黒星王の鼓動
世界が震えていた。
記憶の海。
観測者領域。
そして現実世界。
本来なら決して交わらない三つの領域が、今わずかに共鳴を始めている。
その中心にいるのは一人の少年。
シオン・アルヴィス。
世界から忘れ去られた英雄だった。
記憶の海。
ルナリアは目の前の存在を見つめていた。
管理者アーカイヴ。
銀色の髪。
銀色の瞳。
白い神衣。
まるで神話から抜け出してきたような美しい姿。
だが。
その存在から感じるものは冷たさだけだった。
感情がない。
温もりがない。
まるで世界そのものが人の形を取ったような存在。
クロノがルナリアの前へ立つ。
「下がれ」
短い言葉。
だが、その声には今までにない緊張があった。
ルナリアも理解していた。
今まで現れた管理者とは違う。
格が違う。
アーカイヴは静かにルナリアを見る。
『記録保持者確認』
『黒星王記録復元率六十七パーセント』
『修正優先対象』
感情のない声。
だが。
その言葉の意味は明確だった。
ルナリアを消す。
それが目的。
「そんなこと……させない」
ルナリアは震える手を握り締める。
怖い。
足が震える。
逃げ出したい。
それでも。
ここで逃げれば、またシオンが消される。
それだけは嫌だった。
アーカイヴの瞳がわずかに光る。
『感情エネルギー確認』
『黒星王因子との共鳴を確認』
『危険度更新』
クロノが舌打ちする。
「本当に面倒な奴だな」
次の瞬間。
アーカイヴの背後に巨大な術式が展開された。
空を埋め尽くす白い文字列。
歴史編集権限。
世界再構築権限。
文明削除権限。
その全てが起動を始める。
海が揺れる。
空間が軋む。
ルナリアは息を呑んだ。
クロノですら表情を変えている。
「ルナリア」
「え?」
「絶対に目を逸らすな」
クロノは前を向いたまま言う。
「ここで記憶を手放したら終わりだ」
ルナリアは頷く。
胸を押さえる。
そこには確かに残っていた。
月の花畑。
旅の日々。
シオンの笑顔。
交わした約束。
それら全てが自分の支えだった。
同時刻。
観測者領域。
黒い星の上。
シオンもまた異変を感じていた。
胸が熱い。
鼓動が強くなる。
まるで誰かが助けを求めているようだった。
「ルナリア……」
蒼い瞳が細くなる。
その瞬間。
黒星晶の痕跡が激しく輝いた。
ドクン――
鼓動。
ドクン――
再び鼓動。
黒い星全体が共鳴する。
AE-01が反応する。
『異常確認』
『黒星王出力上昇』
『危険度更新』
だが。
シオンは聞いていない。
意識は遥か彼方。
世界の向こう側へ向いていた。
記憶の海。
ルナリアのいる場所。
助けに行かなければならない。
今すぐに。
その想いが黒星王の力を刺激する。
レイが小さく笑った。
「なるほどな」
シオンが振り返る。
「何だよ」
「昔のお前なら無理だった」
レイは空を見上げる。
「だが今は違う」
「誰かが待っている」
「それが力になっている」
シオンは何も答えなかった。
だが否定もしなかった。
その通りだったからだ。
ルナリアがいる。
だから立てる。
だから戦える。
だから帰る。
その想いだけで十分だった。
ドォォォォォォォォォォォン!!
黒い光が爆発する。
世界の壁が大きく震える。
亀裂がさらに広がった。
観測者領域全体が揺れる。
AE-01が後退する。
レイの表情が変わる。
「本当に壊す気か」
シオンは剣を構える。
蒼い瞳が輝く。
「当たり前だ」
迷いはなかった。
「帰るって決めたからな」
その頃。
記憶の海では。
アーカイヴがゆっくりと手を上げていた。
空が白く染まる。
海が凍り付く。
全ての記録が停止する。
クロノの顔色が変わる。
「まずい……!」
ルナリアも異変を感じる。
世界そのものが止まろうとしている。
アーカイヴは静かに告げた。
『世界安定率低下を確認』
『最終修正工程へ移行』
『黒星王記録を完全削除する』
その言葉に。
ルナリアの顔色が変わる。
シオンを。
もう一度消そうとしている。
忘れさせようとしている。
そんなのは許せない。
ルナリアは一歩前へ出た。
クロノが驚く。
「ルナリア!?」
だが。
彼女は止まらない。
銀色の光が身体を包む。
月の継承者の力。
失われていた力。
その光が記憶の海全体へ広がっていく。
アーカイヴの瞳が初めて揺れた。
『想定外』
『月の継承者因子活性化』
『危険度上昇』
ルナリアは涙を拭う。
そして真っ直ぐアーカイヴを見た。
「もう忘れない」
震える声だった。
それでも強かった。
「何回消されても」
「何回奪われても」
胸へ手を当てる。
そこには確かにシオンとの記憶がある。
「私はシオンを覚えてる」
その瞬間。
世界が脈打った。
ドクン――
観測者領域。
記憶の海。
現実世界。
三つの領域が同時に共鳴する。
そして。
世界の壁に走る亀裂の奥から。
眩い蒼黒の光が漏れ始めた。




