「裏切りの刃」
沈黙。
誰も動かなかった。
いや、正確には動けなかった。
アリア・ナイトシェイド。
エクリプス教団最強暗殺部隊隊長。
感情を捨て、命令だけを生きる理由としてきた暗殺者。
その彼女が、直属の部下たちに向かって放った言葉。
「断る」
たった一言。
だが、それは彼女が歩んできた人生そのものを否定する宣言だった。
森の空気が凍り付く。
先頭に立つ仮面の男が静かに目を細めた。
「……再確認します」
感情のない声。
訓練された暗殺者特有の無機質な響き。
「対象の排除を実行してください」
アリアは答えない。
ただ静かに腰の短剣へ手を添える。
それだけで十分だった。
男は小さく頷く。
「了解しました」
一拍の沈黙。
そして告げる。
「シャドウ隊長、アリア・ナイトシェイド」
「教団規律第十三条違反」
「反逆行為を確認」
風が吹いた。
木々が揺れる。
葉擦れの音がやけに大きく聞こえた。
「これより――」
男の声がさらに冷たくなる。
「粛清対象へ指定します」
次の瞬間だった。
黒い影が一斉に消えた。
シュンッ――!!
森そのものが動いたかのようだった。
木々の間を走る無数の残像。
三十を超える暗殺者たちが四方八方から襲い掛かる。
「来るぞ!!」
ガルドの怒号が響いた。
戦闘が始まる。
金属音が森を切り裂く。
最初に動いたのはアリアだった。
二本の短剣が閃く。
一歩踏み出す。
ただそれだけ。
だが次の瞬間、三人の暗殺者が血飛沫を上げて地面へ崩れ落ちた。
速い。
シオンですら何が起きたのか見えなかった。
まるで影が斬ったようだった。
「化け物かよ……」
思わず呟く。
しかし感心している暇はない。
敵の数が多すぎる。
ガルドが炎を纏った大剣を振り抜いた。
「吹き飛べッ!!」
轟炎が森を駆け抜ける。
爆炎が木々を照らし、数人の暗殺者をまとめて吹き飛ばした。
その隙にエリナが矢を放つ。
風を纏った矢が正確に敵の足元を射抜き、動きを封じていく。
「足止めなら任せて!」
ルナリアも両手を広げた。
銀色の光が広がる。
月光の結界。
飛来する短剣が次々と弾かれた。
「みんな下がって!」
そしてシオンも駆け出した。
右腕の黒星晶が脈動する。
ドクン。
ドクン。
黒い光が拳へ集まる。
「うおおおおおっ!!」
拳が炸裂する。
衝撃波が森を揺らし、一人の暗殺者を木々の向こうへ吹き飛ばした。
だが、その瞬間だった。
森の奥から異様な殺気が流れ込む。
空気が変わる。
アリアの表情が初めて明確に変化した。
「……まずい」
その声には焦りがあった。
シオンは初めて聞いた。
アリアが恐怖に近い感情を滲ませるのを。
木々の奥から一人の男が現れる。
長身。
白髪。
右目を覆う黒い眼帯。
漆黒の軍服。
冷たい笑み。
その存在だけで周囲の暗殺者たちが道を開ける。
シャドウ副隊長。
レオン・ヴァイス。
アリアに次ぐ実力者。
いや――。
純粋な暗殺技術だけなら互角とも言われる男だった。
レオンは静かに笑う。
「残念ですよ、隊長」
温度のない声。
「あなたは完璧だった」
「感情さえ持たなければ」
アリアは短剣を構える。
紫の瞳が鋭く細まった。
「黙れ」
レオンは肩を竦める。
「その少年ですか?」
視線がシオンへ向く。
「あなたを壊した原因は」
森が静まり返る。
アリアの瞳に怒りが宿る。
ほんの僅か。
だが確かに。
今まで失われていたはずの感情。
レオンは小さくため息をついた。
「やはり処分が必要ですね」
消える。
一瞬だった。
次に姿を現した時、レオンはシオンの背後にいた。
「っ!?」
速い。
アリア以上かもしれない。
刃が首筋へ迫る。
間に合わない。
そう思った瞬間だった。
キィィィィィン!!
火花が散る。
レオンの刃を受け止めたのはアリアだった。
二本の短剣が交差する。
「触るな」
低い声だった。
レオンが笑う。
「なるほど」
「本当に守るんですね」
その言葉を聞いた瞬間。
アリアの中で何かが壊れた。
いや――
何かが戻った。
暗い部屋。
冷たい鎖。
泣いている少女。
誰にも必要とされなかった過去。
差し伸べられた手。
優しい声。
名前を呼んでくれた誰か。
忘れたはずだった。
捨てたはずだった。
だが確かに存在していた。
彼女は震える息を吐いた。
そして静かに告げる。
「私は――」
その声は小さい。
だが揺るがない。
「もう」
短剣を握る力が強くなる。
「教団の道具じゃない」
森が静まり返った。
レオンの笑みが消える。
そして冷たく宣告する。
「確認」
「アリア・ナイトシェイド」
「反逆者認定」
「抹殺命令発令」
その瞬間。
教団最強の暗殺者は世界中の教団勢力から狙われる存在となった。
逃げ場はない。
戻る場所もない。
全てを失った。
だが。
アリアは静かに笑った。
どこか晴れやかな顔だった。
長い牢獄から解放された人間のように。
そして彼女は歩く。
シオンの隣へ。
初めて自分の意思で。
初めて誰かを守るために。
シオンは少し驚きながら彼女を見る。
アリアは小さく呟いた。
「……一緒に逃げる?」
その言葉にシオンは吹き出した。
「今さらだろ」
ガルドが笑う。
エリナが呆れる。
ルナリアも微笑む。
そして。
アリアもほんの少しだけ笑った。
それは彼女が初めて見せた、本当の笑顔だった。
しかし同時に。
森のさらに奥で新たな気配が動き出していた。
七星将。
エクリプス教団。
そして世界を覆う星喰いの影。
アリアの裏切りは終わりではない。
むしろ始まりだった。
シオンたちの旅は新たな局面へ突入する。
追われる者たち。
失われた記憶。
迫る教団の本隊。
そして世界樹都市アストレア。
運命の歯車はさらに大きく回り始めていた――。




