エピローグ 今日はお祭りです
エピローグ 今日はお祭りです
公共魔力保障法が施行されてから一年後、王都の中央広場で収穫祭が開かれた。空は高く晴れ、街路樹の楓は赤や黄色に染まり、露店の屋根には橙色のマリーゴールドと薄紫色の竜胆が飾られている。焼いた腸詰め、茸のスープ、蜂蜜菓子の匂いが入り交じり、広場を歩くだけで衣服に香ばしい煙が染みつきそうだった。
アルテミシアは黒い総裁服を着ていなかった。白いブラウスに深緑色のスカートを合わせ、栗色の短い外套を羽織っている。銀色の髪もきつく結い上げず、低い位置で一本にまとめていたため、風が吹くたびに細い髪が頬へ触れた。
「総裁服を着なくても、本当にアルテミシア様ですか」
待ち合わせ場所へ現れたノエラは、彼女の周りを一周して確認した。紺色の計算官服ではなく、赤い格子柄のワンピースを着ているものの、右手には帳面、左手には筆記具の入った小鞄を持っている。休日にも数字を書き留めるつもりらしく、アルテミシアは人のことを言えずに視線をそらした。
「本日は休日です。総裁ではありません」
「では、アルテミシアさんとお呼びしてもよろしいですか」
「構いません」
「私のことも、ノエラさんと呼びますか」
「なぜ私だけ敬称を外すのですか」
「なんとなくです」
二人が話していると、籠を抱えたルシアンが人混みの向こうから歩いてきた。濃紺の上着に灰色のズボンという普段着だったが、襟が内側へ折れ込んでいる。アルテミシアが指摘すると、彼は片手で直そうとして反対側まで曲げてしまった。
「動かないでください」
「休日ですから、襟も休んでいるのでしょう」
「左右とも働かせてください」
アルテミシアは彼の襟を両手で直し、最後に小さな糸屑を摘み取った。ルシアンは黙っていたが、耳だけが赤くなっている。ノエラは帳面を開き、時刻と二人の距離を書き込もうとしたため、アルテミシアがすぐに閉じさせた。
「それは業務記録ではありません」
「将来、歴史的な資料になるかもしれません」
「永久記録庫へ入れるつもりですか」
「閲覧制限をつけます」
「書かないでください」
ルシアンが持ってきた籠には、黄色い和梨が十個入っていた。表面は艶やかで、見た目だけなら食べ頃に見える。しかし市場の果物屋が試しに切ったところ、固くて甘みも少なく、一籠まとめて安く売られていたという。
「梨を十個も買ったのですか」
「昨年の公開監査裁判で、固すぎる梨を残したことが気になっていました」
「あれは料理係が豆のスープへ入れました」
「私は生のまま噛んで、しばらく歯が痛みました」
「同じものへ挑む必要はありません」
「挑むのではなく、おいしく食べる方法を試します」
広場の一角には、王立銀行職員が出店する小さな屋台が設けられていた。看板には《形の悪い果物を、おいしく食べる会》と書かれ、文字の横にはノエラが描いた歪んだ梨の絵がある。丸いはずの梨に長い尻尾がついていたため、通りかかった子どもから黄色い玉葱だと思われていた。
「梨です」
「玉葱じゃないの?」
「葉っぱがついているでしょう」
「玉葱にも葉っぱはあるよ」
ノエラは言い返せず、絵の下へ大きく《梨》と書き足した。インクが乾く前に看板を持ち上げたため、最後の一文字から青い筋が垂れた。マルタは娘の手から看板を取り、もう触らないよう屋台の高いところへ掲げた。
屋台の裏では、大きな鍋に水、砂糖、薄切りのレモンが入れられていた。皮と芯を取り除いた梨を八等分にし、鍋へ並べて弱い火で煮る。果肉が透き通り始めると、甘酸っぱい匂いが湯気とともに広がった。
「火を強くしたほうが早いのではありませんか」
アルテミシアが薪を追加しようとすると、マルタが火箸を取り上げた。洗濯場で大鍋を扱い慣れた彼女は、梨が崩れるから弱火のまま待てと言う。アルテミシアは鍋の温度を測ろうと計量器を出したが、それも没収された。
「今日はお祭りです。監査ではありません」
「焦がせば、梨が無駄になります」
「鍋の底を見る人を三人決めたよ。あんた一人で見張らなくても焦げない」
「三人も必要でしょうか」
「総裁一人より、腹をすかせた子ども三人のほうが信用できる」
リュカと近所の子ども二人が、鍋の前へ椅子を並べて座った。梨を見張るはずが、五分もすると木の枝で地面に絵を描き始めた。マルタに叱られるたび鍋をのぞき、まだ固い、さっきよりいい匂いがすると、交代で報告した。
別の鍋では、細かく刻んだ梨に砂糖を加え、焦げないよう木匙で混ぜていた。煮崩れた果肉は金色のジャムになり、少し残した粒が舌に触れる程度の形を保っている。ルシアンは焼きたての黒パンを切り、端の大きな一枚をアルテミシアの皿へ置いた。
「私のものだけ大きいようですが」
「目測です」
「以前、目測を根拠にしてはいけないと申し上げました」
「朝食と祭りの食事には、私の方式を採用したはずです」
「そのような契約を結んだ記憶はありません」
「口頭契約でした」
「証人は?」
「ノエラが記録しようとしています」
ノエラは素早く帳面を開いたが、アルテミシアに睨まれて手を止めた。代わりに梨ジャムをたっぷり塗り、自分の口へ運ぶ。熱いまま食べたため、口を開けて手であおぎながら、それでも飲み込んだ。
「熱いです。でも、おいしいです!」
「当たり前だよ。急いで食べるからさ」
「固かった梨と同じものとは思えません」
「固いから捨てるんじゃない。切って、煮て、その果物に合う食べ方を考えるんだよ」
マルタはそう言いながら、鍋の縁についたジャムを指で拭い、自分のパンへ塗った。形が悪くても、固くても、甘さが足りなくても、調理すれば食卓へ載せられる。だからといって傷んだものまで我慢して食べる必要はなく、使えない部分はきちんと取り除くのだという。
「人間も同じだ、とおっしゃるつもりですか」
「さあね。あたしは梨の話しかしていないよ」
「顔が、人間の話だと言っています」
「あんたは数字だけでなく、顔まで読むようになったね」
コンポートの梨が柔らかくなるころ、広場の入口が少し騒がしくなった。公立治療院の修繕作業を終えた公共労働者たちが、道具を積んだ荷車とともに入ってきた。その中には、色の褪せた茶色の作業着を着たセオドールもいた。
父の銀色の髪には木屑がつき、両手の爪は黒く汚れていた。以前のように人々が道を空けることはなく、セオドールもそれを求めなかった。荷車を所定の場所へ運び、借りた金槌の本数を確認してから、梨の屋台へ近づいてきた。
「よい匂いがするな」
「固くて食べられなかった梨を煮ています」
「焼き林檎ではないのか」
「梨です」
「そうか。私はまだ、見た目だけでは分からん」
セオドールは労働日誌を取り出し、今日の作業時間を書き込んだ。契約監督官が内容を確認して印を押し、その日の仕事が終了する。手続きが終わるまで、父は鍋へ手を伸ばさなかった。
「本日の労働時間は七時間です。治療院の暖房回路も、予定どおり修理できました」
「部品代が予算を超えていました」
「古い配管が図面より傷んでいた。追加支出の申請書も提出した」
「確認しました。明日、監査部から回答が届きます」
「お前が決めるのではないのか」
「担当は監査部です。私は報告を受けます」
セオドールは目を細め、少し離れた場所で働く銀行職員たちを見た。アルテミシアへ一枚ずつ書類を運ぶ者はおらず、それぞれが自分の担当を判断している。彼は口元についた灰色の髭を撫で、娘の前へ小さな紙袋を置いた。
「最初の給金で買ったものだ」
中には干し魚が二枚入っていた。塩と日なたの匂いが強く、梨の甘い香りの中で妙に目立つ。アルテミシアが首を傾げると、セオドールは一枚がオスカーの分で、もう一枚は娘に渡す分だと説明した。
「私は猫ではありません」
「知っている。だが、お前も昔はこれを炙って食べただろう」
「お父様が夕食前にくださるので、お母様に叱られました」
「一枚を半分にしたのだから、量としては問題ないと思っていた」
「子どもの夕食を減らした時点で、問題があります」
「今なら、追加料金を請求されそうだな」
セオドールが笑い、アルテミシアも干し魚の入った紙袋を閉じた。過去の帳簿を書き換えることはできず、提出した証拠によって罪が消えることもない。それでも父は一日ずつ働き、受け取った給金から自分の食費と猫の餌代を払い、返還すべき債務を減らしていた。
「コンポートを召し上がりますか」
「代金はいくらだ」
「本日は試食ですので、無料です」
「無料というのは、あとで高くつくのではないか」
「王家の契約ではありませんから、ご安心ください」
アルテミシアは柔らかく煮えた梨を小皿へ盛り、煮汁を一匙かけた。セオドールは木の匙で小さく切り、慎重に口へ入れる。レモンの酸味のあとから梨の甘さが広がると、彼は何度か噛み、残りをもう一口食べた。
「固かったとは思えんな」
「同じ梨です」
「置いておけば、自然に柔らかくなるものではないのか」
「和梨は、その方法では柔らかくなりません。切って火を入れ、食べられる形に変える必要があります」
「待っているだけでは、変わらんか」
「変わらないものもあります」
二人の間へ、リュカが大皿を持って割り込んできた。コンポートへ山羊乳のクリームを載せすぎて、白い山が今にも崩れそうになっている。話を続ける場所ではなくなり、セオドールは端を持ち、アルテミシアは反対側を支えた。
昼を過ぎると、祭りの広場はさらに混み合った。競売で売却された王家の金色の馬車は、派手な装飾を外され、公共図書館の移動書庫へ作り替えられていた。元は王妃の宝石を運んでいた棚に子どもの本が並び、読み聞かせを待つ親子が列を作っている。
第二王子が所有していた競走馬は、地方の郵便路で荷物を運んでいた。一頭だけ気性が荒く郵便馬になれなかったため、農業学校で人参を食べながら余生を過ごしているという。ノエラはその話を聞き、馬の食費も公共資産なのかとアルテミシアへ尋ねた。
「農業教育に必要な費用として認められています」
「一日に人参を何本食べますか」
「私に聞かず、飼育担当者へ確認してください」
「アルテミシアさんでも、知らない数字があるのですね」
「すべてを知っている必要はありません。必要なときに、知っている人へ尋ねられればよいのです」
ノエラは大きく頷き、帳面へその言葉を書いた。今度はアルテミシアも止めなかった。誰が言ったかではなく、次に困った人が使える記録なら、残してよいと思った。
夕方になると、広場の中央で魔導灯の点灯式が行われた。以前なら国王が壇上から命令し、貴族街から順番に明かりがともった。今は洗濯屋、治療師、鍛冶職人、子ども、銀行員が一つずつ起動板へ手を置き、王都の各地区へ同じ時刻に魔力を送る。
リュカが西第七区の起動板を押す役に選ばれた。晴れ着の上着は少し大きく、袖から指先が半分しか出ていない。マルタが何度直しても襟が曲がるため、最後には本人が苦しくないならよいと言って諦めた。
「押していいの?」
「鐘が三回鳴ってからだよ」
「二回じゃ駄目?」
「三回です。そこは契約どおりにしてください」
鐘が一つ、二つと鳴り、三つ目の音が広場へ広がった。リュカと各地区の代表者が同時に起動板を押すと、広場、市場、工房街、治療院、路地裏の家々に魔導灯がともった。王宮の灯りだけが先につくことも、貧民街だけが暗く残されることもなかった。
人々が拍手をする中、アルテミシアは屋台の後ろで空になった梨の籠を片づけていた。コンポートもジャムもすべて売り切れ、鍋の底には甘い煮汁が少し残っている。ルシアンはその煮汁を湯で割り、二つのカップへ注いだ。
「今日はお祭りです」
「朝にも聞きました」
「ですから、最後まで仕事をしてはいけません」
「売上と材料費の精算が残っています」
「ノエラとマルタさんが担当しています」
「計算を間違えたら」
「二人で相互確認します」
アルテミシアはノエラたちを見た。娘が売上を数え、母が売れた皿の枚数から合計を確かめている。リュカも隣で銅貨を十枚ずつ積んでいたが、一山だけ十一枚あることに気づき、自分でやり直していた。
「私の仕事は残っていますか」
「梨の飲み物を、温かいうちに飲む仕事があります」
「それは仕事ですか」
「本日は、最優先業務です」
アルテミシアは木箱へ腰掛け、カップを受け取った。温かな煮汁には梨の甘さとレモンの酸味が溶け、弱い香辛料の匂いもした。固くて歯が立たなかった果肉は、コンポートになり、ジャムになり、最後には温かな飲み物となって、一滴も捨てられず人々の腹へ収まった。
広場では音楽が始まり、踊りの輪ができていた。セオドールは踊らず、公共労働の仲間と腸詰めを買う列へ並んでいる。マルタは代金の計算を終えると前掛けを外し、ノエラとリュカの手を引いて輪の中へ入った。
「私たちも行きますか」
ルシアンが手を差し出した。アルテミシアは踊りの契約条件を尋ねようとしたが、彼の手には書類も印章もない。彼女は空になったカップを木箱へ置き、その手を取った。
「一曲だけです」
「二曲目は、そのとき決めましょう」
「事前に曲数を決めないのですか」
「祭りには、未確定の項目があってもよいのです」
アルテミシアは人々の輪へ加わった。最初の一歩でルシアンの靴を踏み、二歩目では隣の子どもと肩がぶつかった。どちらにも謝り、三歩目からは周りの動きを見ながら、同じ速さで足を運んだ。
魔導灯の下には、公爵も平民も区別なく多くの人がいた。帳簿へ載る数字は同じでなくても、暮らしに必要な一灯は、誰の家にも保証されている。アルテミシアは梨とシナモンの匂いが残る広場で、隣にいるルシアンの手を少しだけ握り直した。
「今日はお祭りです」
「はい。ですから二曲目も踊りましょう」
「まだ契約しておりません」
「では、今から申し込みます」
アルテミシアはすぐに答えず、音楽の終わりまで踊った。一曲目が終わると、彼女は離そうとしたルシアンの手をそのまま引き戻した。次の曲を告げる鐘が鳴り、王都すべての魔導灯が、二人と祭りに集まった人々を同じ明るさで照らしていた。




