……』
声が掠れる。
それでも、少年は顔を上げた。
『みんなが笑える未来を見たい!』
その瞬間だった。
滅びかけていた第一世界が、強烈な光を放った。
消えていった人々の想い。
叶えられなかった夢。
守りたかった日常。
生きたかった明日。
絶望の中でも失われなかった希望。
無数の願いが光となり、少年シオンのもとへ集まっていく。
一つ。
また一つ。
世界中から寄せられた想いが重なり、やがて一つの星を生み出した。
黒い星。
光を失った星ではない。
すべての絶望を受け止めながら、それでも未来を照らそうとする星。
終焉の中で生まれた希望。
滅びの果てに託された未来。
それこそが。
黒星王だった。
シオンは言葉を失っていた。
黒星王は、世界を滅ぼす兵器ではない。
管理者を倒すために造られた存在でもない。
誰かを支配する王でもない。
最後の瞬間まで未来を諦めなかった、人々の祈り。
その願いを受け継ぐ者。
それが黒星王だった。
「だから管理者は恐れる」
白銀の観測者の声が響く。
「黒星王は予測できない」
第一世界を映す光の中で、黒い星が強く輝く。
「どれほど膨大な記録を集めても、どれほど精密に演算しても、その選択だけは導き出せない」
シオンは黙って聞いていた。
「黒星王は、決められた結末を選ばない」
白銀の観測者が、シオンへ視線を向ける。
「誰もが不可能だと判断した未来を選び、世界そのものを変えてしまう」
シオンは静かに拳を握った。
胸の奥にある黒星晶が、確かな鼓動を返す。
今なら、少しだけ分かる気がした。
なぜ自分が選ばれたのか。
なぜ何度倒れても立ち上がれたのか。
なぜ世界から忘れられても、未来を諦めなかったのか。
自分一人の強さではなかった。
遥か昔。
世界の終わりに託された願いが、ずっと自分の中で生き続けていたのだ。
「俺は……」
言葉にしようとした、その時だった。
ドクン――。
第一世界が大きく脈打った。
先ほどまで穏やかに輝いていた光が激しく明滅する。
無数の世界が震え始めた。
記録庫全体へ、低い振動が広がっていく。
白銀の観測者の表情が一変した。
「まずい」
シオンも第一世界へ振り返る。
中央の巨大な光が歪んでいた。
その奥。
最も深い場所。
光の届かない、歴史の底。
そこから赤黒い輝きが滲み出している。
最初は小さな染みだった。
だが、それは瞬く間に広がり、第一世界の光を内側から喰らい始めた。
「虚無の観測者……」
封印の奥で眠っているはずの災厄。
その存在が、第一世界の記録そのものを侵食し始めている。
白銀の観測者は腰の剣を抜いた。
蒼銀色の刃が、果てのない闇を切り裂くように輝く。
先ほどまでの静かな表情は消えていた。
その瞳に宿るのは。
長い時を越えてきた者の覚悟だった。
「来るぞ」
短い言葉が、重く響く。
シオンも剣を抜く。
胸の黒星晶が、警鐘を鳴らすように激しく脈打っていた。
赤黒い闇が膨れ上がる。
第一世界を包み込み。
周囲に浮かぶ無数の歴史さえ呑み込もうと広がっていく。
その闇の中心から。
巨大な影が、ゆっくりと姿を現し始めた。
瞳ではない。
これまで見えていたものは、ほんの一部にすぎなかった。
第一世界最大の禁忌。
世界の始まりから封じられてきた災厄。
虚無の観測者。
その真の姿が。
今、ついに明かされようとしていた。




