赤黒き瞳
王都セレスティアの夜空は、もはや本来の姿ではなかった。
瞬いていたはずの星々は、一つ残らず闇へ沈み。
夜を照らしていた月の光さえ、不自然に歪んでいる。
空を覆う巨大な亀裂。
まるで世界そのものへ刻まれた傷跡だった。
そして、その裂け目の向こう側から――。
一つの瞳が、静かに世界を見下ろしていた。
赤黒い瞳。
その大きさは、王都を見渡せるほどではない。
王都という都市そのものが、その瞳の視界へ収まってしまうほどの圧倒的な巨躯。
人が巨大なのではない。
世界の尺度そのものが違う存在。
その視線を受けた瞬間、誰もが理解してしまった。
自分たちは「見られている」のだと。
⸻
王都中が静まり返る。
兵士も。
冒険者も。
王国騎士も。
誰一人として動けなかった。
本能が叫んでいる。
あれを見てはいけない。
理解してはいけない。
それでも目を逸らせない。
瞳は、ただ静かにこちらを見つめているだけだった。
それだけで魂が軋み、心が崩れていく。
広場の片隅で、一人の幼い少年が震える声を漏らした。
「……お母さん。」
小さな手が母親の服を掴む。
「あれ……なに?」
母親は答えられなかった。
喉が震え、言葉が出ない。
ただ我が子を強く抱き締めることしかできなかった。
その温もりだけが、かろうじて現実へ繋ぎ止めていた。
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その時だった。
『見つけた。』
声が響く。
耳ではない。
頭でもない。
魂の最も深い場所へ、直接流れ込んでくる。
冷たい。
感情がない。
なのに。
その奥には、長い年月を経てようやく目的を果たした者だけが持つ、静かな歓喜が混じっていた。
『ようやく見つけた。』
その言葉と同時に。
王都全体が激しく震える。
石畳が砕け。
塔が軋み。
街灯に埋め込まれた星晶石が一斉に明滅した。
その巨大な瞳は、最初からただ一人だけを見つめていた。
シオン・アルヴィス。
黒星王。
世界から忘れられた英雄。
そして。
最後の観測者として選ばれた少年。
⸻
ドクン――。
黒星晶が激しく鼓動する。
胸の奥が焼けるように熱い。
頭の内側を何かが掻き回している。
視界が揺れる。
呼吸が乱れる。
「……ぐっ!」
シオンは思わず片膝をついた。
身体の奥で、複数の力が暴れ狂う。
黒星晶。
観測者の資格。
第一世界の記憶。
それらすべてが、目の前の存在へ激しく反応していた。
まるで。
遥か昔から戦い続けてきた宿敵を前にしたかのように。
⸻
「シオン!」
ルナリアが駆け寄り、その身体を支える。
蒼銀色の瞳には隠しきれない不安が宿っていた。
シオンは荒い呼吸を繰り返しながら立ち上がる。
「……大丈夫だ。」
そう口にした。
しかし、その声に力はない。
ルナリアも。
シオン自身も。
分かっていた。
今の反応は明らかに異常だった。
黒星晶は恐れているのか。
怒っているのか。
警告しているのか。
それとも。
失われた記憶そのものが目覚めようとしているのか。
答えは誰にも分からない。
⸻
静かに一歩前へ出たのは、白銀の観測者だった。
風が吹く。
白銀の外套が夜空へなびく。
仮面の奥の蒼銀色の瞳が、赤黒い瞳をまっすぐ見据えた。
「……全員、下がれ。」
低く落ち着いた声。
決して大きくはない。
それでも、その場にいた誰も逆らえなかった。
アリアが眉をひそめる。
「あれ……何なのよ。」
レオニクスも聖剣を握り締める。
「知っているのか。」
白銀の観測者は、しばらく答えなかった。
赤黒い瞳を見つめ続けたまま。
長い沈黙の末、静かに口を開く。
「……知っている。」
その一言には、計り知れない年月の重みがあった。
「忘れたくても、忘れられない存在だ。」
⸻
その言葉だけで十分だった。
王都の空気が凍り付く。
白銀の観測者。
神兵AE-Ωすら片手で止めた男。
その男が。
恐れている。
それだけで、目の前の存在がどれほど規格外なのか理解できた。
⸻
白銀の観測者は静かに告げる。
「……虚無の観測者。」
その名が夜空へ響いた瞬間。
管理者軍団の演算が乱れる。
『危険指定存在確認。』
『第一世界災厄認定。』
『封印対象確認。』
『最優先警戒対象。』
無機質な声に、初めて揺らぎが生まれる。
感情を持たないはずの管理者たちが。
恐怖にも似た反応を示していた。
ルナリアが息を呑む。
「第一世界……災厄。」
アリアの表情から余裕が消える。
レオニクスも険しい表情のまま空を見上げていた。
白銀の観測者は静かに続ける。
「第一世界を滅ぼした存在だ。」
誰も返事をしなかった。
第一世界。
管理者すら存在しなかった時代。
すべての始まり。
その世界を滅ぼした存在が、今、目の前にいる。
その事実だけで十分だった。
⸻
虚無の観測者が、再び口を開く。
『長かった。』
世界が震える。
空間が軋む。
現実そのものが悲鳴を上げる。
『本当に長かった。』
赤黒い瞳がゆっくり細められる。
まるで笑っているようだった。
『探した。』
『何度も。』
『何度も。』
『何度も。』
その言葉が重なるたび。
シオンの胸に宿る黒星晶が激しく脈打つ。
第一世界。
封印された記録。
失われた歴史。
忘却された真実。
すべてが、再び目を覚まそうとしていた。
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やがて。
虚無の観測者は静かに告げる。
『最後の観測者。』
その呼び掛けだけで、王都全体が凍り付く。
そして。
赤黒い瞳は、静かに細められた。
『今度こそ、終わらせよう。』
その宣告と同時に。
夜空を覆う亀裂が、さらに大きく広がっていく。
まるで世界そのものを飲み込み、新たな終焉を迎えようとしているかのように。
⸻
『ECLIPSE CHRONICLE:REBIRTH』最大の戦争。
そして――。
封印されていた第一世界編。
その壮大な物語が、静かに、しかし確実に幕を開けた。




