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ECLIPSE CHRONICLE ー エクリプス・クロニクル ー  作者: 神宮せいや
ECLIPSE CHRONICLE:REBIRTH

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英雄の名前

管理者アーカイヴが目を開いた。


記憶の海、その最深部。


誰一人として辿り着くことのできない白い神殿。


果ての見えない書架が幾重にも連なり、世界中の歴史と記録が静かに眠っている。


そこには過去も現在も、滅びた文明も、まだ訪れていない未来さえ保管されていた。


世界そのものを記録する場所。


その中心で、管理者アーカイヴは静かに空を見上げていた。


銀色の瞳が微かに揺れる。


演算が乱れていた。


それは本来、絶対に起こり得ない現象だった。


管理者に迷いは存在しない。


感情も存在しない。


誤差すら許されない。


世界を管理する存在だからこそ、その演算は常に完全でなければならない。


だが今、その完全性が崩れ始めていた。


静かな神殿へ機械的な声が響く。


『黒星王帰還率』


『上昇』


『上昇』


『上昇』


『予測不能』


アーカイヴは何も答えない。


ただ静かに演算を続ける。


その時だった。


巨大な書架に収められていた一冊の本が、誰にも触れられることなくゆっくりと開いた。


パラリ――。


静かな音だけが神殿へ響く。


ページが一枚、また一枚とめくられていく。


そして。


アーカイヴの視線が、一つのページで止まった。


そこに刻まれていたのは、本来存在するはずのない記録。


世界から削除された英雄。


歴史から消えた名前。


『黒星王 シオン・アルヴィス』


銀色の瞳が、その名前を見つめる。


長い沈黙。


やがて。


『……異常』


小さな呟きが漏れた。


その瞬間。


神殿全体が低く震え始める。


無数の書架が共鳴し、眠っていた記録が一斉に揺らいだ。


まるで世界そのものが、一人の英雄の名を思い出したかのようだった。



同じ頃。


王都セレスティア。


王立図書館では、一人の老司書が古い歴史書を整理していた。


長年、歴史書の修復だけを続けてきた老人だった。


彼は何気なく本棚から一冊の書物を取り出す。


世界再生以前の断片的な歴史を記した古文書。


何度も読み返したことのある本だった。


だが、その日だけは違った。


「あれ……?」


老人は思わず眉をひそめる。


昨日まで存在しなかった文章が、ページの中央へ静かに刻まれていた。


震える指先で文字をなぞる。


『終末戦争』


『黒星王 シオン・アルヴィス』


老人は息を呑んだ。


「……誰だ、この名前は。」


初めて見るはずだった。


聞いたこともない。


それなのに。


胸の奥が熱くなる。


涙が込み上げる。


理由は分からない。


それでも。


「忘れてはいけない……。」


自然とその言葉が口をついて出た。


「どうして……。」


答えはなかった。


だが、その名前だけは胸の奥へ深く刻まれていく。



世界樹都市アストレア。


王城地下の封印書庫では、閉ざされていた古文書がひとりでに開いた。


北方氷原では、長い年月風雪に晒されてきた石碑の文字が静かに変化していく。


海上国家マリネス。


海底遺跡の壁画が淡く輝き始めた。


砂漠都市ザルディアでは、千年もの間沈黙していた古代装置が低い駆動音を響かせる。


世界中で、同じ異変が起きていた。


消された記録。


封印された歴史。


忘れられた名前。


それらが少しずつ、本来あるべき姿を取り戻し始めている。


まるで世界そのものが、一人の英雄を思い出そうとしているようだった。



王都の広場。


一人の幼い少女が夜空を見上げていた。


年は十歳ほど。


蒼黒い流星を見つめたまま、小さく呟く。


「……シオン。」


隣を歩いていた母親が振り返る。


「どうしたの?」


少女は首を傾げた。


「今ね。」


「誰かが、そう呼んだ気がしたの。」


母親は返事ができなかった。


その名前は知らない。


聞いたこともない。


なのに胸が締め付けられる。


懐かしい。


悲しい。


会ったこともない誰かを思い出しそうになる。


同じ現象は、世界中で起きていた。


夢を見る者。


涙を流す者。


無意識に名前を口にする者。


そのすべてが、一人の存在へ繋がっていた。



記憶の海。


ルナリアは静かに空を見上げていた。


蒼黒い流星。


その光は、先ほどよりも確実に近付いている。


もうすぐ。


本当に帰ってくる。


クロノが隣へ並ぶ。


腕を組み、流星を見上げながら小さく笑った。


「面白くなってきたな。」


ルナリアは苦笑する。


「私は全然面白くない。」


「そうか?」


「心臓が止まりそうなんだから。」


クロノは思わず吹き出した。


「その顔を見る限り、まだ余裕はあるみたいだな。」


「そんな余裕ないよ。」


「でも、笑ってる。」


ルナリアは自分の頬へ触れる。


本当だった。


涙を流しているのに、不思議と笑っていた。


クロノは静かに流星を見つめる。


「でもな。」


少しだけ真剣な声になる。


「もう世界は止まれない。」


ルナリアも静かに頷いた。


分かっていた。


管理者がどれほど歴史を書き換えようと。


人々の記憶から存在を消そうと。


もう遅い。


一度戻った記録は、二度と消えない。


一度繋がった想いも、誰にも断ち切れない。


そして。


一度帰ると決めたシオンは、決して止まらない。



その頃。


世界と世界の狭間。


蒼黒い流星の中で、シオンは静かに目を閉じていた。


身体が少しずつ実体を取り戻していく。


指先の感覚。


鼓動。


呼吸。


失われていたすべてが、ゆっくりと戻ってくる。


その時だった。


「シオン。」


誰かが呼んだ。


一人ではない。


二人でもない。


世界中から。


何百、何千という声が重なり合い、忘れられたはずの名前を呼んでいた。


シオンはゆっくりと目を開く。


蒼い瞳が静かに輝いた。


そして、小さく笑う。


「……ただいま。」


誰にも届かないはずの言葉。


それでも、その声は確かに世界へ返された。


その瞬間。


世界中の記録が再び大きく震える。


管理者アーカイヴの演算が乱れた。


そして。


白い神殿、その最奥。


決して開くことのなかった扉が、ゆっくりと音を立て始める。


ギギギギギ……


アーカイヴは静かに振り返った。


銀色の瞳が、初めて僅かに揺らぐ。


扉の向こうから漂ってくる、その気配に。


管理者は、生まれて初めて”警戒”という反応を示していた。

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